2021.6.20 主日礼拝 メッセージ「愛と十字架」~イザヤ書~
【イザヤ書 53章4節~10節】
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎のために砕かれたのだ。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主は私たちすべての者の咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、口を開かない。
屠り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。
彼が私の民の背きのゆえに打たれ、
生ける者の地から絶たれたのだと。
彼の墓は、悪者どもとともに、
富む者とともに、その死の時に設けられた。
彼は不法を働かず、
その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて病を負わせることは
主のみこころであった。
彼が自分のいのちを
代償のささげ物とするなら、
末長く子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
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