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8年間運営していたブログを消した

さっき、2014年の5月から書いていたブログを削除してきた。

自分が書いたものを読み返すことはまずなかったが、書き溜めたものが世に存在していることが、自分のお守りのようになっていた。

それはたぶん、
「最悪死ねばいいんだ」という心理に似ているかもしれない。

そのお守りがあるから、日々なんとかやっていられる。

世界が消えればいいと思っていた。
人類が世界に対してしていることに勝手に罪悪感を覚えていた。
自分が世界からなくなればいいと思っていた。

それでも、世界に希望を見出したくて、美しいところを見つけたくて、書いていた頃。

小説を書き、
詩のような言葉の切れ端を書き、
日常を書き、
本を出版した。

わたしの周りには、繊細で傷つきやすい人が集まった。
彼らを、彼女たちを癒やしてあげなくてはならない。
そう思って書き続けていた。

そして今。
わたしは結婚して、子供を持った。

生きたいだとか死にたいだとかを、考えないようになった。

わたしたち夫婦が、そして娘が生きていく世界を、少しでも明るいものにしたいと願うようになった。
たぶんそんなわたしの書く文章は、繊細なかつての同志たちにはうざったく映るだろう。

これからのわたしがやりたいこと。
それはまた別な機会に書こうと思う。

でももう、世界の不完全なところを指摘して、それに慰めを求めることで自分の存在意義をなんとか正当化していたわたしは、死んだ。
満足して死んでいったのだと思う。

だから、彼女の書いた日記も燃やしてやったのだ。

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