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39. 丸谷才一 大岡信 井上ひさし 高橋治 とくとく歌仙 文藝春秋

昨年の夏ごろ初めて読んだ奥の細道に、一年たった今もまだ囚われている。それでも、なかには一生をかけて奥の細道について考え続けている人もいるのだから、一年くらいまだ短いものなのかも知れない。
昨年読み始めたちょうどその頃に出たのが小澤實「芭蕉の風景」で、ウェッジから出たその本は、A5判のたっぷりとした大きさに、少しソフトな表紙の上製本で、ノドまで届くほど折り返しを伸ばしたカバーは、浅生ハルミンのイラストが効いた余白を多くとったものだが、タイトルは黒で箔押しされていて、豪華ながらも抑制の取れたとても良い装丁の本だった。
それでも発売直後は、まだこの本を買う資格が無いような気がして買わずにいたが、やはり話題になっていて、一年かけて上巻は三刷までかかり、また、読売文学賞や造本装丁コンクールで受賞し、いい本というのはこうやって評価されていくのかと感慨深いものがあった。

そして、今年の七月に、連載されていた雑誌ひとときのアカウントから、「五月雨をあつめて早し最上川」の章が流れてきたのを読み、

やっと機が熟したような気がして、まずは奥の細道を辿る下巻から手に取った。雑誌ひとときは、内堀弘さんの「古書もの語り」を毎回、図書館でコピーさせてもらっている大変お世話になっている雑誌でもある。

機が熟したというのは、吉田健一からドナルド・キーン経由で奥の細道を読み、そこから和歌に行き、和歌を理解するために丸谷才一さんを読み、丸谷才一さんと大岡信が中心となった歌仙の本に目を通して、歌仙の面白さを深めるために「七部集」を手に取ったりしていた。そういったなかで、池澤夏樹編集の日本文学全集にも入っているこの「とくとく歌仙」で、「五月雨を〜」の句の初案である「五月雨を集めて涼し最上川」は発句になるが、「早し」では発句にならないということを読んでいた上で、雑誌ひとときからの文中で触れられていたこの発句に対する脇句「岸にほたるを繋ぐ舟杭」を知り、その発句も脇句も、自分のなかにすんなりと入ってきたからだった。
もちろん句としては「早し」の方が大柄なものだろうが、この暑すぎた夏においては「涼し」の句に文字通り涼しさや風通りの良さを感じ、あらためて「七部集」を読み返したり、あらたに手に取った「連句集」を眺めたりしていた。

和歌は自分の感性では思いもつかないところへ連れて行ってくれる感覚があり、例えば今の季節なら、

夏と秋と行きかふ空の通い路はかたへ涼しき風や吹くらむ

など、夏と秋の間の季節をそんな捉え方ができるのかと感じる。
俳句や俳諧はというと、短い言葉で情景をあらわすため、その点で心が動きにくいような気がしていたが、芭蕉をはじめとする句を眺めているうちに、先の発句と脇句もそうだが、今では失われてしまった風景や光景を、その句のなかで味わうものなのかも知れないと思うようになった。つまり今の自分にとって俳句とは、失われた情景を呼び起こす再生装置のような存在としてある。

そんな気分のなか手に取ったのが、岩波現代文庫から発売された長谷川櫂「和の思想」で、その語り口が好みのものだったため、新書の「俳句的生活」や「俳句と人間」を読み、旧暦と新暦の違いによる季節感の混乱や、芭蕉の目指したかるみや子規の言う平気でいることなどに感心して、そこから蕪村や子規に興味が行こうとしている。
こうやっていつまででも数珠繋ぎに本を読み続けられたらいいと思う。

#本  #古本 #丸谷才一 #松尾芭蕉 #小澤實 #長谷川櫂

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