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ドラクロアと静寂

今日はドラクロア美術館に来ました。

サンジェルマンデプレから、セーヌ川に向かって入り組んだ道を進み、お昼時、パリジャンで溢れる活気のある界隈に、再びパリを感じながら、とても静かな道に、ドラクロア美術館の入口はありました。

道に面した表玄関から入ると、小さな中庭を通り、漸く美術館の建物に着きます。どうやらここは、ドラクロアが住んでいた家だそうで。美術館にしてはとても小さいなという印象を抱きましたが、その印象はすぐに拭われるのでした。

小さな受付を通り、階段を上ると、廊下があり、そこに小さな地図がありました。

食堂、サロン、オフィス、そして外に出てから彼のアトリエが別館としてあり、少し大きな中庭があるという作りになっています。

食堂やサロンに飾られていた絵は、複製のものが多く、作品数もとても少ない印象でした。「本物はルーヴルにあり」と、やはりルーヴルの偉大さを感じずにはいられないのでした。

小さな売店の横から、外に出る扉を開くと、中庭に面したアトリエの別館が目の前に現れます。緑の小さな扉を開けると、ボルドー色の壁紙に囲まれたアトリエに到着しました。

入ってすぐ右にある小さなスペースに、彼が使っていたパレットが。恐らく木製で、使われ込まれた跡があり、へばりついた絵の具は石のように固まっていました。

奥に進むと、彼の作品、本物の作品が出てきます。砂漠のマドレーヌはどこかで見たことがあったので、すぐ目に留まりました。暗闇から浮かび上がる女性の顔、明るい肌色と背景、そして木と思われる茶色と彼女の栗色の髪の毛。説明書きとともに顔を寄せて絵を見がちになりますが、この絵は遠くから離れてこそ、良さが、彼女と絵の美しさが引き立ってくるように感じられました。

そういえば、ドラクロアといえば、僕は直ぐにボードレールが、彼の作品、「シオの虐殺」(ルーヴル美術館所蔵)について論じたこのような言葉を思い出します。

「人々はこの絵の題材に捕われて、その歴史の悲劇さに感動させられている部分があるが、1度この絵を離れて見てみると、彼の色使いの美しさに圧倒される」

正確な彼の言葉は忘れてしまいましたが、彼はロマン主義の大巨匠であったけれども、それと同時にその後の時代に芽生えてくる、形よりも色を追求した印象派の息吹を感じさせる、と小林秀雄さんは解釈しています。

ボードレールが論じた絵は、砂漠のマドレーヌとは違いますが、僕はこの絵においても、ボードレールの仮説の正しさを再確認しました。

コントラストと、色使いの美しさ。これがドラクロアのエッセンスではないかと、彼が使っていたパレットにこびりついた絵の具の塊を見て、僕は思いました。

そのいくつか隣には、有名な「民衆を導く自由の女神」のデッサンが。この絵については以前勉強していたため、このデッサンの後、様々なインスピレーションと、実際の五月革命という事件を土台にして作られていった、その事を思い出すとなかなか感慨深い1枚でしたが、詳しくは忘れてしまったため、また勉強し直そうと思いました。

さて、アトリエの建物を出た後、そこには静寂と緑に包まれ、明るい緑色の椅子が点在する中庭に着きました。

パリではなかなか見つけられないこの静けさ。僕は椅子に腰かけ、目を閉じ、静寂に身を委ね、少し冷たいパリの空気を吸い込みました。

なんて居心地のいい中庭なんだろう。広く美しい自然と彫刻に囲まれたロダン美術館を僕はとても好きでしたが、この雰囲気もまた、僕の心を優しく刺激するのでした。

(追記:どうやらこの中庭は2012年、"monsieur Kinoshita"によってリノベーションされたそうです。庭園師なのか、企業なのか、正確な情報を見つけられることは出来ませんでしたが、日本が携わって、こんなにも美しい空間を生み出している、なんだか嬉しくなりました。)

目を開けると、少し先に、学生と見られる子が、スケッチブックに鉛筆を走らせています。メガネ越しに笑顔を見せながら、静寂の中自然と、ドラクロアと対話しているあの子の雰囲気が、この中庭をより魅力的なものにしています。ああ僕も、この文章をノートにゆっくり書きたかったけれど、不幸なことにノートに書くと、文章が進まない、美術館の中で文章を完成させるには時間がかかるのです。こんなにも美しい静かな場所で、スマートフォン相手にこの文章を数十分も書いているのが少し恥ずかしくなりました。

ドラクロアが実際に住んでいたからでしょうか。彼の芸術に対する生き様、彼の呼吸を感じることが出来た、それは他の美術館にはなかなかない魅力だと思います。少し、町田の武相荘が更に恋しくなりました。

雨が降ってきた。少し寒くなってきたし、そろそろ帰るとしよう。

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