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「難民認定には裁量がある」というのが誤りであることを痛風に置き換えて考えてみた

日本の難民認定率が余りに低くて、きちんと保護すべき保護されていないということを言うと、いや、それは裁量があるのだからと言われることがしばしばあります。

なので、それは誤りであることをできるだけわかりやすく書いておこうと思いました。最初の部分は固くてわかりにくいので、できれば最後まで読んでみて下さい。

政府・国連の見解

平成27年2月26日付中西健治議員による「難民認定申請に関する質問趣意書」で、

法務大臣による「難民である旨の認定」(出入国管理及び難民認定法第六十一条の二第一項)は、覊束行為か。

との質問がされました。

「羈束行為」かどうか、というのは、分かりやすく言うと、裁量がないものと考えて良いか、という質問です。


これに対する政府の回答は以下のとおり。

出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年政令第三百十九号。以下「入管法」という。)第六十一条の二第一項に定める難民の認定は、難民の地位に関する条約(昭和五十六年条約第二十一号。以下「難民条約」という。)第一条の規定又は難民の地位に関する議定書(昭和五十七年条約第一号)第一条の規定により難民条約の適用を受ける難民の要件を具備していることを有権的に確定する行為であり、入管法第六十一条の二第一項の規定は、当該要件を満たすと認められる外国人については、難民の認定をすべきことを定めたものと解している。

持って回った言い方ですが、羈束行為=法令が行政行為の要件および内容を完結的に,しかも一義的な文言で定めている場合、なので、羈束行為、つまり裁量行為ではないと認めています。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)作成の難民認定基準ハンドブックでもこう書かれています。

28. 人は、難民条約の定義に含まれている基準を満たすやいなや同条約上の難民となる。これはその難民の地位が公式に認定されることに必ず先行しているものである。それ故、難民の地位の認定がその者を難民にするのではなく、認定は難民である旨を宣言するものである。認定の故に難民となるのではなく、難民であるが故に難民と認定されるのである。

痛風に置き換えてみる

専門的でわかりにくいですよね。

では、「難民」ではなくて、「痛風」に置き換えてみたらどうでしょうか。

15年ほど前に、左足親指の付け根が尋常ではないくらい膨れ上がり、紫色になりました。真冬でしたが、布団を掛けるだけで激痛。毛布が触れるだけでも激痛。痛みで寝られない夜というのは生まれてこの方あの夜だけです。

翌朝、病院に行きました。雪交じりの雨が降っていました。が、激痛のため靴下もはけず、靴を履くなどとんでもない状況。素足にサンダルを履いていましたが、サンダルの上のところが親指の付け根に当たって痛くて履くことすらできず、病院の駐車場から病院入り口まで、雪交じりの雨の中、片足裸足で歩いて行きました。

問診票に症状を記入します。これが世に言う、風が吹いても痛いという「痛風」。決して大げさな表現ではないな。自分が「痛風」というのは、ネット検索などするまでもなく、ド素人でもわかります。

30分くらいして呼ばれました。患部を見るなり、医師は

「痛風ですね」

いや、わかっているから!!!

このとき、先に引用したUNHCRハンドブックの言葉が身に染みて分かりました。私は前の晩から痛風発作に襲われていたのであり、翌日医師に診断されてはじめて「痛風」患者の地位を獲得したのではありません。

置き換えてみます。

人は、血液中の尿酸値の基準や症状を満たすやいなや「痛風」となる。これはその「痛風」の地位が公式に認定されることに必ず先行しているものである。それ故、「痛風」の診断が私を「痛風」にするのではなく、診断は「痛風」である旨を宣言するものである。診断の故に「痛風」となるのではなく、「痛風」であるが故に「痛風」と認定されるのである。

もしここで、医師が私の足を見て、「痛風」ではない、これは単なる打撲傷だ、と言ったとしましょう。

それは「裁量」ではなくて、単なる誤診です。尿酸値下げないといけないのに、湿布貼って終わりにされたらたまったものではありません。

ついでに言うと、こういう誤診がされて痛みが収まらなければ、ちゃんともう一度診てくれとか、あるいは別の病院に行きますよね。難民申請は別の病院に行くわけにはいきません。これが難民申請が2度3度繰り返される由縁です。

法律用語としての「裁量」

在留特別許可や仮放免不許可処分を争う裁判では、国は法務大臣等に広範な裁量があると主張してきます。ここでの「裁量」というのは、裁判所の判断が及ばない領域であるという意味です。

難民認定において事実認定をしてそれを条約上の要件に当てはめる作業の中で、判断権者によってブレが生じることはあり得るので、その意味で、一般用語としての「裁量」という言葉を使いたくなる気持ちはわかります。

ですが、医師にも同様に、医師によっては診断にブレがありうるからといって痛風を打撲傷と診断して誤った治療を施すのが許されないのと同様、難民についても誤診は許されません。痛風も大人が泣くほど痛いですが、難民はそれこそ命に関わる問題だからです。国によって、あるいは判断権者による裁量があるから裁量があるから認定にブレがあって良いのだと開き直れる問題ではありません。誤診は誤診です。誤診によって命が奪われてはいけないのです。

ブレがないようにするために、UNHCRは上記のハンドブックを作ったり、条約解釈に関する諸々の意見も公表しているのです。

他の病院が診たら100%近くが痛風と診断するような人たちを1%しか診断されなかったら、それは後者の病院側に問題があると考えるのが普通です。もし、その病院が、打撲傷なのに痛風だと訴えてくる患者が100人中99人も集中するのだと説明したとしたら、きっと荒唐無稽と言われることでしょう。

15年以上前にこんな本を出させてもらったこともあり、難民関係の裁判例はずいぶんたくさん読みました。実際の裁判で国の主張もたくさん見ています。難民不認定を争う裁判で、国側が「裁量」を持ち出すことはないですし、裁判所が「裁量」を用いることもありません。


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