日本語教育の内容と方法の論じ方について① ─ 誰に向けて発信するのか
言語教育を企画するにあたって参照される基礎資料として、CEFRや、JFスタンダードや日本語教育の参照枠などがあります。後2者はCEFRの焼き直しなのでCEFRを直截に読める人にはあまり価値はないと思います。また、後2者はCEFRの邦訳に基づいて作成されており、そもそもその邦訳での各レベルの訳が十分に原著の趣旨を汲んだものになっていません。そして、より重要な問題は、後2者を作成した主体がその利用方法についてあまり自覚的でないことです。一連の「議論について」では、その点について論じたいと思います。日本語教育の参照枠等の利用方法の課題については、「議論について③」で論じます。
日本語教育を実施しようという場合に企画・計画が必要であることは言うまでもありません。昔ながらの言い方で言うと、何を、どのような順で、どのように教えるか、を示すことです。これを教育の企画・計画と呼ぶことにします。日本語教育の場合は、コーディネータあるいは主任という立場の人が教育の企画・計画をすることとなります。
1.3方向の教育の企画・計画
筆者自身、大学で日本語教育に携わる立場でさまざまな種類の日本語教育の企画・計画をしてきました。そして、さまざまな教育の企画・計画書を作成してきました。そうした仕事をしてきてはっきりわかることは、教育の企画・計画は3つの方向に向けて発信されるということです。一つは、当該の教育の管理責任者に向けてで、もう一つは学生に向けてです。そして、さらにもう一つは授業担当教師に向けてです。
(1) 管理責任者向けの企画・計画書
大学においては部局の長(日本語教育の場合は、留学生センター長や国際交流センター長など)やその上の学長が管理責任者となります。会社組織的に言うと、部局の長が課長や部長に、学長が社長に当たります。新たな教育を開発して実施しようとする場合に、部局に所属する者つまり教員は、管理責任者に対して、どのような教育をしようとしているのかを説明しなければなりません。そして、部局長はその企画・計画書を見て説明を聞いて、当該部局が実施する教育としてふさわしい教育であるかどうか、優れた教育が実施可能な形で計画されているかなどを判断します。教員は、部局長がそのような判断ができるように、部局長に対しる説明資料として教育の企画・計画書を作成します。そして、部局長が日本語教育(学)が専門でない場合もありますので、そんな部局長にわかるように企画・計画書を作成しなければなりません。
(2) 学生向けの企画・計画書
学生向けの企画・計画書は、端的に、シラバスです。
シラバスでは、この科目ではこんなことが学べますよ、こんなことができるようになりますよ、などと説明されます。学生は、いろいろな科目のシラバスを見て、履修する科目を選択して、その教育内容や教育方法などを納得して授業を受けます。シラバスは、いわば商品・サービス説明書のようなものです。
シラバスは、先生と学生の間の重要なコミュニケーション・ツールです。教師はたいてい、初回の授業でオリエンテーションとして、シラバスの内容を再度口頭で説明し、学生に授業の内容や目標を知らせたり、15回の授業の流れを提示したり、その授業で期待されている勉強の方法などを示します。そのようにして、学生にゴールを自覚させ、学生自身もそのゴールに向かって学修を進めるように導きます。
(3) 教師向けの企画・計画書
複数の教師が一つのコースを担当する場合には、一つのコースを一人の教師が単独で担当する場合よりも「詳細な」企画・計画書が必要になります。一人の教師が単独でコースを担当する場合は、この種の企画・計画書は、極端に言うと、自身のためのメモ程度でいいということになります。しかし、複数の教師がコースを担当する場合は、まったく事情が異なります。
教師向けの企画・計画書は、コーディネータあるいは主任という立場の人が策定します。授業担当教師もその策定に参画することもあります。
教師向けの企画・計画書の重要部分は、学生向けのものの場合と類似して、授業担当教師間でコースのゴールを共有することです。そして、そうした上で、各教師が担当の授業を、一方でその授業で期待されている目標を達成し、もう一方でコース全体のゴールに貢献することをもくろみながら、適切な授業を実践することです。また、学生たちの日本語習得の進捗状況を観察し時には適切な方法で診断的に評価して、日本語力の形成という観点で特定の面や点で課題がある場合は、コーディネータが中心となってその課題への対応を検討し、通常の授業の中での留意点としたり、特定の点に注目した機動的な指導を実行したりします。
このように複数の教師による教育を有効かつ無理なく実践するためには、各教師としては担当の授業を適切に実施しつつ、教師集団全体としてはゴールとして設定されている日本語力を学生たち全員に十全に形成するということを協働的に行わなければなりません。そうした教育活動のカナメとなるのが、教師向けの企画・計画書であり、その企画・計画書の共有と確認の作業です。
2.教師向けの企画・計画書
2-1 直接法による文型・文法事項積み上げ方式
教育の現実は、具体的な教育機関での具体的なコースにおける教師たちによる教育の実践です。そうした教育実践が有効に行われてこそ、優れた教育が実現されます。またそれが無理なく実践されて教育実践を通して教師の教授技量がさらに向上することで、一層優れた教育が実現されます。そのために先ず必要なのは、言うまでもなく、教師向けの企画・計画書です。
専門職のコーディネータや主任であれば、CEFR等の一般的な参照枠を参考にしてコースの企画・計画を進めるべきです。そして、JFスタンダードが公開される以前からそのようにしている大学のコースや日本語学校の教育課程がありました。
教育の企画・計画の背後には、日本語の習得についての考え方、日本語の習得支援についての考え方があるはずです。コーディネータや主任を含めた教師の間で、そうした考え方が十分に共有されている場合は、企画・計画にそうした内容を盛り込んで記述する必要はありません。
現在の日本語教育において、例えば基礎段階の教育、いわゆる初級段階の教育に関して、共有され合意された考え方があるでしょうか。初級段階の教育に関しては、直接法による文型・文法事項積み上げ方式という共有された考え方があると言う人がいるかもしれません。それはたしかにあります。しかし、「直接法による文型・文法事項積み上げ方式」と言う場合には、「従来の」や「これまで行われてきた」などの限定がつくでしょう。ですから、直接法による文型・文法事項積み上げ方式は、現在では必ずしも大部分の教師が共有し合意する考え方とは言えません。もちろん、特定のコース企画・計画において、「本コースでは、直接法による文型・文法事項積み上げ方式の考え方に基づいて教育・指導を行う」と宣言することは可能ですが。中級段階についても、上級段階についても、同じように、共有され合意された考え方があって多くの教師の間で共有されている状況とは言えないでしょう。
そのような事情を考えると、教育の企画・計画においては、その教育では日本語の習得や習得支援に関してどのように考えるのかを明示的に表明して、教師間で共有する必要があることがわかります。そして、100%合意することはないにしても、そこで表明されている考え方を教師は十分に理解する必要があります。そのような共有と理解があってこそ、企画・計画された教育が適正に実践されるものと考えられます。
2-2 日本語の習得と習得支援についての考え方
日本語の習得と習得支援についての考え方をも含む教育の企画・計画は、業務仕様書に喩えることができます。しかし、業務仕様書とはやはりかなり性質が異なります。日本語教育においては、専門的な知識と技能を備えた教師が、学ぶ主体、日本語習得の主体である学習者において所期の日本語力(Japanese language capacity)が形成されるように、自身で考えて適切な判断をして適切な行為をすることが求められるからです。そして、授業という教師の仕事の主要な舞台では多くの局面で即興的な判断と機動的な行為が求められるからです。
逆に言うと、教師による判断や行為の範囲を狭める企画・計画や、教師による即興を抑制する方向の企画・計画は優れた教育実践を創造するものとはならないだろうと筆者は見ています。上で言及した直接法による文型・文法事項積み上げ方式に基づく企画・計画は、教師による専門的な判断や行為を狭め、教師による即興性や機動性を抑制する企画・計画です。
優れた教育実践とは、学習者がその中に置かれて受容的な活動を含めたさまざまな活動に従事することで日本語力を伸ばすことができる豊かな日本語習得環境を提供する教育実践です。そうした教育実践を創造するためには、教育の企画・計画は、専門的な教師の高度な判断と行為等を阻害しない緩やかなものであるのが適切でしょう。そうした企画・計画では、教師の考え方を深め視点を広げる日本語の習得と習得支援についての洞察のある考え方が同時に提示されるでしょう。
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