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38. 川本三郎 ちょっとそこまで 講談社文庫

ここ一ヶ月ほど、本を読んだり買ったりすることから遠ざかっていた。この一年ほど関心の中心であった吉田健一が、神奈川近代文学館での吉田健一展でひと段落したからかも知れない。吉田健一に関心を持った後で展示のことを知ったので、なんてタイミングが良いんだろうと思ったが、それは初めての大規模な回顧展だとわかって、本当に幸福なことだったのだと思った。
展示をみた後も、書誌が載っている新潮社の吉田健一集成の別巻を借りたり、講談社文芸文庫の著書目録を眺めたりして、著作の流れや変化をあらためて確認していた。それは、魅力を感じつつも、やはり読めない著作もあり、自分がどういうところに魅力を感じているのかを自分なりに整理したかったからだった。それで、今まで手に取っていなかった著作も読み、自分のなかでは「本が語つてくれること」と「餘生の文學」を手に入れることで落ち着いたように思えた。結局、「英国の文学」で感じた魅力に話は行き着くようで、本を読む人としての吉田健一が好きなのだと思う。それも、人や作品の批評だけではなく、それをしつつも自分語りになる文章を求めているのだと思い至った。

それでしばらく本から離れてしまっていたけれど、本格的に暑くなってきて、夏という本が読みたくなる季節が自分のなかにもやってきた。夏になると読みたくなるのは、片岡義男さんの本や、旅や町歩きの本で、自分にとって遠い、あるいは近いひと夏の体験を、読書によって置き換えようとしているのだろう。
それで、自分のなかで夏に読む片岡さんのベストといえる「あの雲を追跡する」を読み返して弾みがつき、持っている片岡さんの本のなかでまだ読んでいない、夏の読書に合いそうなものはないかを点検し、新潮文庫の「あの影を愛した」を読み始めた。もう手元に無いなかで夏に読みたくなるのは、2010年に左右社から出た「階段を駆け上がる」で、そのなかでも「夏の終わりとハイボール」は、思い出すだけでも夏の夕暮れにハイボールが飲みたくなる一編だ。
片岡さんは、今では多作な小説家としての印象が強いけれど、本を買い始めた2000年代後半はあまり小説を出しておらず、エッセイが中心になっていたように思う。けれど、この「階段を駆け上がる」を皮切りに各社から途切れずに出るようになり、それが今も続いている印象がある。そんな、自分にとっては思い出深い一冊だがいつしか手放してしまったので、今になってあらためて読みたいと思う。

そんな風にたまに思い出しては読みたくなる本があり、先に挙げたように手放してしまったものもあるが、手元に残してあるなかで久しぶりに読み返していたのが、この川本三郎さんの「ちょっとそこまで」だ。川本さんの本では、村上春樹やアメリカ文学に触れている評論を何冊か手元に置いているが、ちくま文庫で出ていたようなエッセイは手放してしまっていた。それでもこの本は、安西水丸好きにも持っていたい一冊で、鄙びた温泉の旅行記や、東京周辺の町歩きについてよくまとまっており、拾い読みしながら結局読み通してしまった。
それで似たような本がもっと読みたくなり、川本さんの散歩ものや、昔読んで記憶に残っているつげ義春の温泉ものなどを読み返して、この夏の経験をしたような気分になっていた。実際にはひとりで飲んだり、どこかに行ったりできる身ではないのだけれど、いつかそんな日が来ることを想像している。

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