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「藩政」の終わり

二〇〇九年より約十五年に渡って秋田県知事を務めた佐竹敬久の県政が、今期で終焉を迎えるが、遡れば、江戸時代に藩政を担った佐竹氏の家系であるという氏の「殿」という呼称は、秋田県内において、江戸時代の旧弊が恰も二十一世紀においても継続しているかのような状況を象徴している。江戸時代の悪弊を継続させている根本的原因は、経済苦や自殺率上昇などの問題を認知しているにも関わらず、解職請求を行わずに、惰性で彼の県政を継続させた県民の側にある。昨年の「じゃこ天」を巡る知事の失言を、どういう訳か、県民がフォローすると言う珍事が発生したが、県民らは「殿」を支える「領民」になっている場合ではない。彼は二〇一一年に脳出血で倒れた後、失言が延々と止まないような人物であり、健康上の理由で執務不能であると県民が判断し、即刻、辞職させない限り、秋田県における諸問題の解決は夢のまた夢となる。日本は既に封建制国家などではなく民主主義国であり、十九世紀以前のように暴力に訴えずとも、民主的手続きによって、自治体の首長を直接請求、具体的には有権者の三分の一の署名を集める事によって解職請求が可能であるのは言うまでもない。インターネット時代となって久しい現在、SNSの活用により、コストと時間を掛けずとも有権者へ広く周知し、訴える事は非常に容易であり、決して悲観する事はない。日本の国政も同様であるが、地方自治に関しても民衆の直接行動により変革は可能である。現代において、旧套墨守は市場のみならず政治の場でも行うべきではない。「長い江戸時代のおわり」は官ではなく、民の力によって為される事になろう。

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