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文系と理系に分ける

なぜか人は人を文系と理系に分ける。
文系とは社会学、法学、文学、言語学、経済学などの文系学問を専門とする人で、理系は数学、物理学、生物学、医学など理系学問を専門とする人のことである。
「文系っぽいね」「さすが理系」「私は文系脳なので・・・」
なんて会話をよく聞くが、
ところで、文系と理系の違いをちゃんと言えるだろうか?
もちろん、よく考えれば誰もが理解できると思う。でも、私はしばしばこんな誤解をよく耳にする。
『理系は数学を使う。』
これは単純な誤りである。なぜなら文系の学問でも経済学や心理学では数学(統計など)を使う。考古学でも物質中に含まれる炭素の放射性同位体の減少量によって年代測定を行ったりする。
『理系は論理的である。』
これも間違っている。どんなものであれば学問と名のつくものはすべて論理の上に成り立つものだからだ。文学研究の論文で論理的に話を展開していないものがどこにあるだろうか?法律学・哲学などは特にわかりやすく、論理の積み重ねによって展開していく学問である。 

文系と理系の本当の違いは、その研究対象にある。
文系は人文科学を対象とし、理系は自然科学を対象とする。ただそれだけだ。学習プロセスや思考の方法に取り立てた違いはない。

そのうえで話をしたいのが学問の「切り口」についてである。
「自分が文系か?理系か?」という事を決めるのは意外と難しかったりする。興味の対象が人文科学か自然科学かはっきりしている場合は問題ないのだが、どっちにも興味があるという人もいると思う。
(実際に私の興味は、文系・理系という枠組みでは語れない。)
そんな時に学問を別の切り口から捉えてみよう。

たとえば、私にとっての学問は「実学・虚学」という切り口が一番しっくりくる。
実学とは、理論よりも実用性・技術を重んじる学問であり、医学、工学、経営学、法律学、農学などがそれにあたる。一方、虚学とは実用性よりも真理を追究することを重んじる学問であり、数学、哲学、文学などがそれにあたる。物理学なんかはどちらにも当てはまるが、学科などで実学と虚学が分かれているケースが多いだろう。
ちなみに私は根っからの“虚学派”である。数学、哲学、文学は特に好きである。

私の友人で医者をやっている人がいるが、医学というものは極めて実学の傾向が強く、例えばこんな話を聞いたことがある。
「詳しい理由は分かっていないが、経験上この方法を行えば、ある症状が治まることが分かっている」ということが医学では非常に多く、そしてそれが多大なる価値なのである、と。
虚学の学問ではあり得ない事である。いわば、医学は結果がすべて、病気の治療がすべてなのである。そして医者の彼自身は、バリバリの実学派で、高校の時から数学が大の苦手だったが(実際、彼の数学の学力は決して良いとは言えなかった)、それでも医大を首席で卒業した。実学向き、虚学向きとはこういう事なのだろう。

人はとかく分類するのが好きだ。文系とか理系とか。
でも、普段何気なく括ってしまっているその切り口は、ほんとうに物事を正しく理解できるのだろうか?そして自分自身を正しく理解できるのだろうか?
切り口で、モノの見え方・考え方は大きく変わる。そして切り口とは多かれ少なかれ、固定観念を生み出すものである。文系っぽい、理系っぽいという言葉はその例である。
人が作った切り口を疑ってみること、新たな切り口で物事を見つめること、そして切り口は便利だけど固定観念がつきまとう事を理解すること、
大事だなと思う。


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