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お城へTo Go(松本城)

 茨城の水戸城の次は、大好きな松本城(29・長野)です。押印はやはり平成21年7月20日です。中央線で気軽に行けるところでもあり、何度訪れたか覚えておりません(笑)

 8年くらい前は城の近くにレトロなホテルがあって、とても雰囲気が良かったのですが、時代の流れの中で、経営者の変化でずいぶんと変わってしまい、とんと宿泊することもなくなりました。そのため現在は、日帰り訪問がメインです。

 松本駅をお城口に降りると、左手に駅の蕎麦屋とは思えないおいしい蕎麦屋があります。まずはここでそばを食べてから城へ向かいます。電車の時間調整にも使えますので、おすすめです。あ~、松本に着いたなあ、という感じになります(笑)

 最近は城ブームでもあり、城内に入るには常に待ち時間があるので、最近は登城していません。
 城の周りを廻って、湧水巡りでおいしい水をたらふく飲みます。松本駅に湧水のガイドマップがあるのでそれを参考に行くとよいのですが、おススメは城の北側にある「北馬場柳の井戸」。ここは味もうまいのですが、手や顔を洗うとしばらくしてつるつるになる感じ(いわゆる弱アルカリの感じ)が抜群です。松本城のすばらしさはわざわざここで述べるまでもないので、周辺情報を中心に書きました。

 松本城を訪れるたびに感じるのが、ここに天守を創建した石川数正について。家康の重臣から、秀吉に請われて家臣となった経歴から、今度は逆に江戸の家康の抑えとして松本に入り、松本城を整備したわけです。
 何があったかは、歴史家の中でも決着はついていないようですが、家康側にすればやはり裏切られたという思いは消し難かったようで、子の代に関ケ原で東軍に着いたにも関わらず、1613年改易の憂き目をみます。
 山岡荘八の『徳川家康』を読んだ時は、この辺は一番納得のいかない展開で、いまでも違和感を感じます(要約すると家康のために数正は深慮遠謀をもって秀吉に出奔する、といった流れ)。

 仮に小説通りならば、子孫の代に改易などにならないでしょう。この辺りは裏を返すと、真田信繁や石田三成の子孫がそれなりの立場で生き続けている点と対照的なように感じます(これにはこれの深いワケがあるのでしょう)。
 裏切りへの恨みというのはいつの時代にも根深いものなのでしょう。ここまでの城を建城して、かつての主君の抑えとして豊臣に使われ、最後は徳川によって取り潰しという石川氏の命運は、松本に来るたびに考えさせられます。

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メタリックナノパズル プレミアムシリーズ 松本城, T-MP-014M
テンヨー 2021-04-23

配信元:裏辺研究所

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