見出し画像

出・SNS

noteとMediumの記事の認知経路としてX(旧Twitter)アカウントを開設していたのであるが、然したる利点も見いだせず、それどころか、裏垢女子を装ったスパムアカウントに狙われる事態となり、面倒になった為、退会した。元々、最大一四〇文字のつぶやきを投稿するという同サービスのコンセプトに賛同し兼ねており、文を綴るとなると、必然的に分量が増し、一四〇文字を優に超過する長文とならざるを得ない私にとっては、利用し辛いものでもあり、加えて、他人のつぶやきの中に叡智や着想のヒントを見い出せる訳でもないので、特段の不便はない。
藤原智美の「ネットで『つながる』ことの耐えられない軽さ」において、SNSで用いられる言葉が「話しことば」に近しく、また他人の言葉をトレースする事が横行した結果として「ネットことば」なるものが生まれているという指摘があるが、数あるSNSの内、ことばの乱用と軽視が最も著しかった場は現Xに他ならない。
Xを辞めた後、Matodon等の他のSNSの利用については一時検討したものの、結局、機能面でもコミュニティ内で交わされる会話にせよ、Xと大差ない事に気付いた為、今後は類似サービスを利用するつもりはなく、飽くまで日本国内向けにはnote、海外向けにはMediumのみを利用し、情報の発信を行うつもりである。両サービスとも、ユーザー登録なしで閲覧可能な為、情報をオープンに開示出来、X等のクローズドなSNSより利点が多い。Twitterが二〇〇六年にサービスの提供を開始して以降、エコーチェンバー現象に付随する炎上やキャンセル・カルチャー等が世界規模で発生し、時として著名人を自殺に追い込む他、コロナ禍のインフォデミックや政治事件を誘発する事態にまでなったが、短文の断片的情報が絶え間なく垂れ流される仕組みを持ったSNSは、今後も同様の現象が発生する可能性があるので、利用自体をしなくなった方が安全である。
実の所、十二年程前、情報工学科に在籍していた私は、「アラブの春」の背後に、スマートフォンの普及によりSNS利用者が増加していた事や、イスラム系テロ組織がテロリスト要員確保の為、SNSを通じて欧州在住の若者へコンタクトを取っているというニュースを聞き、インターネットが世界に齎す影響が余りに甚大である事に気が付き、憔悴して担当教官に相談した結果、精神病院の受診を薦められた事があるが、コロナ禍を経た今振り返ると、当時の私の予測は必ずしも的外れではないように思う。SNSに限定される話ではないが、テクノロジーが主導する社会は人間存在を脅かすものに行きつくというのは、オルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」を例に挙げるまでもなく、工学分野から人文社会科学へと目を向ければ、自ずと明らかになる。AI等のテクノロジーの進歩によって生じるシンギュラリティ(技術的特異点) ──言い換えれば、資本主義社会における最後の審判── を前提とする「カーツワイル教」が日本国内外で跳梁跋扈しているが、資本主義社会の中で技術革新(イノベーション)は飽くまで定型化した業務の効率化が主眼に置かれ、頭脳労働等の非定型な仕事はこの対象ではない。仮に頭脳労働の一部が技術革新によりAI等に代替されるようになっても、資本主義社会の構造上、労働を完全に無くす事は出来ず、人間が行うべき仕事は必ず残る、と言うより、残す様にする筈だ。シンギュラリタリアンが、専門化の罠に嵌っているのか、それとも、無くせないものを無くせると吹聴し、その言説を誑かす事によって利潤を得ているだけなのか定かではないが、後者であれば、彼らは文字通り「錬金術師」に過ぎない。
技術革新が必ずしも人間社会の幸福に繋がらない事は、近代までの歴史が証明しており、我々頭脳労働者は、技術者達が無邪気に夢見る「ユートピア」が実現する事を何としてでも防がなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?