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あの日の母に人生を返してあげられないから、とりあえず北欧のコーヒー豆を送った話。


ある日の夕食後のことだった。ぼくと二人の弟は、母の愛のこもった夕食を、とてもその愛を感じているとは思えない態度で食べ散らかし、食器をテーブルの上に放置してゲームをしていた。それは、いつもと同じ夕食後の風景だった。

台所から皿と皿がぶつかる大きな音がした。刹那、母が叫ぶ。

「私の人生、こんなことのためにあるんじゃない!私の人生返してよ!」

母の前には、ミートソースで汚れた食器が、シンクに山積みになっていた。

久しぶりに実家に帰ると、「最近じゃ、冷蔵庫の中のものが全然なくならないのよ」と母が笑う。確かに冷蔵庫の中には、きんぴらごぼうにカレーの残り、パックに詰められた豚肉といった、とても両親二人で食べ切れるとは思えない量の食材が詰まっている。東京のお土産を両手に抱えて帰ってきてしまったことを、少し後悔した。

母とぼくの、たった二人分の食器が並ぶシンク。私が洗うからいいよ、という母を、まあまあとなだめてスポンジに洗剤を落とす。社会人4年目、28歳にしてようやく気がついた親のありがたみ。実家に帰ってきたときくらいは、親孝行をしたいという気持ちが湧いてくる。

母が仕事のことを話し出す。新しく入ってきたパートさんが仕事の出来ない人で困っているという愚痴。親のありがたみを噛みしめた後に、愚痴を聞いて勘弁してくれ、と思う辺りまだまだ孝行心が足りないようだ。

父が役員になってからというもの、家を空けることが多くなり、母も話す相手がいないようだ。耐え切れなくなったダムが決壊したかのごとく、母はぼくにひたすら話し続けた。

「アップルパイ食べる?帰る前には作ろうと思ってるんだけど。」

一通り話し終えた母が、ニコニコしながらぼくに聞く。うちの”おふくろの味”といえば、肉じゃがでもカレーでもなく、アップルパイ。コーヒーなしには食べられないくらいグラニュー糖が入っている、かなり甘口な仕上がりだが、これを越えるアップルパイをぼくは知らない。

話疲れたのか、仕事行く前にちょっと寝るわ、といって座椅子で寝始めた母を見ながら、ぼくはようやく腰を下ろす。ぼくらを育てていた頃は、きっと昼寝をする時間もなかったに違いない。

母は、壮絶な家庭に育ったらしい。いわゆるDV家庭で、祖父が祖母を殴る、ということがよくあった。祖母は母を連れて逃げ、なんやかんやあって離婚が成立、母一人、娘一人で生活してきた。

そんな母は、会社で出会った車好きで当時はまだ腹も出ておらずまあまあイケメンな父と結婚した。生意気な息子はボコボコにしても、妻には一切暴力も暴言も嫌味ひとつも言わない優しい父と結婚した母は、幸せな生活を送っていたに違いない。そう、ぼくらが産まれてくるまでは。

オトコ三兄弟。ダンゴ三兄弟みたいなノリの、明るく楽しい感じを想像したいところだが、現実はそうではない。洗濯機に入れると水があっという間に真っ黒になる洗濯物を大量生産し、星のカービィばりに食料を吸い込んでいく3つの有機体は、二日おきに殴り合いの喧嘩をするのである。北斗の拳みたいにクールに決着がつけばいいのだが、誰一人運動神経のいい奴がいないので、毎回泥仕合になる。そんな兄弟たちを押さえつけて普段の生活を維持させるのも母の仕事だった。

実家に帰ると必ず母とカフェに行くことにしている。帰省はだいたい平均三日程度と短いので、一度出かけると二軒、三軒とはしごする。雪の積もった美瑛町を、車で走り抜けていく。

「うん、美味しい。」

コーヒーの香りと、古民家カフェの雰囲気を楽しむ。息子三人が家を出たというのに、結局忙しくしている母の束の間の休息。もう上二人は働いているんだし、そろそろ仕事辞めたらいいのに、と言っても、それはそれでリズムが、と言って続けている母。本人がそう言う限り、無理強いは出来ない。

母が手帳を広げる。手帳には、近郊の気になるカフェや息子たちが住んでいる街の気になるお店がきれいなリストになっている。昔、東京に遊びに来たときに、日本橋の鰹節店に迷いなく入っていったことを思い出す。テレビで気になるお店を見るたびにメモして調べ上げ、ワクワクしながらいつか遊びに行くときを楽しみにしている。最近ではインスタグラムも覚えたようで、良さそうなお店を逐一チェックしている。

「北欧はコーヒー文化が強くて、美味しい浅煎りコーヒーのお店がたくさんあるらしいよ。今度、北欧のお店の豆を買ってみようと思ってるんだ。」

へー、行ってみたいな、と応じる母。子育てに忙しくしていた母は、海外旅行など行ったことがない。ぼくがボストンへ留学したとき、撮ってきた写真をキラキラした目で見ていた。いつか、母と北欧へ、コーヒーを飲みにいくのもいいかもしれないと思った。

「手のかかる息子だったけど、立派になってくれて良かったわ。いやあ、首を絞めなくて良かった!」

そんな笑顔で明るく物騒なことを言わないでくれ、と思いながら苦笑いする。一時間くらい過ごして、荷物をまとめて立ち上がる。支払いをしようとすると、母が全部出してしまった。ペーパードライバーのぼくは冬道の運転ができないので、行きも帰りも運転は母がする。結局、ぼくはいつまでも「手のかかる息子」のままだ。

あの日、きっと母は限界だった。いや、あの日だけでなく、何度も限界に達しては、自分の心と体に鞭して、ぼくたちを育ててくれたのだ。まだ暗い時間に起き、朝ご飯とお弁当を作り、夜ご飯の仕込みをしてからパートに出かけ、帰ってきたら洗濯、掃除、夕食の準備。父は夜遅くまで帰ってこない。三人の息子たちは、家事を手伝う気すらない。


人生を返してほしい。


ぼくたちに費やした時間があれば、大概のことは出来ただろう。旅行にだって行けたし、カフェにだってカフェイン中毒で頭が痛くなるくらい行けたはずだ。

あの日の母の叫びは、本心でなかったかもしれないが、多忙と理不尽が人格を踏みにじるときに鳴る軋音だったのだ。あの日の母に、人生を返してあげることはできない。だから、今の母に、できることを精一杯したいと思う。

そんなことを考えながら、旭川空港でラーメンを啜った。胃の不快感が現れて、大盛りにしたのを後悔しながら、保安検査場を通る。母が老いると言うことは、ぼくもまた老いるということだ。いつまでも時間があるわけではない。

母が51回目の誕生日を迎えるにあたって、北欧のお店のコーヒー豆を贈ることにした。届いたよー!とLINEで写真が送られてきてすぐに、電話で美味しいコーヒーの淹れ方を聞いてくる。LINEか電話かどっちかにしてよ、なんて野暮なことは言わずに、適切な挽き方とドリップの時間を説明する。

「お礼にまたいろいろ送るね!」

誕生日プレゼントなんだからお返しはいらないよ、というのだが、だいたいこういうときは必ず何かを送ってくる母だ。自分も親になったら、子どもに何かしら送ることが喜びになるのだろうか。

数日後、小包が届いた。今や東京では手に入らないマスクと、手づくりのアップルパイがぎっしり詰まっていた。

どうやらぼくはいつまでも、あなたの「手のかかる息子」のようだ。

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賞をいただいたら、母を北欧へ連れて行く資金にしたいと思います。

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