見出し画像

人生苦を消す 心を調えるヨガ的生活

はじめに 〜人生は苦しい〜

人は誰も皆、生まれ、老い、病み、死ぬものです。人は誰も皆、快楽喜楽が欲しく苦痛悲痛を恐れているものです。そしてまた人は誰も皆、人生苦から逃れるために頑張っているものです。

あなたは人生苦を逃れたい

ご多分に漏れず、あなたもまた人生苦を逃れるために頑張っている一人に違いありません。また、たとえ理想を生きていたり、老いを楽しんでいたり、遊び呆けていたり、怠けているように見える人でもやはり、人生苦を逃れるために頑張っているのです。
そのような人たちもまた、快楽喜楽を欲し、苦痛悲痛を恐れているからこそ、そのような生き方をしている訳です。そして、快楽喜楽を求める以上は、苦痛悲痛を体験することは免れ得ないのです。

人がもしも誕生に喜楽を覚えるなら必ず死去に悲痛を覚えるしかなく、若さに喜楽を覚えるなら必ず老化に悲痛を覚えるしかなく、健康に喜楽を覚えるなら必ず病気に悲痛を覚えるしかありません。
この世界では、生まれた人は必ず死に、出会った人とは必ず別れ、得た物は必ず失われ、やれた事は必ずやれなくなる。というのが、誰にも変えることのできない自然法則であり、誰一人としてそれを避けることは出来ないのです。

しかしそうなると、人生から苦を消し去ることは不可能に思えます。それでも古今東西の聖賢たちは、まぬがれ得ないかのようなこれらの苦を消し去ることができると説いています。
インドでは古来より、その方法がヨガとして伝えられてきたようです。

何をしても人生が苦しい、あるいは虚しいと感じ、そこからどうにか脱出したいと真摯に望むのなら、ここから先を読んでみると良いでしょう。




第1章 理論

人生が苦しくなる原因は何なのか? この苦しみはどうすれば消滅してくれるのか? あるいは、この人生で心を調える意味はあるのか? そもそも心を調えるとはどういうことなのか? など理論的に「心」を理解していく。 

1.苦の原因と消滅

苦の原因を知らずして、人生から苦を取り除くことはできない。まずはそれを知ることが苦を消し去る第一段階。

ドゥッカとスカ [苦と安]

ドゥッカ(苦)
ドゥッカとは、習慣化した心の作用である「ラーガ(欲望)」と「ドヴェーシャ(恐怖)」が起こり、心気が「ラジャス(激動性)」と「タマス(停滞性)」に偏っている状態をいう。

スカ(安)
スカとは、習慣化した心の作用である「ラーガ(欲望)」と「ドヴェーシャ(恐怖)」が止まり、心気が「ラジャス(激動性)」と「タマス(停滞性)」に偏っていない「サットヴァ(純粋性)」の状態をいう。

苦の原因

人をラジャス(激動性)とタマス(停滞性)という苦の心理状態におとしいれるのは、習慣化したラーガ(欲望)とドヴェーシャ(恐怖)。
人が苦を逃れ、安というサットヴァ(純粋性)へと辿り着くには、その原因であるラーガ(欲望)とドヴェーシャ(恐怖)に対処することが必要。

⚠︎ この事実を理解することがとてつもなく重要

心を調える

要するに心を調えるとは、心から苦悩を削減すること、あるいは心から激動性と停滞性への偏りを削減すること、あるいは心から欲望と恐怖を削減することをいう。


心の二作用 [ラーガ、ドヴェーシャ]

① ラーガ(欲望・愛着・愛好感・吸引作用)
ラーガとは、ある対象に快楽(喜び、楽しみなどの快感)を受けた記憶により、その対象に愛着・愛好感を起こし、快楽を欲し求めようと執着する心気の吸引作用をいう。

② ドヴェーシャ(恐怖・憎悪・嫌悪感・反発作用)
ドヴェーシャとは、ある対象に苦痛(怒り、哀しみなどの不快感)を受けた記憶により、その対象に憎悪・嫌悪感を起こし、苦痛を恐れ避けようと執着する心気の反発作用をいう。

心の三気質 [ラジャス、タマス、サットヴァ]

① ラジャス(激動性)
ラジャスとは、狂躁(鋭気力、感激、好奇心)の性質であり、心気の激動性をいう。

② タマス(停滞性)
タマスとは、憂鬱(無気力、無感動、無関心)の性質であり、心気の停滞性をいう。

③ サットヴァ(純粋性)
サットヴァとは、躁鬱の性質のない元気、慈愛、智慧の性質であり、心気の純粋性をいう。

* 三気質
激動性:
溌剌 興奮 鋭敏 短気 知識 陽気 猪突猛進 貪欲
停滞性:怠惰 鎮静 鈍重 呑気 暗愚 陰気 自暴自棄 臆病
純粋性:適切、平静 穏和 和気 賢明 均衡 自重自愛 無畏無欲

心の二作用と苦

欲望と苦
欲望に駆り立てられることによって心は苦に陥る。何とかすれば愛好の対象に接触できると希望し欲気づくなら必然的に、何をやっても愛好の対象に接触できないと憤慨し血気づいたり、絶望し怖気づいたりする苦が起こる。

恐怖と苦
恐怖に駆り立てられることによって心は苦に陥る。何とかすれば嫌悪の対象を回避できると希望し欲気づくなら必然的に、何をやっても嫌悪の対象を回避できないと憤慨し血気づいたり、絶望し怖気づいたりする苦が起こる。

心の三気質と心の二作用

激動性と欲望と恐怖
激動気質に傾いている心では、現状を拒絶したうえで「努力すればきっと → 持ちたい物を持てる、やりたい事をやれる、なりたい者になれる。捨てたい物を捨てられる、やりたくない事をやらなくてすむ、なりたくない者にならなくですむ」などとより肯定的に強く信じているため積極的に行動が進みやすい。
つまり「欲望を叶えられる、恐怖を避けられる」と希望して欲気づき、意気軒昂とした興奮状態へと向かう。あるいは「欲望を叶えられた、恐怖を避けられた」と歓喜して陽気づき、意気揚々とした興奮状態へと向かう。あるいは「欲望を叶えられない、恐怖を避けられない」と憤慨して血気づき、意気軒昂とした興奮状態へと向かう。
叶えたいから叶えようと動き、避けたいから避けようと動き、心気が鋭く激動していく。

停滞性と欲望と恐怖
停滞気質に傾いている心では、現状を拒絶したうえで「努力してもどうせ → 持ちたい物を持てない、やりたい事をやれない、なりたい者になれない。捨てたい物を捨てられない、やりたくない事をやってしまう、なりたくない者になってしまう」などとより否定的に強く信じているため消極的に行動が停まりやすい。
つまり「欲望を叶えられない、恐怖を避けられない」と絶望して怖気づき、意気消沈した鎮静状態へと向かう。
叶えたいけど叶えられないと停まり、避けたいけど避けられないと停まり、心気が重く停滞していく。

純粋性と欲望と恐怖
純粋気質に調った心では、現状を受容しており「持ちたい物もなく、やりたい事もなく、なりたい者もない。捨てたい物もなく、やりたくない事もなく、なりたくない者もない」ため、必要に応じて行動を停めたり進めたりする。
つまり欲望も恐怖もないため希望も歓喜も憤慨も絶望も起こらず元気であり、意気自若としている平静状態にある。
心気は鋭く激動することも重く停滞することもない。

苦の消滅

心の本性
欲望と恐怖により「快楽を得よう、苦痛を避けよう」と希望し激動しては、「快楽が得れた、苦痛を避けられた」と歓喜し激動したり、「快楽が得られない、苦痛が避けられない」と憤慨し激動したり、絶望し停滞したりする。それも束の間、次にはまた「快楽を得よう、苦痛を避けよう」と希望し激動し始める。
つまり心は、努力を楽しんでは、喜び、怒り、悲嘆にくれることを繰り返し続けるのである。
欲望と恐怖に従い喜怒哀楽を繰り返すのが心の本性である。

心の消滅と苦の消滅
心の本性である心の二作用(欲望・恐怖)が削減していき、ついには消滅するとは、心そのものが削減していき、ついには消滅することであり、当然、心からは苦(激動性・停滞性)が削減していきついには消滅し、後には安(純粋性)が残されている。


2.苦を消す方法

苦の原因が心の作用の本性である「欲望と恐怖」だと知れたのなら、次にはそれを消す方法を知ることが苦を消し去る第二段階。

欲望と恐怖が作用する瞬間

① 接触
欲望と恐怖が作用するときとは、心に欲望と恐怖を作用させる対象に心が接触したときである。心が対象に接触しなければ、心は欲望と恐怖に駆り立てられることなく止まっている。

② 関心
欲望と恐怖が作用するときとは、心に欲望と恐怖を作用させる対象に心が関心を持っているときである。心が快楽と苦痛への関心を持たなければ、心は欲望と恐怖に駆り立てられることなく止まっている。

苦を消す二方法 [アビヤーサ、ヴァイラーギャ]

① アビヤーサ(修習、非接触)
アビヤーサとは、心に欲望と恐怖を作用させる対象との接触を止めるという方法をいう。

② ヴァイラーギャ(離欲、無関心)
ヴァイラーギャとは、心に欲望と恐怖を作用させる対象への関心を止めるという方法(本来は関心が止んだという状態)をいう。

修習:意志による抑制
修習では、欲望と恐怖は抑制される。それは、心が習慣に従って欲望と恐怖を作用させる対象との接触を求めて向いてしまうのを、意志の力でもって引き止める努力。

離欲:理解による停止
離欲では、欲望と恐怖は停止される。それは、心が習慣に従って欲望と恐怖を作用させる対象へと関心を持って向いてしまうのを、理解の力でもって止めていく方法、あるいは止まった状態。

* 修習と離欲のイメージ
修習:
牛馬が駆け出し崖に落ちるまえに、手綱を使って引き止める
離欲:牛馬が駆け出したら崖に落ちることを理解し、止まっている


3.苦を消す手順

六感官と六対象 [眼、耳、鼻、舌、体、心/色、音、香、味、体感、思想]

六対象との接触
心は、六感官(眼、耳、鼻、舌、体、心)で受けとられる六対象(色、音、香、味、体感、思想)との接触によって駆り立てられる。

五感官と物理的対象(外的、粗雑)
① 眼で見える  :色
② 耳で聞ける  :音
③ 鼻で香れる  :香
④ 舌で味わえる :味
⑤ 体で触れられる:体感

心と精神的対象(内的、精妙)
⑥ 心で認められる:思想(思考と想像)

修習:六対象との接触を止めること
離欲:六対象への関心を止めること

実践の手順

物理的対象 → 精神的対象
五感官で受け取られるような物理的対象(外的・粗雑)から、心で認められる精神的対象(内的・精妙)へという順序で、修習と離欲に取り組む。

① 初心者:外的な対象から生じる苦の削減を目指す
修習
生活のなかで過剰に物理的対象に接触して欲望と恐怖に駆り立てられないように、生活に不要な持物を捨てていく、用事を止めていく、情報を断っていくなどの実践をする。
離欲
生活のなかで物理的対象に接触したとしても欲望と恐怖に駆り立てられないように、物理的対象へ関心を持つことが削減し、精神的対象(自分の信念、精神的傾向、思い浮かぶ思想など)へ関心を持つことが増加することを実践する。

② 中級者:内的な対象から生じる苦の削減を目指す
修習
生活のなかで過剰に精神的対象に接触して欲望と恐怖に駆り立てられないように瞑想を実践する。
離欲
生活のなかで物理的および精神的対象に接触したとしても欲望と恐怖に駆り立てられないように、物理的および精神的対象へ関心を持つこと(執着すること)が削減し、非対象(主体)へ関心を持つことが増加することを実践する。

③ 上級者:対象から生じる苦の消滅を目指す
⚠︎ ここに書くことはない。



終わりに 〜難を転じる〜

さて。ここまで初心者〜中級者の方向けに、人生苦の原因とその削減、消滅、について理論的にお話ししてきました。

離欲の始まりと、行動指針の転換

ここまで読んでみて、人生苦の正体を理論的に理解して、「これまで人生苦を逃れるために自分のためにとやってきた努力(快楽を求め、苦痛を避ける)が、逆に苦を生みだし自分自心を苦しめていた」という事実を理解し、知ってしまったのなら必ず、離欲が起こり始めるものです。ヨガとは、たったそれだけのことを知るために学ぶものだとも言えるのです。

それでも、何から手をつけて良いか分からないという方は、実践する手掛かり、足掛かりとして、ここから先を読んでみると良いでしょう。そして人生苦を消すことや、心を調える生活や、外的対象から内的対象へと関心を転換させていきましょう。それはあなた自心のために、あなた自心の矛先(あなたの人生の指針ですよ)を転換するというだけの話です。

第二章は、初心者・中級者の方向けに、実践例を交えて日常生活から心を調えていく具体的なお話をしていきます。とは言いましても、昔から当たり前に大切にされてきたことなので、マジックの種明かしをされたときのように「なんだ、そんなことか……」となるかもしれません(笑) あるいは「分かっちゃいるけど止められない……」となるかもしれません(笑)




ここから先は

5,583字 / 11画像

¥ 380

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?