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『読書という荒野』を読んで。 その1

昔から「読書」は苦手である。


趣味を聞かれた時、じぶんは「読書が趣味です」と言うことに抵抗がある。漫画、ビジネス書は時々、気になって読むことはあっても、毎日読むほどでもない。小説に至っては、よっぽど気になる作家や話題性がない時でないと読もうと思わない。気になって買っても、冒頭だけ読んで、集中力が続かず、終いには、読まずに本棚に眠ることも多い。過去有名な作品についても、ほとんど読んでない。「趣味読書」の定義は、よくわからないが、人それぞれだが、個人的に趣味と言えるほどの「読書量」を持ち合わせていないのは確かだ。

さて、読書習慣がそこまでないじぶんが、最近読了した本がある。幻冬舎・代表取締役社長の見城徹氏が書いた『読書という荒野』だ。この本を読もうと思った理由の一つとして、読書に対して、思うこと、考えたいことがあったからだ。それは、読書をしてきていないじぶんへの羞恥心と読書家への憧れだと思う。この本を通して、彼の読書に対する並々ならぬ熱狂と死生観に、心を揺さぶられ、「読書という荒野」を歩きたいと思った。「言葉」を獲得したいと思った。


「読書」から生まれる人格形成

読書を通して、「過去影響を受けた・好きな作品があるか?」と聞かれた時に、じぶんはなかなか答えにくい。読書をそんなにしてきてなかったし、読んでもあまり記憶が残ってない。かろうじて言えるのは、高校時代に読んだ夏目漱石の『こゝろ』だ。現代文の授業の時に読んで「先生」の若い時のゆ「友人K」と「お嬢さん」との人間関係の話に、強く惹かれて夢中になった記憶がある。「恋愛観」「エゴイズム」「罪悪感」について考えたし、若い「先生」のとってしまった行動に、当時共感していたじぶんがいた。少なからず、じぶんの恋愛観や人格形成に、影響を与えているんじゃないかなと思う。大人になって、あらためて読み直したりもした。

見城徹氏が、今回の著書本で興味深いことを言っている。

「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」
「すべての意思決定は、人間の感情が引き起こしていること。そのため、他者への想像力を持つことが、人生や仕事を進める上で決定的に重要なこと・・・・・・」
「本を読めば、自分の人生が生ぬるく感じるほど、苛酷な環境で戦う登場人物に出会える。そのなかで我が身を振り返り、きちんと自己検証、自己嫌悪、自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ、情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で戦う自己を確立できるのだ」

少々極端な言葉と思うところもある。ただ、なぜかこの言葉に反応してしまったじぶんがいるし、共感したじぶんもいる。自己肯定やポジティブ思考は良いと思うし、常にそうありたいと思う反面、内心はじぶんのことを、そんなに好きでない部分があって、なんとかしたいと思っている(この考えをポジティブと考えるかは人それぞれ)

じぶんは人間関係において、過ぎた後も、うじうじ悩むことがよくある。「あーでもない、こーでもない」とその場でずっと考えていてもしょうがないことをずっと考えることがある。ネガティブ思考なのである。だからユーモアがあってポジティブ思考な人を見て、羨ましいと思うことがよくある(本当にその人が実際ポジティブな人間かどうかはわからないが)

「なんであの人はあんなことを言ったのか?」「なんであの人はなんか不機嫌そうな態度だったのか?」「こう言ったら、相手なんて思うかな?」「なんでじぶんはあんなことを言ってしまったのか?」

こういう感情は、じぶんの思い込みが強いからなのか、他者への想像力が足りないからなのかどうかはわからない。ただ、いずれも読書を通してではなく、今までの人間関係とのコミュニケーション実体験からくるものであり、現在の人格形成に至っていると思う。

実体験以外で、読書を通して、こういう感情を味わい、作者の世界観に浸り、物語の登場人物の経験を追体験できるとしたら、本をもっと読んだ方が良いと思った。願わくば、人格の再形成がしたい。人の厚みが欲しい。他者への想像力を養いたい。

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ここまで書いていて、苦しくなったので、一旦ここで切ります。
次回は、読書と「ヒトリの時間」について書こうと思います。

#読書という荒野 #見城徹 #読書

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