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この世に恋愛がなかったら

僕が最初に恋愛と認識したものは小学校4年生の頃。

当時トイ・ストーリーというディズニー映画がやっていて、みんなで観に行くことになった。

男女3対3で、そのうちのひとりを好きになったのだ。

後から聞いた話では、男子3人とも同じ人を好きになっていた。

好きになった人は、咲さん(仮)という。

咲さんは転校生だった。

その美貌に、教室が湧いた。

誰もが咲さんを目で追っているのがわかった。

そして、自分もいつしか咲さんを意識していることに気づいた。

今思えば、声も魅力的だった。

透き通るような、相手の領域に決して土足で上がらない優しい声。

よく笑い、人に興味を持てる人でもあり、誰もが彼女を愛した。

彼女が特別であることはわかっていた。

ただ、その感情の正体はわからなかった。

今まで、特別な異性の友人と遊ぶことはあった。

とはいえ、身近で自分とよく遊んでくれる人という認識しかなかった。

咲さんに抱くものは、苦しさに似たようなものを感じた。

同じクラスのみんなのことが大好きなのに、誰にも渡したくない独占欲があった。

毎日、何でもいいから話すきっかけを考えた。

いい人になろうとこだわった。

物が落ちれば真っ先に拾う。

掃除で手伝えることがあれば率先して動く。

すれちがう度に、挨拶だけでなく彼女を笑わせるのに必死になる。

彼女の前だと、舞い上がりすぎて先生に怒られることもある。

彼女を見つめながら走り出して、クラスから出てきた人とぶつかり泣かせてしまうこともあった。

先生に「廊下は走っちゃダメでしょう。どうしてそんなことをしたの?」と聞かれると、何も答えられなかった。

彼女が振り向いてくれたらそれでよかったなんて、口が裂けても言えなかったのだ。

先生に怒られることすら、彼女と話すきっかけのひとつにすぎなかった。

咲さんには好きな人がいるのだろうか?

いつしか、それが気になって咲さんと一番仲のいい優香さん(仮)に相談した。

優香さんは、何でも頼れる優等生だった。

頭がいいしスポーツ万能、通っている塾でも成績がよく有名だったらしい。

少し、話しかけにくい空気は持っていた。

それでも、聞かずにはいられなかった。

咲さんのことを聞いてみると、複雑な表情で僕に応じた。

「君もか」

君も?

どうやら、優香さんは他のたくさんの男子から咲さんのことを聞かれていたとのことだ。

咲さんが男子から人気であることはそこで知ることになった。

自分だけが密かに抱いでいると思ったこの感情は、教室中に広がっていたようだ。

「咲ちゃん、かわいいよね」

何も言っていないのに、優香さんは窓のほうを見ながら核心をつく。

この感情は、漏れるものらしい。

頷くことも否定することもできなかった。

言葉に詰まる。

ごはんを詰まらせることはあっても、言葉が詰まったことは記憶にない。

自分だけの特別な、大切にしたい密かな感情を知られたくなかった。

知られていることはなんとなく察した。

それでも、「やっぱりそうか」なんて思われたくなかった。

これは僕だけのものなんだ。

たったひとりの人のことを毎日、朝起きて夜寝るときまでずっと考えている。

そんなことは今までなかった。

ある日、稲妻が僕に降ってきて、世界は変わってしまった。

当時やっていたファンタジーゲームのように、飛空艇もクリスタルもない。

いつもの教室に輝いている彼女がいるだけだ。

でも僕にとっては、新しい物語の誕生と、進む冒険が、毎日に彩りをくれたのだ。

僕だけのストーリーなんだ。

「それで、質問の答えだけど」

優香さんの一言で、現実に引き戻される。

そうだった。

僕は、優香さんに聞いたのだ。

咲さんに好きな人がいるかどうかを。

「いるよ」

容赦のないまっすぐな言葉が、僕の心を揺さぶった。

とはいえ、僕は「好き」がどういうことかなんて知らなかった。

だって、自分の感情の正体を理解していなかったのだから。

漫画やドラマに出てくる「好き」というものを言葉から連想していただけだ。

僕にとって、彼女は「四六時中、頭に浮かぶ人」だった。

とにかく彼女が特別と感じる人がいることはわかった。

優香さんにお礼を言うと、どこかから帰ってきた咲さんが微笑みながら言う。

「何話してたの?」

優香さんが僕に視線を送る。

「先生が花壇の水やりを忘れたのが誰か聞いてきたから、みんなに聞いてまわってた」

好きな人がいるのか気になっていた。

でも、好きな人がいるのがわかって、今度はそれが誰なのか気になった。

これでは堂々巡りだ。

彼女に好きになってもらうなんて、幸せにもほどがある。

また、わからない感情が出てきた。

それは、誰かの物がなくなったとき、先生が教室でみんなを問い詰めたときのものと少し似ていた。

先生はあとから僕を呼び出し、疑った。

「なんだかそわそわしているように見えたんだけど」

上の空なのは認める。

だって、彼女のことしか考えていないんだもの。

ただ、やってもいないことを疑われて、先生を憎んだ。

先生のことは嫌いではなかったけど、このとき初めて信頼の糸が切れた。

先生の言葉を疑うようになり、ふざけてからかうようになった。

彼女が好きになった人だ。

本来であれば、尊敬に値する。

でも僕はどうしようもない人間だから、嫌な気持ちになってしまった。

僕の心はどうしてしまったんだろう。

彼女だけでなく、彼女が想う誰かのことも考えてしまうなんて。

「お前も行く?」

友人から、映画の誘いを受ける。

週末、教室中で話題の「トイ・ストーリー」を観に行くということだ。

男子3人、咲さん、優香さん、もうひとり女子がいる。

願ってもない。

数秒も待たずに返事をする。

後から、こんな態度では極秘の感情にまた気づかれるか心配になる。

当日、現地で集合した。

断トツで咲さんはかわいい。

いつもよりさらに輝いていた。

他の男子も見とれているようだった。

みんなでグッズを見ていると、咲さんと友人がパンフレットやキーホルダーを見て盛り上がっていた。

また、苦しい感情が湧いてくる。

みんなが楽しそうなら、それでいいはずなのである。

僕は、彼女と楽しみたかった。

映画で隣に座るチャンスも逃す。

彼女は一番端にいて、男子と女子で分かれた。

それも致し方ないと思った。

映画に集中して感動したものの、やはりここでも、彼女はどう感じたのか気になった。

みんなで感想を言い合った。

さて、結論から言おう。

当時、好きになった咲さんには何も言わずに卒業した。

成人式で小学校の頃好きだった人を暴露する話題で盛り上がった。

なぜだろう、同窓会のようなものがあると必ずカップルが生まれる。

両想いだったなんて知らなかったとか、そんな話もある。

大人になって、当時はまったく興味がなかった人同士も付き合ったりする。

僕は咲さんのことを話した。

そして咲さんが好きなことは、クラス中にバレていた。

驚いたのは咲さんだけだ。

「ありがとう」

笑いながら、そう言った。

なんだかそのとき、胸がほっこりして、この人を好きになってよかったと思えた。

みんなに愛される咲さん、男子に人気の咲さん。

そして、僕が想いを寄せた人。

初恋というのは、よくわからない感情をつかむのに必死だ。

必死になってもがいて、なんとか正体をつかもうとする。

その過程が、夢中になる自分が、不器用でどうしようもない自分が、愛おしく思えた。

恋愛は苦しいこともある。

でも、恋愛は奥底に眠る自分を目覚めさせ、解放させる力も持っていると感じている。

もしこの世に恋愛がなくて、合理的に、効率よく、シンプルに男女が結ばれる社会があったとしたら、なんだか寂しい。

恋愛を生んでくれた人類に、感謝すらある。

というか、感謝しかない。

恋愛があって、よかった。










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