祖父母の家がやばかった話

いまこのタイトルをつけると千葉で台風被害にあった話と勘違いされそうだけれど、そういうことではないし、狙っているわけでもない。三連休を使って実家のある三重県に帰ったら、祖父母の家がものすごくいい建物であることに気づいたという話。

この話は個人的な思いであり興味であるので、台風被害からの復旧のように喫緊で絶対的な正義があるわけではない。ただ自分を含めたある界隈の人たちをわくわくさせるには十分な話ではないかと思う。

塗ったらめっちゃきれいになった

例の家は、築25、26年。三重県のとある田舎にずどんと立っている。祖父母は瓦工場を営んでいたので、その日本式の木造建築は一目でその重厚さがわかる瓦で覆われている。建てて以来、古くからの経験豊富な大工さんたちの言うことに従って、外壁はほったらかしにしていた。彼らが言うには、その種の木は手入れしなくても持つし、古くなったら張り替えればいいとのこと。

ちょうど自分と同じくらいにこの世に生み出されたので、その建物はずっと見てきている。何年か前には台風で横を流れる川が溢れ、濁流を食らった。しかしそれは象徴的出来事に過ぎず、線的な積み重ねによって、壁は黒くなってきていた。

ところが、この三連休に帰ってみると、まさに見違えるようにきれいになっていた。塗装してもらったらしい。汚れを落とし、木目がきれいに出る技術のたまものを塗られると、こうも変わるものかと驚いた。

外壁だけでもやってることが細かい

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この建物はこのまま少しずつ朽ちていって生涯を終えるのだろうと思っていた。それが塗装しただけで見違えるようになり、その途端に細かいところに目が行くようになった。

例えば、玄関の上には格子がある(上)し、側面にはモザイク模様の線まで入れてある(下)。

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瓦も見ると面白い。家紋が入った鬼瓦が家の角という角に鎮座していて、樋の手前にも紋が入った瓦が手をつないで辺を作っている。

辺の紋は二種類ある。一つは菊で、もう一つはうずまき。瓦工場だったので、ほかの家に使って余った瓦を流用したらしい。菊のほうは、宮内庁が使うものに似せてあるのだそうだ。なんでも、まったく同じものは使えず、花弁の枚数を微妙に変えてあるらしい(下。うずまきの写真は撮り忘れた)。

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文章化、しときたいなぁ

この建物、瓦の歴史や仲の良かった大工のこだわりみたいなのが詰まってるんじゃないだろうか。そして、その記憶は徐々に失われて、記録は手の届かないところに行ってしまっているんじゃないだろうか。いまは祖母が話してくれるからちょっとした逸話が出てくるけれど、系統立ててやればもっと出てくるだろうし、ほかの人の話や設計図や写真やほかの建築なんかも合わせてやると、結構な情報量が詰まってるんじゃないだろうか。

まだまだ先の話だけれど、この建物を活用することになるかもしれない。保存しようとかいうことになるかもしれない。そういったことも見越して、調査していきたいと思ったし、建築関係の学生とかでやりたい人いないものかと期待している(卒論にちょうどよさそうじゃない???)。

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