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ヴィパッサナー


瞑想って言うと、怪しまれる。だから、メディテーションと言ったり、座禅組んでるんだ、と人には言う。ということで、できる限り明快に、まとめてみました。

ゴエンカ氏のヴィパッサナー・センターは、世界に200以上あり、毎年20万人が参加しているそうだ。参加者は、特に限定されない。キリスト教徒でも、ムスリムでも、ユダヤ教徒でも、ジャイナ教徒でも、ヒンズー教徒でも、仏教徒でも。最初に受けたコースの先生はあからさまにヒンズー教徒だった。ゴエンカさんもそうなんじゃないかと思う。ゴーダマ・シッダッタ(釈尊、俗に言う、仏陀/悟りを開いた人の総称)がブッダガヤの菩提樹の下で、精神を集中させ、悟りを開いたというのは有名な話だが、何をしていたかと言うと、それがヴィパッサナー瞑想だ。

実際にどんなものか。ズバリ、八正道を極めるためのトレーニング、だ。八正道は、釈尊の初めての説法、つまり初転法輪で説かれている重要な気づきだ。そして、もう一つ、十二縁起がキーとなる。八正道&十二縁起、これをどうやって活用するかというと、ヴィパッサナー瞑想すべし、となる。
ここで気になることが、2つ。
1つ目は、やっぱり仏教?、って疑問。正確に言えば、前述どおり、釈尊の気づきだ。気づき、というのは現実を発見しました、ってことで、釈尊が生み出したわけでも、神様がくれたもんでもない、ってこと。Law of Nature  つまり、釈尊の教えってNature Science、自然科学だ。
余談だけど、ニュートン力学を超え、相対性理論・量子力学的な世界観をも含んでいる。ビックバンの宇宙誕生と釈尊の言う『さざ波から全てが生まれた』はイコールだと思う。ということで、人を区別する枠組み=宗教・宗派とは無縁です。結構、日本人より欧米人に人気があるようです。
2つ目は、どうして今更?…問題。インドでは釈尊の死後の年月で、正しい瞑想法が失われていたらしい。それがミャンマーでちゃんと受け継がれていた。ミャンマー在住インド人のゴエンカさんが、受け継がれてきた瞑想法を学び、それをちゃんと体系化し、世界中に広げて今に至る。釈尊の前にもヴィパッサナー瞑想はあったらしいから、釈尊が生み出したものでもない。もっともっと大昔の産物みたい。釈尊もそうだけど、ゴエンカさんのすごいところは、これを広めたことにあると思う。彼はもともとビジネスマンだ。
最初は瞑想やって根を上げたらしい。コツコツ受け継がれてきたものを体系化し、広げる。それも、基本、受講料なし。寄付で成り立つ。ソーシャルビジネスのハシリ、かな。先生も皆、無給です。利益搾取せずに投資に回してこれだけ広げてるのが異質だけど、グラミン銀行のユヌスさんとか、BOPのプラハードさんとかと比べても見劣りしない功績と才能と信念を持ったビジネスマン、というのが僕のゴエンカさん評です。

さて、ヴィパッサナー瞑想コースで何をやるかというと、八正道を成し遂げるためのトレーニング方法を学びます。
まずは、戒めを守ることを宣言します。これは、八正道の3-5、正語・正業・正命です。まずは守るべきルールを守らにゃ何もできん、ということ。
次が、正しい集中力を完成させること。八正道の6-8、正精進・正念・正定です。ヴィパッサナー瞑想では、"ありのまま"の呼吸を"ただ単にそのまま"観察することを行います。これが難しい。呼吸って、無意識にやってるけど、自分でどうにも変えられる代表的なもの。これを観察するだけって凄い難しい。今でも、なかなかできない。でも、できたときは、ホント心が落ち着いている。
最後に、智慧。真実を見、経験して真に理解すること。八正道の1-2、正見・正思惟です。そのうちでも、正見こそが最終目標。ヴィパッサナーとは"見る"ってこと。具体的には、頭の先から足の先まで隈なく、それぞれの感覚をそのまま認識するトレーニングです。感覚をそのまま見、反応せず、全ての感覚が無常であることを真に経験して知る。他のことを考えたりせず、ただ観察して、反応しない。この反応しないってのが大変なのだ。結構、身体にバイブレーションを感じるので気持ち良かったりもするんだけど、わーい(⌒▽⌒)って喜んじゃダメ。反応しちゃダメ。うん…ってぐらいの、静かな認識程度で。
ここで十二縁起がでてきます。苦しみに至る原因と結果の連鎖を止めるのだ!十二縁起の"受"のところで。感覚を受けると反応して渇望が生まれる。
ここで止めてしまえば、連鎖から逃れられる。快でも、不快でも、無関心でもダメ。感覚にただ気づく、それだけが道である、と。これらを、もっと細かく、少しずつ、10日間かけてじっくりトレーニングしていくのがヴィパッサナー瞑想コースです。

そんななんで、自らに集中すべく、他・外とのコンタクトを最大限慎みます。他瞑想者との接触もアイコンタクトさえも禁です。沈黙を貫きます。Noble Silence。やっぱり習慣と指摘が落ち着くまでに最低10日間は必要だし、自己流で真似ても、僕らが誰かに教えても、そう簡単には正しく伝えられないから、コースに入らねばなりません。ほんとに正しくなければ、ちゃんとしてなければ全く意味がないわけなんで。
最後に、僕は悟りを開きたいのか、それが最終目的かと聞かれたら、最も×に近い△です。ヴィパッサナーは"生きる技"とされています。Technic of Life  毎朝毎晩一定時間修業に励み、リフレッシュし、正しく生き、少しずつ前に進むこと。一歩でも二歩でも前に進み続けること。正しい道を行くこと。
『大人とは、良心に素直に生きている人のこと』ってここ20年くらい考えてきたのですが、僕の思ってきた良心こそが八正道であり、素直に生きることが現実をそのまま認識することであるとすると、自分がずっと目標にしてきたもの(大人)が、実はブッダが説いた道と同じであると言え、これに気づいた時、つまりヴィパッサナー瞑想コースを受けた時、自分がやってきたことに間違いがなかったのではと思えた、正にその時でした。
それが2011年の10月。2008年9月から始まった僕の世界一周の旅の終盤であり、精神的な終着点でした。この時に、帰ろう、って後悔なく思えたのでした。正直なところ、厳しいプレッシャーの中で頑張っている人にこそ、ヴィパッサナーやってほしい。のんびり生きてる人や、浮世離れして生きたい人より、ね。心の健康を保ち、ポジティブに、夢と希望を持って生きて行こうと頑張っている人達に!この文章には異論もあるでしょうが、
それほど間違ってもないと思います。

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