また流行語的なものができたものだとTwitterを見ながら思う。 とはいえ、在宅勤務が2ヶ月続いた私も、出勤という行動に今とてもしんどさを感じている。 家という何でもある環境。 この期間の在宅勤務で、私の「働く」気力はどんどんと下がり、 アウトプットもどんどん酷いものになっていった。 というか、多分出していない。 周りが仕事を一生懸命しているのを他所に堕落していく自分。 自己嫌悪に陥りながらもそこから抜け出せない自分。 嫌な現実を見ないようにして、日々を過ごす今日
在宅勤務になって久しい。 そんな中で、恥ずかしくもだれてしまい仕事がなかなか手につかない自分がいる。 時間は待ってくれない。 時すでに遅しと、周りに置いていかれ、ついていけなさそうになっていることがある。 漠然とした不安。どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう…………… この、ふわふわしながらもとてつもなく重い、そんな不安を抱えながら目の前が真っ暗になるようで、ただただしんどい気持ちが心を支配する、そんな最近の日々である。 どこかで、不安は漠然としてい
愛したくはないけど愛されたいように こちらから知られようとしたくはないが認知はされていたいという至極身勝手な理想をもっている。 自分が何かを人に与えることで、自分も人から与えられるのが摂理であるはずなのに それを通り越して物事を考えてしまっている。 「今度飲みにいこうよ!」の類も信じていない。 だって誘ってくれたためしないじゃん。 じゃあ自分はどうなのかというと 人を避けて生きているために自分からなんて誘えやしない。 お互いそのくらいの距離感でしかないということ
一般企業よろしく週平日5日勤務であるから、大体の日曜日は憂鬱である。 最近やけに月曜祝日が多い気もするけれど、基本仕事の前の日というのは少しずつ現実に戻されていく感覚がある。あれがあまり好きではない。 女性というものは(というと今の世間ではすぐに刺されそうな主語の大きさでありやれジェンダーの決め付けだと言われそうでもあるが、今回は一旦ご容赦願いたい) 見た目、例えば服/メイク/ネイル、そういったもので気分を上げることができるのだと 恥ずかしながら20代もそこらで気づいたので
チェキを首からぶら下げて、梅を見に行った。 暖冬は私得でしかなく、気分もそれとなくポジティブである。青空の中、被写体を探しに公園へ出掛けた。 世間はやれコロナだなんだと言っているけれど 公園は比較的人も多く、また子供から高齢の方まで老若男女が集っていた。 暖かいと散歩したくなるもんね。わかる。 公園って、草木ひとつひとつに名前、あるものには豆知識まで書いてあるもんだから飽きない。ぼーっと眺めていられる。 ベンチに座って日光浴しながら、行き交う人たちを見るのも好き。子供と
去年、中古のチェキを買った。 もともと知り合いにカメラをやっている人がいて、たまに借りていたのだけれど ふとある日買うか!となり、手元においている。 お散歩にいつも持ち歩いていたのだけれど、ある日突然いうことを聞かなくなり、また冬は曇天が多くてあまり撮るのが面白くなくなり。(曇天だと景色があまりうまく撮れない。技術の問題かも。) そうして、数ヶ月の間終われていたチェキ。 今日、ひさびさに出して撮ってみて 絞りとか画角とかそういうことを一切考えずただシャッターを切るだけの
我が家はそれはもう寒い空間で、とにかく凍える場所だ。 寒い寒いと言っていても仕方ないし、何が問題って寒いと分かりやすく体調が崩れていく。 今冬は割と防寒対策がうまくいったと思っているので、書き留めておきたいと思う。 ちなみに、あくまで東京あたりの防寒対策でしかないので、そのあたりは留意していただきたい。 1.靴下普段履くようなものではなくて、もこもこの分厚いやつ。 これにスリッパで、床からの冷気はある程度防ぐことができる。 2.ネックウォーマーこれはあまりにも効果が
ほうれん草の話をしようと思う。 食べ方はお浸しが好きだけど、それではなくビジネスの方の。 報告、連絡、相談 たまに入れ換えて話する場合があるが、どうも最近わたしのほうれん草癖が狂ってる気がしている。 報告も連絡も問題ない、ただ、相談のハードルがとてつもなく高いのである。 相談。 そう‐だん〔サウ‐〕【相談】 [名](スル)問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。また、その話し合い。「相談がまとまる」「相談に乗る」「友人に相談する」「身の上相談
神様の裏の顔 (角川文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4041046068/ref=cm_sw_r_cp_tai_2WUmEbK4M4667 ちょうど今日読み終わった本。 少し波はあるが、そこそこ本は読む。 最近は特に読むようになった。 出退勤の時も、カフェでお茶している時も、飲み屋でお酒嗜んでる時も、である。 小説が主、自己啓発系などは手に取らないのだが わたしには小説の中でもまた、すき好みがある。 現代物である、と同時に 主人公あるい
人によっては、ものすごく話すのが苦手な部類の人がいる。 それが性格のせいというのもあるし、何となくもう合わない人なんだろうなというのもあるが そもそも相手が話の前提まで共有できているのか、というのはひとつ考えるべきことかと思う。 大学の他学科の講義で、 名前が先にあって、それからモノを認識できるという話を聞いたが 言葉もとい認識が合致した上でないと、会話って成り立たないなというのがわたしの認識。 で、先の合わない人の話であるが 結局、大多数が本当に苦手な部類の人間であ
過度な言い方をすることが多い。 すぐ、すみません、と言うような、 そういった話の仕方をする人もいるが、 わたしはどちらかというと、ひどく回りくどい言い方をする方の人間なのだと思う。 すみません...この件なんですけど。あ、すみません...というよりも 勉強不足ですみません...とか、こう考えてはみたんですけど、力量不足で...とか。 あくまでも例えば、の言い回しだけれど。 こひなたさんは間違ってないよ、それで大丈夫なんだよと言って欲しい。 そのための自己防衛として、上の言
人付き合いがどうも苦手だ。 職業柄、色々な人に会いに行き会話する。 でもそんなの、ビジネスの俎上にあるからできることなんだと 気付いたのは割と最近のことである。 ▼わたしができる付き合い ・ビジネス前提 「◯◯会社のこひなたさん」 (ついでにビジネス上で必要な情報をそれとなく抜いたりする) ・相手がわたしのことを求めていることがわかる場合 「ねえねえ今日飲みに行こうよ」の類の誘い ▼面倒になる付き合い ・ビジネス以上のもの うっかり教えてしまったLINEに寄こされる「こ
掲題の通りである。 ブログの類で続いた試しがない、のだけれど 今の時代アウトプットを出さずして何になる、とふと思い立ち、今に至る。 年末のこと、iPad miniを買ったのでKindleを愛用しているのだけど (プライムでアニメ見る快適さもかなり増した)、 その、iPad開くノリでnote書くのも続けられたらいいな。 こひなた