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システムと意図


1.入れ子状のシステム

宇宙とは何だろう?

そのように聞かれたら、あなたはどう答えるか?

様々な答え方があるだろうが、私は「システム」と答えたい。

この宇宙は「入れ子状のシステム」として成り立っている。

調和した宇宙や渦を巻く銀河は、一つの「システム」と言えるだろう。

太陽系は太陽を中心に惑星が公転し、地球は生態系を有する循環型の「システム」だ。

組織として成り立つ国家や企業や家族も、あるいは60兆~100兆の細胞によって構成される人間も「システム」と見て差し支えないだろう。

一個人の人生さえ「輪廻転生」を繰り返す、因果応報型の「システム」だ。

宇宙
銀河
太陽系
地球
国家
企業
家族
個人

この宇宙は「入れ子状のシステム」によって出来ている。

そして「システム」がそこにある限り、その裏には「意図」が必ず垣間見える。

「システム」と「意図」は表裏一体。

「意図」がなければ「システム」は存在し得ず、これは「陰陽の関係」と捉えることも出来るだろう。

「見える部分」の「システム」と
「見えない部分」における「意図」

システムを「見えない世界」から成立させる「意図」について考える。

システムを裏打ちする「意図」が分かると、この世界の「真相」が見えてくる。

その行き着く先は「神」との邂逅

この宇宙を創造した「大いなる意図」

最高の科学者にして且つ、最高のスピリチュアリスト

そうした「至高の存在」を自身の内に自覚するのが、「悟り」と言われるものだろう。

(冒頭から話が壮大過ぎるので笑)「システムと意図の関係」について、具体例を示しながら見ていこう。


2.設計思想

「システムと意図」について考えるには、次の例が分かりやすい。

腕時計をバラバラに分解し、部品をビニール袋に詰め込み、それをシャカシャカ振り回す。

ビニール袋をシャッフルすることで、腕時計は元に戻りますか?

そう聞かれたら、誰もが「No」と答えるだろう。

何を言いたいか。

腕時計が腕時計として存在するのは、その完成形を誰かが「イメージ」したからに他ならない。

「完成形」を誰かがイメージし、その通りに部品を組み立てるからこそ、腕時計が出来上がる。

部品だけあっても腕時計(システム)は存在し得ず、そこには必ず「意図」の介在が窺える。

コンピュータのOS(オペレーションシステム)も具体例として分かりやすい。

WindowsとMac

パソコンを買う際、どちらにするか迷う人も多いはず。

両者は「パソコンを動かす」という機能(function)は同じくするものの、その「使用感」は全く違うことで有名だ。

直感的な操作

Appleの謳い文句として知られる言葉だが、OSの使用感は創業者の思想が如実に反映されたものだろう。

Windowsは「詰め込み型」

言わば「足し算」の発想。

あらゆる要望に応えるため様々な機能を盛り込むが、反面パソコンが重くなりやすく、年数が経つとしばしばフリーズも起こり得る。

Macは反対に「シンプル」を追求する「引き算」の発想。

「利便性」や「使いやすさ」を重視し、OSのサポート体制も充実していることから、長く愛用しても使用感が損なわれない。

「意図」や「思想」が異なると、システムは全く違ったものになる。

「言語」もコンピュータのOSと、似たところがあるだろう。

「言語」は人間社会を成立させるOSのような存在で、その上に「アプリ」としての制度や体制が築かれる。

日本語と英語

この両者も「コミュニケーションを図る」という機能は同じだが、その裏にある「意図」は真逆だろう。

No one knows.

英語を勉強していて、個人的に「面白い」と感じる文法。

「誰も知らない」という意味になるが、直訳すれば「0人が知っている」

「0人が知っている」すなわち「誰も知らない」

日本語にはこうした「名詞を直接否定する文法」は見られない。

これにはおそらく「民族性」が反映されている。

日本の「神道」は多神教。

「八百万の神」として、ありとあらゆるものの内に「神の存在」を感じ取る。

それは「モノ」であっても同じこと。

モノを捨てる時も「ありがとう」と言葉をかける人は多いはず。

あらゆる存在に「神性」を見出す日本人は、そうした「神なるもの」を否定する発想が起こらない。

「No one」「No body」など、名詞を否定する表現が日本語に見られないのは、「霊性」の反映が理由の一つとして挙げられる。

また、日本語は「取得難易度Max」の言語としても有名だ。

ひらがな50音に加え、カタカナ・漢字。

敬語は尊敬語・謙譲語・丁寧語に分けられ、「本音」と「建前」を使い分ける。

率直に言って、クソ面倒くさい言語であるのが分かるだろう。

なぜ、日本語はこれほど複雑なのか?

それは日本語が「見える世界」と「見えない世界」をつなぐ「架け橋」となる言葉であるからだ。

精神世界は、極めて抽象度の高い世界。

「抽象度の高い世界」を「現実の世界」で表現するには、「複雑なシステム」が必要だ。

テレビで例えると分かりやすい。

アナログテレビのような粗い画質でなく、4K・8Kばりの解像度で現実を映そうと思えば、より高精度で精細なシステムが求められる。

それと同じで「あの世」と「この世」をつなぐのであれば、それ相応の複雑な体系が求められるのは当然だ。

これは英語のルーツをたどると、より納得がいくだろう。

英語の元である「アルファベット」を発明したのは、当時シナイ半島に住んでいたフェニキア人。

シナイ半島はエジプトとメソポタミアをつなぐ結節点で、フェニキア人は両者との交易により生計を立てていた。

しかし、
エジプトは「象形文字」
メソポタミアは「くさび形文字」

両者の間で使われる言葉が全く違う。

これでは商売上非効率というわけで、二十数文字からなるアルファベットを生み出した。

これが英語の始まりだ。

(言葉は悪いが)英語は「面倒くさがりのフェニキア人」が作った言語と言えるだろう。

他者に意図を伝えるため。

日本語も英語も「コミュニケーションの手段」としての「機能」は全く同じだが、その「設計思想」は正反対

あえて面倒くささを追求する日本語と、
ムダを削ぎ落とそうと意図する英語。

ある一流外科医は、次のように述べている。

言葉がなければ、言葉は創れない

これは何を意味するか?

言葉は偶発的に出来たのではなく、「何者か」が明確な意図(設計思想)をもって創った「システム」であるのが分かるだろう。

この宇宙には「創造の言語」あるいは「光の言語」なるものがあるらしい。

それは宇宙の全情報を包括的に表現する「言語」ないしは「図形」のことで、「フラワー・オブ・ライフ」「メタトロン立方体」は、それらの内の一つだろう。

フラワー・オブ・ライフ
【曼荼羅アート - マンダラアート協会】
「https://www.mandalaart.net/%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6%E6%A8%A1%E6%A7%98%E3%81%A8%E3%81%AF/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC-%E3%82%AA%E3%83%96-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95/」より引用
メタトロン立方体
【額入神聖幾何学s-2 フラワーオブライフ「メタトロン立方体」宇宙M】
「https://www.satofull.jp/products/detail.php?product_id=1264119」より引用

日本語や英語は「光の言語」を次元降下させ、物理次元に適した形へと変換した「影絵」のようなものだろう。

一元性の世界(5次元)における情報を、そのまま物理次元で表現するのは不可能だ。

だから「目的=意図」を明確にし、「光の言語」を一部借用する形で日本語や英語が創られた。

これが私の仮説だ。

日本語と英語を創った両者の間には、(ビル・ゲイツとジョブズ以上に)その「設計思想」に大きな隔たりが感じられる。

「見えない世界への架け橋」とするため「複雑性」を受容する日本語と、

ムダを徹底的に削ぎ落とし「効率性」を追求する英語

両者の「意図」や「目的」は正反対。

日本語「精神世界を表現するため」の言語であるのに対し、

英語は言わば「モノを作るため」の言語といったところだろう。

「システム」の裏にある「意図」

それが分かると、この世界の現実をより深く見渡せる。


3.「無い前提」から「有る前提」へ

現代の資本主義も「経済宗教」を軸とする壮大なシステムだ。

ここでも(システムの裏にある)意図について見て行こう。

まず始めに、貨幣経済における「最重要事項」とは?

答えはひとつ。

通貨の発行権を誰が握っているか。

ロスチャイルド家の始祖、マイアー・アムシェル・ロートシルトは、かつて次のように豪語した。

通貨の発行権さえ掌握できれば、法律など誰が作ろうと構わない

貨幣経済における「最強」とも言える存在。

それは「通貨の発行権を握る者」に他ならない。

兌換制度が廃止された現代であればなおさらだ。

74年の「ニクソンショック」が起こるまではまがりなりにも、「貨幣の供給量」「実体経済」金(gold)によって紐づいていた。

「金ドル本位制」によってドルと金の交換が義務付けられていたから、好き放題「輪転機」を回してお金を刷るのは、誰であっても出来ない。

しかし、現代はどうだろう?

もはや、そうした「縛り」は一切ない。

好き放題「輪転機」を回し、ジャブジャブにお金を刷りまくる。

資本主義の「意図」は、一体どこにあるだろう?

このシステムの創始者は何を想い、何がしたいのか?

「意図」にフォーカスすることで、世界の真相が見えてくる。

彼ら(創始者)の意図は「お金を稼ぐ」ことではない。

お金は「手段」

合法的に富を収奪するための「道具」として、通貨の発行権を頑なに握り締めている。

まずはジャブジャブにお金を刷って「好景気」を創り出す。

景気が過熱すると企業は設備投資のため、土地や建物を担保に入れ銀行からお金を借り入れる。

そうなったところで、今度はお金を引き上げ、逆に「不景気」を創り出す。

するとどうだろう?

売り上げの不振で、企業は借入を返せない。

銀行が担保に入れた土地や建物を、差し押さえにやってくる。

銀行は国際銀行家(DS=ディープステート)の出先機関

こうして「合法的に」他人の資産を奪い取る。

それが彼ら(ディープステート)のやり口だ。

資本主義は「一方向性の直線的なシステム」で、そこに「調和」や「循環」は見られない。

言わば「破滅のシステム」だ。

その前提に「不足感」「欠乏感」が窺える。

「無い」という前提を刷り込まれ「万人の万人に対する闘争」が、今もなおとどまることなく続いている。

しかし、実際はどうだろう?

世界中の人々を満たすだけの資源を、地球はしっかり提供してくれている。

いらない武器を造ったり、
投機で資源が高騰したり、

ムダなことを一切やめれば、全人類を生かすだけのリソースは、この地球に備わっているはずだ。

「無い前提」から「有る前提」へ

「前提のシフト」が今何よりも求められる。

どんなに精巧なシステムを創っても「前提」が変わらなければ、その結果は対立や争いに終始する。

共産主義の失敗が、それを物語っているだろう。

「平等」を掲げた共産主義も、結局は「赤い貴族」が富を独占し腐敗した。

その前提にはいつも「不足感」が横たわる。

あれが足りない
これが足りない
愛がない
私は決して愛されない
何でオレだけ…
アイツばっかり…
etc…

挙げればキリがないほど、私達は潜在的に「不足感」を抱えて生きている。

しかし、そうした「前提」を丁寧に見つめ「幻想」から覚めねば、幸せな人生など望むべくもないだろう。

冒頭で述べた通り、一個人の人生は「輪廻転生」を繰り返す、因果応報型のシステムだ。

その「前提」に光を投げかけ、不足感を手放せるのは、自分をおいて他にない。

これからの時代、「ヒーロー」や「救世主」は必要ない。

一人一人が自身の人生に横たわる「前提」と向き合うことで、「不足感」から覚めていく。

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

『いつも何度でも』(詞:覚和歌子、曲:木村弓)より引用

映画『千と千尋の神隠し』で歌われる通り、必要なものは全て自分の内にある。

一人一人が幻想から覚めることで、ある時「集合意識」が切り替わる。

一定数の人が「不足感」から脱却すれば、システムの前提が「無い」から「有る」へと切り替わる。

前提が「無い」から「有る」へシフトすると、これまで「不足感」をベースに起動していた収奪システム(資本主義)は、終わりを迎えることになる。

(システムを動かす)意図が「収奪」から「調和・循環」へと代わることで、新しい体制が地球全体に築かれる。

システムの「意図」を感じ取ること。
人生における「前提」と向き合うこと。

「社会の様相」「一個人の人生」は密接不可分の関係にある。

思考は現実化する

その言葉通り、一人一人の意識の総体(集合意識)が、社会的な現実として映される。

より実相に近いレヴェルで大きな仕事をする人程、世の中の表には出ないわけです

『黎明 下巻』(葦原瑞穂著・太陽出版)P276より抜粋

これから世界を変えていくのは「ヒーロー」でもなければ「救世主」でもない。

現実を粛々と生きる、名もない草の根の民たちだ。

一人の変容が世界を救う。

「個が輝く時代」と言われる所以だろう。

私達一人一人が「システム」への洞察を深めることで、この世界は螺旋を描くように高みへと昇って行くだろう。

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