「熱中」するという「選択」

 今回も確信犯的遅刻投稿です。

 何人かの人生の選択を読ませていただきました。その選択が現在noteという集合体に集まっているということ、運命か偶然か。そんなことを確かめながら今回は記してみました。

 いつの話しかというと、中学生時代の話を。

「初めての試み」

 荒れていた学校に在籍していましたが、私もひねくれもの的に見えないとことで荒れていた。今では中二病と片付けられそうな案件ですが。

 私たちの学年はそんな中、荒れ方が酷くなかったようで、修学旅行で在籍校初めての「班別活動」が取り入れられた。
 その前までの学年はバスツアー的な回り方をしていたらしいのですが、私たちからは観光地をバスでぞろぞろと回るのではなく、班を作り、計画を立て、回る活動に変更になった。
 今では当たり前のように行われていますが、導入当時はいろいろ試験的なことをやったんだと、今更ながら振り返って思い出す。このときの経験が現在の私の「選択」に対する考え方の元の1つになっている気がします。

 さて、その修学旅行の行先は京都・奈良、5月の暑い日。京阪電鉄が地下化された頃のお話です。

 1日目の奈良は奈良公園内を中心に、2日目の京都は東山地区を中心に班別行動をした。

 奈良の計画はうまく行き、鹿と戯れながら楽しい思い出を作ることができた。何故か班別活動の班長にさせられた私には、妙なプレッシャーがあったので、1日目の成功は自信につながった。

「鳴らなくて正解」

妙なプレッシャーの原因は、当時の班別行動はケータイがない中、

「ポケベル」

というものが班長が持たされ、

「鳴ったら、班全員説教」

と言われていたからであった。ポケベルが鳴るときは

・チェックポイントの場所に30分遅れたとき
・何か起きたとき
・その他連絡 

この3つだと、事前の会議で言われていた。


「落としたり壊したら10万かかるからな」

そんなにかかるのなんで、生徒に貸し出すのか、そこまでして班別活動をさせたいのか当時の私は考え、また、行ったこともない場所をどうやって予想を立てたらよいのかとぶつぶつ思っていた。

「計画と実行」

 班の仲間とあーだこーだ言いながら、班長の私はメンバーと共に計画を立てた。1日目の奈良は東大寺近辺だったので、計画を立てやすかったのですが、2日目の東山地区は主にバスと徒歩で回る決まりだったので、みんなが行かないルートを考えて行こうという提案になった。このころから、「人がやらないことに興味をもつ」という頭が働いていた。
 出発前に先生から聞いたのだが、ほぼ9割の班が1つ目のチェックポイントに向かってから散策してるということ、残りの1割が1つ何処かに寄ってからチェックポイントに向かうという計画を立てたらしい。

 私の班はその1割だった。

「1人2役」

 班別の他に部屋班というものも決めさせられた。何故か先生から私が室長に選ばれた。他にもできそうなメンバーがいるのだけれど、「お前ならできる」と言われて任せられた。
 こちらも出発前に先生から聞いたのだが、
「班別行動班の班長と、部屋班を兼任しているのは、全校でお前だけだから、よろしく」
 よく分からないよろしくを言われてしまい、相当なプレッシャーになりつつ、前日までの事前の班長会議と室長会議に何度か出席した。出席するたびに、他のクラスの友人に


「何で、お前2つもやってんの?」


と突っ込まれた。やりたくてやっているわけではないんだけど。

「湯豆腐の味と匂い」

 さあ、時は当日2日目の朝。出発時刻8時30分、班別行動は湯豆腐を食べる12時までにチェックポイントの南禅寺に到着するまで。午前中は計画通りに回ることができた。
 一緒に回るメンバーは男子4人女子4人。くじで組み合わせが決まったのですが、この班には、クラスで人気の男子と女子が1人ずついたので、他の班からうらやましがられた。私としては、「運がいいな」くらいしか思いませんでしたが。
 そんなことよりも、新たな発見があり、今後の関わり方の参考にしようと思ったことがありました。
 それは、その2人がとても体臭がキツかったことなんです。それはもう、生まれつきだろうから仕方ないことなんだけれど、当時は、匂い過ぎて少し離れて歩く形をとっていた。今でいうソーシャルディスタンスですか?そんな感じです。教室ではそんなことを感じなかったのですが、近くで一緒に行動し、それも、暑くて汗をかいていたので、それが分かったのだと。
 これがきっかけて、匂いとか、香りとか大事だとここで感じることができたのですが、まあ、南禅寺の湯豆腐が熱くて、また、その班メンバーと同席して昼食を食べたことで、匂いがして、熱いの匂うの暑いのと複雑な気持ちでおいしい湯豆腐を食した思い出となっております。

「一緒に回ろうか」

 南禅寺の湯豆腐を食べている間、活動班の班長がそれとなくお互いに声を掛けて集まり、少し話した。
「午後、ほとんど一緒に回る計画だから一緒に回らない?」
 学校で計画時から「午後はほとんど一緒の計画」ということを分かっていたが、教室では他の班の人たちは誰も口にはしなかった。
 まあ、人気者がいれば、その子たちと一緒に過ごしたいだろうという思いもあるのだろうか。

「みんな一緒だと楽しいし、協力できるし」

と言われ、確かにそうだと思いつつ。承諾した。ちなみにクラスに5つ、班別行動班がある内の3つが同じ班だった。協力して楽しく回ることも大切だろうと中学生心に思い、一緒に回ることになった。というか、した。班長同士が話し合っているうちに、湯豆腐が熱くてテーブルにこぼしてしまう奴がいて、その対応にも大変だった。
 食べ終わってから24人の中学生が午後の散策、知恩院、清水寺、三十三間堂と一緒に歴史を見ながら散策をした。
 午後は夕方の4時までに旅館に到着しなければならない。

「清水寺でトレーニング」

 実は24人も連れて歩くと、チェックポイントの到着時刻が遅れていくんです。清水寺のチェックポイントに着いて先生に報告したら、
「10分遅れだな」
 と言われました。その中、清水寺の見学と三年坂でのお土産購入。心の中では焦りながら予定より若干短い約1時間、そこでの活動を取りました。3つの班で行動するので集合場所を決めた。チェックポイントの先生が立っている場所。清水寺の入口にした。
 中に入ってから清水寺の景色を見て、三年坂で八つ橋など色々なものを購入して私は集合場所に戻った。他の班のメンバーも大体10分前にほぼ20人集まった。しかし、私の班の男女4名がまだ集合場所に戻ってこない。
 焦った私は副班長2人に探してきてほしいと伝え、三年坂を2往復させてしまった。時間は過ぎていく。予定出発時刻になり、「これは遅れの原因となる」と思ったので、18人で坂を下って行った。副班長にはもう一度先に行ってもらって探してもらった。
 途中、私もちらちらと店の様子を見ながら歩いていた。すると途中の店の前で

「ごめん!」

と言って待っていた。副班長と共に。合流の後、坂下にあるバス停に向かう。延べ2往復半副班長は坂を動き回ったというわけでした。

「駆け足の三十三間堂」

 次のチェックポイントは三十三間堂。すでに15分くらい予定がおしている。バス停に着き、バスを待っていると副班長の2人が座り込んだ。

「少し休みたい」

と言う。この日は天気の良い日だった。おそらく今でいう軽度の熱中症だったのだろう。走りまくらせたし・・・。湯豆腐も熱かったし・・・。

 2人の班長は「どうしよう?」と焦っていた。なかなかバスはこない。うなだれている2人。私は、

「タクシーに乗せて先に行っていて休んでもらおう」

という判断をした。私の班で起きたことだから、私が最後まで責任取らないとと思い、元気な他の班や私の班の残りの生徒はバス、2人は班の保健係を乗せて一足先に三十三間堂に行っててもらい、訳を話していてもらうことにした。

すでに、15分の遅れ。

 タクシーに3人を乗せたら間もなくバスが来て、21人でバスに乗り、三十三間堂に一番近いバス停で下車。若干の渋滞があったが、チェックポイントはもうすぐ。

「ピーピーピー」

 ポケベルが鳴った。私のだけ。班長は3人いたのに、だいたい同時刻に到着予定と計画表に書いてあるはずなのに。思わず一瞬そこで座り込んでしまった私。
「鳴っちゃったね」
 みんなで言い合いながら、足早に三十三間堂に向かう。
 着くと副班長、保健係と共にチェックポイント担当の先生が一緒にいて


「話は聞いた。お前の班だったから、お前のポケベルだけ鳴らした」


とのことで、叱られずに済んだのだが、すでに遅れは30分を超えていた。先生と話をしていたので中に入ることができずに、すでに同行班のメンバーは出口から出てくるのを横目に、私は駆け足で三十三間堂に。

「え、駅が」

 後は徒歩で七条駅、そこから四条駅まで京阪に乗り、降りたら旅館まで歩いて2日目終了。早めに着いて休んだので副班長たちは元気になり、一緒に行動することができた。七条駅に着くと、みんなが驚いた。

「え、駅がない!」

 後から分かったのですが、駅が地下化になったのを先生たちは知らなかったようで、地上駅のことを事前に教えてくれていました。
 私たちは駅の入り口やどっち方面に乗ったらよいか分からずに近くの人に聞き、地下になったことを知り、入り口を見つけ、駅員さんに聞きながら四条駅方面のホームに向かい、待たずにすぐ来た電車に乗れることができ、旅館を目指しました。駅探しで困ったけれど、駅員さんに聞くなどの対応で時間短縮はできたのですが、予定よりすでに45分遅れていた。

「出迎えは派手に、集合は惨めに」

 四条駅から歩いて、旅館の前に24人がぞろぞろと向かい、私は一番後ろにつき、副班長がゆっくり歩くのを一緒に付き添いながら行った。午後の暑さが厳しく、普段の速さで歩くことができなかったのを覚えている。
 時刻は確か、午後4時30分前後だったと思う。旅館の前に到着すると、ほとんどの先生方が出迎えてくださった。

「お前らのグループが全校で一番最後だぞ~!」

と言いながら、ひきつった笑顔と拍手と共に。

「部屋に荷物を置いたら、班長会議な!」

と3人の班長は言われ、それぞれの部屋に行って荷物を置いた後、3人で大広間向かい、班長会議に参加した。すでにジャージの者がいれば、まだ制服の者もいる。
 ポケベルを返し、今後の予定などの色々な話があった。話の中で、

「1グループだけ、ポケベルが鳴ったところがある」

と会議中に言われ、心の中で「言わなくてよいのに・・・」と思いつつ、

「そうなんだ」

の顔で対応していた。


「じゃあ、班長会議は終わり。このまま室長会議だから、班長、室長に声を掛けて連れてきてくれ」

 そうだよね。そうだよね・・・。班長の後は室長だよね・・・。私は制服のままそのまま大広間に残り、室長が全員揃うまで待ち、室長会議に参加した。私以外みんなジャージ姿でくつろぐ雰囲気の室長。
 他のクラスの友達に

「何でお前着替えてないの?」

 言われるよね。言われるよね・・・。一人2役やった極みだよね。計画をしても色々なことあるよね。そんなこと分からずにお前は言ってるよね。でも、やり切りましたけれど。


「選択というのは」

 こんな経験をした中学校時代の修学旅行。今思い出しながら記していくと、たくさんの「選択」が日常には潜んでいるんだと思いました。でも、そんなことは気にせず日々は過ぎていく。楽しいことも、キラキラした思い出として美化されて残っていく。
 成功体験をした奈良の1日目、実はそんなに思い出が残っていないんですよ。とても楽しかったから。
 2日目の京都散策の思い出が細かいところまで覚えているんです。今思い出しながら記していくと、たかが人生15年位しか生きていない奴に、こんなにも色々な出来事が1日で降りかかるとは、と思ってしまいます。
 その場その場で、おそらく15歳の心で最善の選択をしたと思って行動したのでしょう。うまく行ったり、失敗したり、次にどうしたらいいかを考え、それを「選択」という名前で今、肉付けされて行っているのだはないのかと。

 選択とは結果ではなく、現在進行形の私なのではないか?などと思ってしまいます。太字で記したことは選択だったり、考えたことだったり、また、次につながることだったり、誰にも言えない感情だったりと選択に必要なことばかり。だから、記憶に残る選択がきっとその人となりを創っていくのではないかと。

 それを言葉で「成功」「失敗」などと名前を付け、心の記憶という名のタンスの引き出しにしまっておかないと、感情が生まれてこない。本当は選択は失敗も成功もなく、あなたの「人生」そのものなんだから。

 歩いてみよう。選択をあなたの「人生」という地図に記すために。


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