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40. 藤本和子 ペルーからきた私の娘 晶文社

最近、ちくま文庫から藤本和子「イリノイ遠景近景」が出たので買って読んでいる。この本の存在は知ってはいたが手に取って来ず、もしくは単純に出会えておらず、これがちくま文庫に入るのかと感慨深いものがあった。
藤本和子さんの著書として持っているのは、この「ペルーからきた私の娘」と「リチャード・ブローティガン」で、前者は晶文社の犀の本のため、新書判の上製本が好きということもあるが、後半がブローティガンに関する文章になっていて、結局はどちらもブローティガン関連本として持っていることになる。
藤本和子さんの文章は自分にとっては硬い印象があり、「塩を食う女たち」も「ブルースだってただの唄」も、黒人女性を扱う専門的な本という思い込みもあり手に取って来なかった。「イリノイ遠景近景」はその二冊よりエッセイ寄りだと何となく思っていたので、ちくま文庫から出るなら読んでみたいと思い、発売されてすぐに購めた。同じくちくま文庫になった「ブルースだってただの唄」は全くスルーしていたくせにだ。それで読んでみるとやはり面白く、印象にあった硬さもまるでなく、他の著書も読んでみたくなった。
それにしても、元版の平野甲賀さんのカバーも画像で見たが、とても良い佇まいの本で、今まで手に取らなかったのが悔やまれる。そうやって、知ってはいるけれど読んでいない本が文庫本になると、何となく敗北感があり、逆に自分が持っていたり読んだりした本が文庫本になると、そこはかとない優越感がある。
例えば、中村好文「普段着の住宅術」がちくま文庫に入ったが、元の王国社版を愛読していた身にとっては、それはそうだろうという気持ちだったし、また、堀内誠一「ここに住みたい」が中公文庫になったのは、驚きつつ誇らしい気分になった。逆に、前にも挙げた平出隆「葉書でドナルド・エヴァンズに」は作品社版を何度か目にしていたものの、講談社文芸文庫から出て初めて読んだところ、もっと早く出会えていたらと思った本だった。
ところで、「イリノイ〜」もこの三冊もそうだが、元版の単行本が違う出版社の文庫本になるというのはなかなか興味深い。それは単に、文庫を出していない出版社からの本を、別の出版社が文庫に入れる場合と、文庫がある出版社同士でもトレードする場合がある。文庫を出していない出版社の代表は、自分にとっては晶文社で、晶文社から出た本で新潮文庫やちくま文庫に入った本はいくつあるだろう。坪内祐三「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り」はそのどちらにも当てはまり、マガジンハウスから元版が出て、はじめは新潮文庫に入り、後年、講談社文芸文庫になっている。
そのように、自分が持っている本のなかで、どの本が文庫になりそうかとか、この本を文庫にすればいいのにとか思うが、それは文庫本になるということは、その本がマスターピースとして扱われ、エバーグリーンな輝きを持つと認められる気がするからだろう。自分の本棚に並ぶ本には、誰にだってそのような思い入れがあるのだから。
松家仁之さんの「火山のふもとで」はいつ新潮文庫に入るのだろうか。月刊新潮で連載中の「天使も踏むを畏れるところ」が単行本化されるときに合わせるのかも知れないと思うけれど、まだ先のことになりそうだ。

#本  #古本 #藤本和子

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