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第二言語教育の「常識」 ─ 基礎日本語教育を考える(2)

 今回の目次は以下の通りです。
1.教育企画とインストラクショナル・デザイン
1-1 インストラクショナル・デザインとは何か
1-2 教育企画とインストラクショナル・デザインで重要なこと
1-3 プロフェッショナルの仕事

1-1 インストラクショナル・デザインとは何か
 一人の人が何かのプロジェクトをしようとする場合には、その展望も青写真も計画もその人の中にあって具体的な状況に適宜に対応して軌道修正しながらそれを進めてもよい。しかし、そうした場合でも、そのプロジェクトが繰り返し行われる場合は、そのプロジェクトに関する知識や技量の向上とともに、そのプロジェクトのためのリソースも蓄積・整備されて、やがてはもはやリソースを作らなくてもそのプロジェクトが実行できるようになる。そして、その場合のリソースは、自分自身が趣旨がわかってうまく活用できるリソースであればよい。この話は、例えば、90分授業が週に1コマで15週間、計15回の中級後半の学習者集団の向けの一般的な待遇表現クラスを、3年間6学期任されたとしたら、3年目くらいには、納得できるカリキュラムができて、もはや教材やタスクシートなども作る必要なく授業実践ができるようになるのではないか、というような話です。ただ、4年目に、あなたがその待遇表現クラスの担当を降りて他の人がそのクラスを担当することとなった場合に、必要なリソースがあってそれを引き継いだとしても、その新しい先生が「3年目のあなた」と同じように優れた教育実践ができるかどうかは「?」です。すべてのことやものを「他の人に代わってもできる」ように余程意識して「残す」ようにしないと、「教材とタスクシートの使い物にならないブツ」だけが残ります。
 インストラクショナル・デザインというのは、一般的には、学習環境調査やニーズ調査や関係者の要望調査などに基づいてコースの目標を設定し、その目標が着実に達成できる教育プログラムを計画することだ、と言われます。そして、インストラクショナル・デザインの次には、それを活用した学習指導を通じて所期の目標を有効に達成できるように教材やワークシートなどのリソースを制作することが来ます。さらに、そのコースがこれまでにない新たな種類のものである場合は、実際の学習指導を担って教育を実践する教員の配置と教授技量の蓄積や研修や養成なども視野に入れておかなければなりません。この3つの要素を包括したものが教育企画です。以下のようになります。

       (1) インストラクショナル・デザイン
 教育企画  (2) 教材制作
       (3) 人員配置

 このように考えると、新たな種類の教育企画というのは、一つの事業(enterprise)のように見えます。そう、新たな教育を計画し開発しそれを実行し、普及するというのは、一つの事業です。

1-2 教育企画とインストラクショナル・デザインで重要なこと
 教育企画が一種の事業であるなら、事業計画が重要であることがわかります。そして、ビジネスではなく教育の場合は、事業を支える根幹はデザインされたプログラムと教育の実践を支えるリソースです。
 プログラムとリソースは、教育の成果に直接に関与する要因ではありません。むしろ、それらは、学習者による学習、教師による教授実践の方向性を指示し、その学習従事や教授実践の中身を経由して、教育成果に影響すると見るべきでしょう。ですから、「プログラムが優れているから優れた教育成果を挙げることができる」とか「リソースが優れているので優れた教育成果が上がった」とは直接には言えません。逆は、言えます。つまり、「プログラムが拙劣だから教育成果を挙げることができない」や「リソースが稚拙なので教育成果が挙がらない」とは言えます。その場合は、プログラムが拙劣なので、日本語上達に資する優れた授業をイメージできて実行できる教師のそのポテンシャルな優れた教育実践を阻んでいるわけです。リソースも優れた教師には役に立つ代物になっていないということです。
 ここで、言語教育における教材とリソースの違いについて話しておきたいと思います。教材とは、具体的な授業活動が想定されていて、それを実行するために用意されるものです。一番わかりやすい例は、助詞の穴埋め練習のプリントや、活用練習や文の変換練習などのプリントです。こうしたものは、まさにその操作を学習者にさせることにしか役に立ちませんので、教材となります。それに対し、テーマ中心の教育でテーマを導入しそのテーマについて一定の情報を提示しまとまりのある議論をしている本文はリソースです。当該のユニットには設定されたテーマがあり、その冒頭でその本文が用意されているわけで、授業を実践する教師はテーマをめぐる学習活動の材料としてその本文をいろいろな角度で多種多様に活かして学習活動を豊富に展開することができます。タスクシートは学習者を特定の活動に導くために用意されるものですが、実際には教師のそのタスク活動への導入、方向づけ、励ましなどで学習者たちが実際に従事する活動の質が左右されるので、やはりリソースと言っていいでしょう。
 日本語教育の目的は、学習者における日本語の上達を支援し促進することです。ですから、日本語プログラムは、学習者における日本語上達の経路を反映したものであることが重要です。日本語の教授と学習は、結局のところユニットというような単位に区切られて、一連のユニットをいわば一つずつ階段を上がっていくように進行していくわけですから、その経路が日本語上達の経路を反映しているのが適当だというのは当然の帰結だと思います。「基礎段階の日本語教育の目標は、基本的な文型・文法事項と基礎語彙を習得し、それらを組み合わせて正しい日本語文を自在に作れるようになることである。そして、その目標を着実に達成するためには、文型・文法事項の積み上げを柱として基礎語彙も着実に習得できる言語事項中心のプログラムが有効である」というのは、学習者における日本語の上達という日本語教育の本来の目的から目を背けて目標をすり替えており、そのすり替えた目標を達成するプログラムを策定していることとなります。そして、そのプログラムは本来の日本語上達というねらいを達成することはできないでしょう。
 上の議論を踏まえた上で、言語教育(日本語教育)の教育企画とインストラクショナル・デザインで重要なポイントを列挙します。
(1)プログラムは日本語上達の経路を反映したものであること。そして、発達促進的で無理のないものであること。
(2)プログラムは、学習者にも教師にも(教育管理者にも)、わかりやすく「見えやすい」ものであること。
(3)教育企画の一環としては、基本的なリソースを用意すること。基本的なリソースとは、学習活動と教授活動を方向づけ、学習と教授を支援し促進するが、優れた教師の伸び伸びとした実践を制約しないものである。
 教育企画としては個々までです。授業を実施するためのさらに教材が必要な場合は、それは授業担当教師による教授活動という仕事の範囲のこととなります。
 インストラクショナル・デザインの「デザイン」という言葉には、何を教えるかを決めたり、教育活動を「指定」するような響きがあります。しかし、インストラクショナル・デザインの趣旨はそこではなく、「日本語上達促進の青写真」を示すことです。ですので、今後は、インストラクショナル・デザインという言い方はやめて、教育企画だけにしたいと思います。上の(1)から(3)で言うと、プログラムの策定と基本的なリソースの制作までが教育企画となります。

1-3 プロフェッショナルの仕事
 教育企画者と授業担当教師は、高度専門職としていわば同列に並ぶ者、同列に並ぶべき者です。教育企画者が新たな教育企画を提案して、それを実施するために、必要な企画書とカリキュラムと教材を用意して、その企画の趣旨を説明したときに、丁寧に説明してもよくわからないということでは、高度専門職失格です。新たな教育企画の説明を聞いて、速やかにその趣旨を理解して、自分なりの授業のイメージを思い浮かべることができてこそ、高度専門職の教師です。また、上のようなプログラムの枠組みで提供されたリソースを活用して自身の授業実践をますます向上させることができるのが高度専門職の教師です。単にオーソドックスな方法でそれらしい授業を実施することができるだけで、代替的なアプローチを提案されたときにそれを理解することができず、ましてや新たな教育実践の創造に参画することもできない教師は、専門職とは言いがたいでしょう。

 優れた教育実践を創造したいという気持ちが強いあまりに、ちょっと辛口の議論になったかもしれません。今回は、このへんで。

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