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イノベーション論の変遷

日本では、イノベーションは「技術革新」と捉えられることが多いが、ドラッカーが「イノベーションをイノベーションたらしめるものは、科学や技術そのものではない。経済や社会にもたらす変化である。消費者、生産者、市民、学生その他の人間行動にもたらす変化である。イノベーションが生み出すものは、単なる知識ではなく、新たな価値である。」と述べているように、製品だけでなくサービスなどを含めた革新的なモノやコト、さらには組織・プロセス・販路などの革新までが含まれ、現代では経営全般に関連する取り組みまでを包含する言葉として使われている。

「イノベーションとは何か」や「イノベーションとはどのような現象か」を理論的に検証するのがイノベーション論である。イノベーション論の歴史的変遷について、NEDO「オープンイノベーション白書 第三版」に簡潔に記載されているので、ここに掲載しよう。

イノベーション論の変遷
「オープンイノベーション白書 第三版」国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)

イノベーションを世界で初めて理論化したのは、ヨーゼフ・シュンペーターだ。1912年、自身の著書『経済発展の理論』の中で、イノベーションとは新結合だと説いた。その後、ドラッガーは「現代の経営」(1954)の中で、価値を創造することとしている。その後、さまざまな理論的な展開がなされたが、有名なところではクリステンセンの『イノベーションのジレンマ』がある。クリステンセンはイノベーション研究の学者の中でもっとも有名だと言っても過言ではないが、破壊的イノベーション理論を確立した。

日本の研究者による理論では、知識創造理論が有名だ。知識創造理論は野中郁次郎氏によって提唱された理論で、1996年に出版された『知識創造企業』により世界中で広く知られることになる。知識創造理論では、知識を「暗黙知」と「形式知」の2つに分類していて、暗黙知を直感、ひらめきなど、形式知を理論モデル、マニュアルなどと定義して、暗黙知と形式知が複雑に絡み合う知識創造の仕組みを「SECIモデル」として体系化している。

2000年以降では、チェスブロウによる「オープン・イノベーション」や、最近では、「アントレプレナー」や「リーン・スタートアップ」によるイノベーションの方法論も出てきている。

今後も多種多様なイノベーション論が展開されることだろう。日本から、もっと多くのイノベーション論が創出されてくることを期待したい。

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