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文化庁の日本語教育の参照枠と標準的なカリキュラム案を再考する② —「実際的な生活活動の領域」と「人とつながる活動の領域」という2領域を

サマリー
Ⅰ.「生活」の中に「実際的な生活活動の領域」と「人とつながる活動の領域」という2領域を設定する。
Ⅱ.カリキュラムとしては「人とつながる活動」が基礎となり、それに徐々に「実際的な生活活動」を入れていく。

 昨日の発信の続きです。今回は、昨日の提案を新たなカリキュラムの指針としてまとめると!という話です。

1.「実際的な生活活動の領域」と「人とつながる活動の領域」という2領域
 従来のカリキュラム案では「生活のために必要な生活上の行為」のみが採り上げられています。つまり、「実際的な生活活動」ばかりに目が向けられているわけです。
 しかし、人が人として生きていくことには、他の人と交わってお互いのことを話し人生を分かち合うというのが重要部分として含まれます。それは近所に住む住民相互でもそうですし、仕事で出会う人との間でもそうです。交わってお互いのことを話すことで、人は人を一人の「人」として遇してこそ、ラポール(心の通い合う心理関係)や「この人はちゃんとした人、信用・信頼できる人だ」という気持ちも生まれてきます。自分のことを何も話さない人と心を通わせたり、信用・信頼したりすることはほぼできないでしょう。
 生活者の活動のこの部分を、「実際的な生活活動」に対して、「人とつながる活動」と呼びましょう。
 従来のカリキュラム案では「実際的な生活活動」の領域のみを扱っています。カリキュラム全体として、まずは明確に、「実際的な生活活動の領域」と「人とつながる活動の領域」という2つの領域を設定しなければなりません。

2.「人と交わる活動」は場面フリー
 「実際的な生活活動」は、いわゆる場面というものを想定することができます。しかし、「人とつながる活動」は、いつ、どこでも起こり得るという意味で遍在的(ユービキタス、ubiquitous)あるいは場面フリーです。場面フリーの「人と交わる活動」はいわゆるニーズ分析からは出てきません。
 「人とつながる活動」を構成する主要素は、話題です。ですから、「人とつながる活動の領域」のシラバスは、場面シラバスではなく、話題シラバスとなります。「場面」はありません!
 そして、話題については、CEFRのA2に至るまでのレベルの「全体的な尺度」や「長く一人で話す:経験談」などで、各習得段階にふさわしい話題が一定程度列挙されています。このあたりを参考にして、適切な「人と交わる活動の領域」の話題シラバスを策定するべきです。

3.これまでのやり方の陥穽 — ニーズ分析からカリキュラム企画への橋渡しの不在
 コミュニカティブ・アプローチの影響を受けた1990年以降の日本語教育では「学習者の将来の日本語使用場面を明らかにしてそこで行われる言語活動に注目することが重要で、そのためにはカリキュラムの策定にあたりニーズ分析(target situation analysis)が必要だ!」と言われてきました。
 結論的な話をわかりやすくすると、ニーズ分析(target situation analysis)に基づくカリキュラム企画は、一定の基礎的な言語能力をすでに有している学習者の場合には有効です。しかし、初習者や基礎的な言語能力がまだ身についていない学習者にはほぼ無効です。「基礎」がない上に建物を建てることはできません。
 ニーズ分析云々の議論では、たいてい、そうした日本語習得の段階性というような観点が欠落しています。適正なカリキュラムを企画するには、ニーズ分析で明らかになったゴールに至る「段階」を割り出さなければなりません。そうでないと、筆者がしばしば「警告」しているフレーズブック・アプローチ(ただただ実用的な表現を丸暗記するしかない方法)になってしまいます。

4.まずは「人とつながる活動の領域」で基礎日本語力を
 3で言った「段階性」について言うと、生活者のカリキュラムとしては、「人と交わる活動の領域」で基礎的な日本語力を身につけることが先行することとなります。そして、基礎的な日本語力がある程度身についてきたら、それを基礎として実行可能な「実際的な生活活動」の生活上の行為の要素を入れていく、というのが適当でしょう。
 わたしの知っている範囲では、千葉市国際交流協会やCINGAでの日本語教育はそのようなカリキュラムを採用しています。静岡市も今後はそのような方向に進むと聞いています。島根は、従来より「人とつながる活動」を重視したカリキュラムを実施しています。

 ニーズ分析というのは、日本語教育をより有効なものへと発展させる重要な観点だと思います。しかし、ニーズ分析だけでは不十分です。それに加えて、適正な教育の企画という観点が必要です。そして、現在進みつつある教育モデルの開発という仕事においては、適正な教育の企画という観点こそ欠かすことはできません。

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