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少女漫画の「1ミリ」事情

昔から少女漫画が好きだが、作品のために2000年代からセリフ表現に注視するようになって、ある単位が気になり始めた。
「1ミリ」である。

この15年ほど、私はさまざまな少女漫画に触れてきた。そこで感情の大きさを表現するときの共通点に気付いた。
感情を、殊に否定的に表現するとき「1ミリ」が多いのだ。
なぜミリメートルか。なぜ長さなのか。
例えば、愛情を表現するとき「大きい」とも表現するが、(これまた否定的なときが多いが)「重い」という表現もある。
形ないもの・精神的な加重と考えると、長さよりも重みの方がしっくりくる感覚もある。だから余計に気になったのだ。

今思えば、私が最初に気になったのは咲坂伊緒『ストロボ・エッジ』(2007〜2010年連載)だった気がする。(記憶を遡っただけなので定かではないが)
そこに出てきたセリフは「1ミリも振り向かねぇ」。
振り向くという行為は「動き」なので長さで表現して違和感はない。
厳密には体を回転させるので「角度」ではあるが、角度が広がれば広がるほど一回転してしまうだけなので、やはり長さでよいのだろう。
「1ミリ」というさじ加減が絶妙だな、と記憶に残ったのだ。

その後に世に出た少女漫画を読んでいると、想いが一方通行な場面でちょいちょい遭遇していた。
「好きは1ミリも無かった?」
「1ミリも忘れられないままでいる」
「1ミリもあきらめられなくて」
こういった表現が様々な作品で見受けられた。ほとんどが「叶わぬ恋」「忘れられない恋」の絶望的数値であった。

直接恋愛的感情に繋がらないセリフでも「1ミリ」は使用された。
「1ミリも知らない」
「それだけは1ミリもないから」
やはり否定の絶対値であった。
「全然知らない」「絶対にない」を超える表現として具体的単位が現れてきたように思う。

「1ミリ」は自然派生したものなのだろうか。それとも絶大的「1ミリ」の名台詞が…
それを知るには、遡るようにもっと多くの作品を読まねばならない。

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