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45歳を迎えて

はじめに


本日、45歳の誕生日を迎えました。

人生100年時代。もし本当に100歳まで生きるのだとしたら、まだ人生折り返し地点にも達していない若僧です。

子供の頃に見ていた45歳はとんでもなく大人で、自分がその年になるなんて、当時は想像もできませんでした。

小さい頃は粘土で黙々とゾウを作ったり、風景画をひたすら描いて過ごすような、孤独に一つのことに向き合うことが好きな内向的な子供でした。今でもその時の記憶ははっきりと残っていて、自分の根幹はそこにあると思っています。

その時からのことを考えると、自分が本当にやりたいことは、彫刻家や画家、漫画家ということになりますが、根っこにはその気質が今でもあることを自覚しています。

そう考えると、自分がまさか人前に立って話をするような仕事につくとは、子供の頃は全く想像できませんでしたが、今はそれを心から楽しんでいます。

「楽しい」と思えること


大学生になるまでは自分が将来どんな仕事に就くかなんて全くわからず、たまたまアルバイトで働き始めた飲食業界、特にカクテル等のお酒をサービスする仕事が楽しくて、それが自分の天職だと思うようになっていました。

「楽しい」と思えることを空気を読まずにやり続ける気質は、今となっては良かったと思いますが、遠くの大学の経済学部にまで通わせてくれた親の立場からすると、気が気ではなかったと思います。就職活動を全くせずにそのままフリーターとしてカジュアルなダイニングバーで深夜まで毎日働く道を選んだのですから。

しかも新卒で企業に務める仲間と比較しても明らかに安い給料でボーナスなし休みも週一、盆正月もほぼ休みなしで夜の仕事。そんな23歳の息子の生き方を、親として歓迎するわけがありません。

一応きちんとした飲食店ではあったのですが、当初は「水商売」と言われ、親子関係はかなり不安定な時期がありました。

ただどうしても、自分がやりたくもない仕事を「待遇がいいから」というだけで選び、頭を下げて入社したいとは思えなかったのです。


継続


その状況を変えることができたのが「継続」です。

バーの仕事ではカクテルやウイスキー等の蒸留酒の知識とサービス技術を懸命に磨き、その後昼間の仕事として選んだフランス料理店では、ソムリエという存在に衝撃を受けてワインや料理について猛勉強しました。

ただ、転職の時期を迎えるタイミングで何度か無職の期間もあり、その度に別の仕事の可能性も模索したこともあります。飲食店での仕事がとてもハードだったからです。

ですが結局選んだのは、ワインを中心とする飲料サービス業。20代の頃は他の仕事の可能性について本気で考え、悩みましたが、「引き戻される」ようにソムリエの仕事を続ける道を選んでいたのです。まさに無意識状態で。

30歳になったばかりの時、この業界で一つの結果を残すことができ、初めて「一生この業界で生きていこう」と思えるようになりました。ここまでくるのにちょうど10年の月日が経っています。

自分は決して器用なタイプではありません。

新しく入社した職場では毎回仕事を覚えるのが遅く、周りからはバカにされ、自分に腹が立ち、もどかしい気持ちになっていました。

ただ得意だったのは、できるようになるまで粘り強く続けていくこと。そして人並みにできるようになってもそこからさらに磨き続けることです。

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ワインを始めとするさまざまな飲料と料理の楽しみ方、日々の食事をもっと楽しむためのノウハウを知ることができるnote。経歴20年以上のソムリ…

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