ムラっ気のある持続性でもいいじゃないか。〜 書いて下書きボタンを押すか、とりあえず書いて投稿するか、もう書くのをあきらめるか。
ほぼ毎日noteを書く、つまり毎日文章を書くということは、ぼくにとっては、めんどうである。そして、つらいけどおもしろい。おもつらい。
1日のうち、少しの時間を確保して書けばいいじゃんと思って、いざ書いてみるとする。
書き慣れてない人が、いざはじめてみると、だいたい初っ端から書けない、もしくは、途中まで書いてあきらめる、という挫折を味わうのではないだろうか。
かくいうじぶんも、そうだ。そして、このnoteを書いている今も、初っ端から最初の1行が書けない状態で、ようやくここまでの行を書いたところだ。
さて、このまま書いていったらどうなるか、おそらく、途中で書くのをあきらめて、下書きボタンを押してしまうのだろう。
すでに、この行を書いている時点で、ぼくの視界斜め右上には、下書きボタンが映っている。このボタンが押せば、このめんどうな作業から解放してくれる、セーブボタンだ。
このnoteは、なかば意地になって書いているところがある。その意地とは、何か。どうぜじぶんがnoteを書いたところで誰も読まないから無理して書かなくてもいいじゃないか、という誘惑に、ぼくは負けたくないという意地だ。
何度、ぼくはこの甘い言葉に誘われて、下書きボタンを押してはじぶんを誤魔化してきたか。その日じぶんが書かない言い訳を心の中で思いながら、noteのテキスト作成ボタンすら押さず、やり過ごしてきたか。
(誤解がないように言っておくと、ある程度推敲して出すnoteの場合は、下書きは使います。今回のnoteの話は、ほぼ毎日文章を書くということについて考えた場合です)。
ここまで書いている内容を読んだ、一部の読者はきっと、「そんなにつらいならいっそ書かなくてもいいのではないか?」、と思われたかもしれない。ぼくも、正直そう思う。
そう思う一方で、どこかで、いや、負けたくないという気持ちが、ぼくの頭の中で、晴れない霧という形で、渦巻いているのだ。
この渦巻く気持ちを抱えながら、
・書いている途中だけど下書きボタンを押してしまおう。
・とりあえず今日は書いて投稿してしまおう。
・今日は書く気がしないので書かない。
のいずれかを、noteをはじめて、ここ2年ぐらい、だましだましやってきた。
楽観的にみたら、書かなかった日、書いた日と、かなりムラっ気はあるが、長期的には、しつこく、しぶとく書こうという気持ちは、じぶんの中では持続しているとも言える。
ムラっ気のある持続性としてポジティブにとらえてもいいのではないかと、つい、じぶんを甘やかすところがある。
案外この甘やかしが、ぼく自身にとっては、精神衛生上よくて、結果的には、また書いてみようかなという気にさせる。
ただ、文章力が日々向上しているかは、あやしい。
文章力をあげたいから毎日書こうということではないのだが、書いているじぶんでありたいという意識は、ずっと持っている。これが、負けたくないという気持ちに紐づいている。
負けたくない、でも、めんどうくさい。でも、どこか書いている途中で、たのしくなる瞬間がある。暗い洞窟まで掘り進めていくと、岩と岩の間から、小さい光が見えてくることがある。これが、うれしい。
ただ負けたくないだけではないのだ。書いていてつらいのだけれど、おもしろいのだ。
さて、ここまで書いてきて、そろそろぼくは、下書きボタンを押したくなってきている。
きっと推敲とかした方がいいと心の中で思っているんだけど、それをやっていたらまた、下書きボタンを押してしまって、下書きの在庫がたまっていく一方だ。
とりあえず投稿するかしないか、判断のときだ。
10秒後の俺、どうする?
いや、20秒後の俺任した。
とりあえず、ここまでの内容で投稿することに決めた。
あとは、サムネイル画像をどうするか?
じぶんでイラストを描くか。
どなたかのイラストをおかりするか。
おかりすることにする。
タイトルは、どうするか。
ムラっ気のある持続性でもいいじゃないか。ー 書いて下書きボタンを押すか、とりあえず書いて投稿するか、もう書くのをあきらめるか。
これにする。
こんな感じで、本日のnoteを終えることにする。
あとは、ざっと見直して、軽く推敲して、サムネイル画像選んで、終了。ハッシュタグは、一旦適当に選んでおこう。
以上、本日のnote終了。
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最後まで、読んでいただきありがとうございます。なかば、実況しながら書いたらこんなふうになりました。言葉として、一度吐き出すと、からだの中が少し軽くなりますね。明日もnoteを書いているであろう(きっと)じぶんに期待します。
サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。