映画『ランウェイ』に取り組む理由

朝、目が覚めて、もし目を開けても何も見えなかったら…と思いながら恐る恐る目をひらき、光を感じてホッとする…。
当たり前のこと。当たり前でないこと。
それをあらためて映画で問う。

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2015年6月、映画のちからで「心のバリアフリー」を広めるための任意団体「バリアフリー・フィルム・パートナーズ」を立ち上げました。

最近、この会を立ち上げたきっかけを聞かれることが多いので、少し書きたいと思います。

契機となったのは、2009年、私・帆根川の脳内にAVM(脳動静脈奇形)という生まれつきの脳血管疾患があることが判明し、一時的に目が殆ど見えなくなるという体験をしたことです。

それは、劇場映画デビュー作となった『エンプティー・ブルー』が完成し、全国での公開を終えてひと息ついた頃のことでした。

PCに向かっていつものように仕事をしていると、突然、視界の中央よりわずかに左の部分に、鮮やかな赤・青・緑で構成された小さな光の幾何学模様が明滅しはじめたのです。それはまるで壊れたPCのディスプレイを見ているようでした。

おかしいなと思い、横になって目を閉じましたが、なんと目をつぶってもその光は眩しいほどの明るさで1秒間に2回の速さで点滅し続けました。「なんだこれは」と一人でつぶやいていました。しかも、冷静になって観察してみるとその光は両目の同じ場所に存在しているようです。これは目の異常ではなく、何か得体のしれない脳の異変だと確信しました。

まぶしさを我慢しながらしばらく休んでいると光は収まり、次に両目の視野の左側が灰色になって、見えなくなりました。目が半分見えないのでは仕事は無理なので一度眠ることにし、起きたら視野が回復していたので、仕事に戻りました。

でも少しPCで作業をするとまたあの強烈な光が現れ、もうどうしようもないので救急病院に行って診てもらうことに。病院の待合室にいる間、視野はどんどん狭まっていき、真ん中を少し残す程度にまでなりました。

診察室で症状を説明してもなかなかわかってもらえず、「偏頭痛の一種でしょう」などと言って帰そうとする医師に懇願してやっとCTを撮って貰えることに。検査が終わり台から降りようとすると、車椅子が用意されていて、それに乗るように指示され、精密検査のため即入院することになりました。当初の診断は、「脳出血の疑い」。止血剤の点滴も入れられました。

翌日、精密なCTとMRI検査を経て、脳出血ではなく破裂寸前の「AVM(脳動静脈奇形)」という病名が告げられました。

この病気は生まれつきの脳の血管の奇形が原因で、ナイダスという血管の塊が生じています。これが膨張して周囲の脳神経を刺激したために視覚異常を起こしたのではないかと思います。

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帆根川のAVMは大きさ約2cmで後頭葉にありました。後頭葉は主に視覚に関連する箇所だそうで、そのままにすると年に2%の確率で破裂するそう。AVMは動脈と静脈が奇形血管により直結してしまっているので、流れが速く、破裂すると命に関わり、助かっても失明や麻痺などの重篤な後遺症を生じるとのことでした。

とはいえ、開頭して手術するのも難しくリスクがあるので、いろいろと調べた結果、最新の放射線治療の一種、サイバーナイフで治療することを選択しました。

保険も適用になるサイバーナイフ治療を受けて、2014年には脳内に病変が確認できなくなるまでに消失し、事実上、治りました。でも、2019年の今でもたまに後遺症と思われる視覚異常が出て、光の明滅のあと両目の左側半分がしばらく見えなくなります。これは一般的な偏頭痛の症状のひとつ「閃輝暗点」とほぼ同じで、一生続くものと思っています。

正確な病名と原因がわかる前、視野がどんどん狭まっていき、真っ暗になっていく過程で、「このまま何も見えなくなってしまうのでは」と思い、とても心細く、もう映画を撮るどころか日常生活もままならなくなるという大きな不安と恐怖に、思わず叫びだしそうになったことをはっきりと覚えています。独身で、老いた両親と猫と細々暮らしていましたが、もしそうなったら両親も猫も頼りにはなりません。

朝、目を覚まし、もし目を開けても何も見えなかったら…と思い、恐る恐る目をひらき、光を感じてホッとする。そんな不安と安堵の日々が、今でもたまに蘇ります。

AVMのサイバーナイフ治療はとても特徴的で、治療自体は1回のみ、1時間程度横になって、コンピューターで精密に計算され制御されたロボットアームが放つ放射線の照射をただ受けるだけでした。その後、経過観察をしながら、3年間待つ、という気長な治療です。事前の検査など数回の通院は必要でしたが、照射自体は日帰りで受けられました。

治るまでの間、MRIでは副作用の脳浮腫がみられましたが、閃輝暗点や軽いめまい、頭痛、悪夢や変な違和感があった程度で、どれもサイバーナイフ照射との因果関係は証明できない症状ばかり。日常生活や仕事にも支障はほぼありませんでした。

そのため、治療中(といっても消えるのを待っているだけ)にも、映画『迷宮カフェ』の企画をし、監督として撮影に参加するなど、わりとハードな映画製作の仕事をすることが出来ました。

先端医療のおかげで無事に治療ができ、しかも保険が適用され、高額医療費制度の利用で治療費も安く済みました。さらに治療中も仕事ができるという、とても恵まれた状況で治すことができて、日本の医療技術と制度の素晴らしさを実感しましたし、その間にサポートしてくれた家族や関係者には本当に感謝しています。

治療中に製作した『迷宮カフェ』は、白血病で娘さんを亡くされたお母さんとの出会いがきっかけとなり製作することになった劇場公開映画です。いわゆる「啓発映画」としてではなく、エンターテイメント作品として何気なく映画館で楽しんでいただきつつ、骨髄提供についての正しい知識を知り、そこにある深いテーマについて考えていただこうというコンセプトで作られた映画でした。

この映画を通じて知り合った方々や、映画の製作に協力してくださった方々の中に、ご自身が骨髄移植を受けて助かったかたや、お子さんが小児がんを克服した経験からがん経験者の就労問題などに長年取り組んでいらっしゃるかたなど、障がいや病気があっても前向きに活躍する当事者やそのご家族がいました。

そのような方々に共感する一方で、自分自身のAVM治療の体験や、幼い頃から体が弱く難病も患ってきた経験から、「障がいや病気があっても活躍できる社会作り」に、映画を通じて取り組みたいという想いが強まりました。

そして2015年、『迷宮カフェ』が無事に公開されたのを機に、このテーマに取り組もうと決意し、バリアフリー・フィルム・パートナーズを立ち上げました。

そんな想いを皆さんと共有する中で、障がいや病気のある当事者の方々をはじめ幅広い分野で活躍する皆さんが会に加わってくださり、一緒に映画『ランウェイ』の脚本作りや資金集め、製作準備を進めて、今日に至ります。

本作でも、堅苦しい啓発映画にするのではなく、あくまでも作品の魅力を最大限に追求して、観たかたがそれぞれの身近なところからテーマを受け止め、考えて貰えるような、心の奥底に届く力のある作品を目指しています。

ある日突然病気になったら、障がいを負ったら、それでもう人生を諦めなくてはならないのでしょうか。元気に活動できるひとだけが自由に幸福になれて、障がいや病気などで不自由な生活を送るひとは、一生不幸でいなければならないのでしょうか。

そんなことは絶対にないと思います。

困難の中にあって必死に幸福になろうと努力すること。そんな姿を見て自分にできるサポートをすること。それは人間にとって当たり前の行為であり、「社会」というものが存在する根本的な原理だと思います。人間は、自分が幸福なだけでは本当の意味で幸福にはなれない存在だと思うからです。

映画『ランウェイ』は製作準備中ですが、この「心のバリアフリー」というテーマに、本当に沢山の方々からの共感と協力が得られています。

映画『ランウェイ』実現への想いは、日を追うごとに益々強くなっています。



帆根川の映画製作活動の励みにさせていただきます。 なお、映画製作費のご支援はバリアフリー・フィルム・パートナーズ( http://barrierfree-film.org/ )が受け付けておりますのでそちらからお願いいたします。帆根川は受け付けておりません。