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47歳を迎えて



はじめに


本日、47歳の誕生日を迎えました。

人生100年時代。もし本当に100歳まで生きるのだとしたら、まだ私は人生折り返し地点にも達していませんが、ここまでの道のりを振り返ると、多くのことを経験し、いろいろな場所へと旅をし、充実した日々を過ごせてきたという自負もあります。

子供の頃に見ていた47歳はとんでもなく大人で、自分がその年になることは、当時は全く想像もできませんでした。

しかし今この日を迎えて、それは想像していた以上に早く訪れたと実感しています。きっとこの先の未来の10年後、20年後、そして30年後も同じように思っていることでしょう。昨年の今日から1年を過ごしてきてそう実感しています。




「その時」は二度と戻ってこない


これまで生きてきて、自分だけでなく周りの多くの人を見てきても思うのは、人は自分にブレーキをかけてしまいやすい生き物だということ。人生はいつまでも続くと、心の奥のどこかで信じていて、病気になったり、動けなくなった自分をリアルに想像することはなかなか難しい。

「まだ自分には早い」「きっとこの先にまたチャンスがある」「今でなくてもいい」と、自分の気持ちに正直にならなかったり、先送りにするための言い訳を続けていれば、チャンスはどんどん失われ、その先には「後悔」の文字が大きくのしかかってきます。これは大きな決断に対してだけでなく、日々のちょっとした判断にもいえます。

「その時」は一度きりしかなく、もう二度とは戻ってこないのです。

人生における幸せは、「後悔のない一日をどれだけたくさん過ごせたか」。その量によって決まってくるのではないでしょうか。であるとすれば、自分に嘘をついて「今日」という一日を我慢して乗り切るという行為や、本当はこうしたいという思いがあるのに、なんらかの理由を作ってブレーキをかけてしまう行為は、人生にとって大きなマイナスとなるに違いありません。

できることは後悔しないように「今」やろう。そう心がけて生きてきましたが、今日からの人生はその想いをますます強めていきたいと決意しています。

2023年8月 46歳になって初海外はモルドバ共和国へ



根幹にあるもの


小さい頃は粘土で黙々とゾウを作ったり、風景画をひたすら描いて過ごすような、孤独に一つのことに向き合うことが好きな内向的な子供でした。今でもその時の記憶ははっきりと残っていて、自分の気質の根幹はそこにあると思っています。

その時のことを考えると、自分が本当にやりたいことは、彫刻家や画家、漫画家ということになりますが、あらためて考えてみると、今でもやはり根っこにはその気質があることも自覚しています。

まさか自分が人前に立って話をするような仕事につくとは、それを楽しめるようになっているとは、子供の頃は全く想像できませんでしたし、両親もいまだに今の私の姿に驚いている様子。 
 
本当にやりたいこと、根幹にあるものというのは、実際に職業人として長く働いてみてわかること。これまでの働き方を振り返ると、常に同業種の枠の中にありながらも、その働き方自体は大きく変化してきました。そして私自身は、今やっていることを心から楽しんでいますし、ここに導かれたことに対して素直に感謝しています。

しかし人生においてまだ私は中間地点。もしかしたらさらにこの先、第3、第4の扉が待ち受けているのかもしれません。

2023年12月 長年の夢だった初の書籍を出版



「楽しい」と思えること


大学生になるまでは自分が将来どんな仕事に就くかは全くわからず、考えたこともありませんでした。たまたまアルバイトで働き始めた飲食店。カクテルやウイスキー等、お酒をサービスする仕事やその雰囲気が楽しくて、自然とそれが自分の天職だと思うようになっていました。

楽しいと思えることを空気を読まずにやり続ける気質は、今となっては良かったと思いますが、一緒に働く仲間からしてみれば、自己中心的だとらえられることも多々あったでしょう。そんな中でも、面白がって応援してくれる友人が少数ながらいたことは救いでした。

しかし、実家から遠く離れた大学にまで通わせてくれた両親の立場からすると、気が気ではなかったのは間違いありません。当時、「安定した企業」に就職することが最善という風潮が少なからずあったなか、就職活動を全くせずに、そのままフリーターとして、カジュアルなダイニングバーで深夜まで働く道を選んだのですから。

しかも新卒で企業に務める友人と比較しても明らかに安い給料でボーナスなし休みも週一、盆正月もほぼ休みなしで夜の仕事。実家にもなかなか顔を出さない23歳の息子の生き方を、公務員を長年勤めてきた親が歓迎するわけがありません。一応きちんとした飲食店ではあったのですが、当初は「水商売」と言われ、親子関係はかなり不安定な時期が続きました。

ただどうしても、やりたいと思えない仕事を「待遇がいいから」という理由で選び、自分の心に嘘をついて、頭を下げて入社したいとは思えなかったのです。


23歳の時にソムリエを目指して働いていた神戸のレストラン北野クラブのダイニングからの景色



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