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コトバって美化できるんだな

職場でも普段からもあまり過去のことを話さない

自分や今まで見てきたことやしてきたことを否定しているのではなく、自分の性格なのだと思う。それら自体を嫌いな分けでもなく、進んで話題にあげないだけなのかもしれない。食わず嫌い的なところもあるかな。

どちらかというと、ここ数日や数時間くらいの「現在」やこれから来る「未来」についてを話すことが多い。

先日、日本の事件が好きな友人たちと話す機会があり、過去の話題で盛り上がった。もちろん楽しかったし、そのときの心情や苦労のことも出た。

過去の話がさらっと進むことと、笑い話になったこと、「いろいろあったね」で片づけられることで心が満足した。

その反面

自分の記憶って思い出すという仕事をして、そこから自分の都合のよいように変換されて事象として事件として場面として切り取られていくんだなぁと感じた。そしてそれをコトバに出した瞬間に美化されるんだと思った。

でも、それをしていかなければ、それをしていかなければ。

自分の心の歴史を客観視し、ふりかえることが自分を作り上げる大事な作業。

コトバを使う者として、コトバを発してコトバでつながるため、成長するための美化をこれからもしていくのであろうと。


でも、その瞬間で思ったことや感じたことはいつまででも忘れないようにしていきたい。