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35. 考える人 2007年春号 特集短篇小説を読もう 新潮社

最寄りの図書館は、歩いて通っている職場と自宅のちょうど中間くらいで、テニスコートが併設された公園の一角にある。図書館に寄る時間はたいてい仕事終わりの時刻のため、薄暗くなった公園の周辺で窓から洩れる明かりは、日ごろ接する光のなかでもとくに心あたたまる種類のものだと感じる。
2021年は、自分にとって図書館元年だった。古本好きとしては本は買わなければ始まらない、手元に置いておきたくないような本は読むに当たらない、といったようなことを考えていたが、古本屋に寄る時間が取れなくなってきたり、そういった狭義な心持ちのため寄った古本屋でもあまり買えなくなってきたりしていたなかで、図書館を活用し始めたところ、読む本も買う本もずいぶんと充実することになった。
図書館で本を借り始めたきっかけは二つあり、雑誌考える人2007年春号の短篇小説特集の表紙に並んでいる本と、吉村順三の「住宅作法」と「吉村順三を囲んで」を読みたいと思ったからだった。その二つの事柄を繋ぐのは松家仁之さんで、考える人のこの表紙に並んでいる本は、松家さんが選んだ本に違いないと確信して、まずはそのなかから、ローリー・ムーア「アメリカの鳥たち」、エリザベス・ギルバート「巡礼者たち」、ヴァルザーの二冊、山川方夫の短編集などを借りた。
吉村順三の二冊は気になるなら買えば良いと思うけれど、二冊とも高値がついていて、特に「住宅作法」は一万円を超える値になっている。いつか手に取りたいと思っていたところ、ふと図書館にあるだろうかと検索すると、果たして二冊とも架蔵されていた。
他の自治体の状況を知らないので比較はできないが、住んでいる文京区の図書館の蔵書は大したもので、読みたいと思う本の9割5分方は在架している。活用するまでは知らなかったが、インターネットで検索し予約すると受け取る図書館が選べ、最寄りの館で受け取るとこができる。しかもそれが予約した当日から翌日には準備されるので、本当に頭が下がる思いがする。
そうやって気になった本はすぐに調べて借りて読み、そのなかで手元に置いておきたい本は、新刊や古本で買うという、自分にとって今までになかった本との接し方を覚えることになった。古本での本の集め方と読み方には二つの方法がある気がしていて、ひとつは、気になった作家がいる場合、その全ての著作を集めたくなり、集めている間にも読みはするが、本格的にはある程度揃ってから読もうとする。それはその作家の追体験をしたいからで、処女作から始めて全てを一から読み進めようとまでは思わないが、重要な著作は順を追って読みたくなる気持ちがある。ふたつめは、関心がある分野の本をそれほど系統立ててではなく目にしたものから気ままに買って読む。それでも行く古本屋ごとで見つかる本は限られるため、自然と関心が複数ある状態になり、一つの関心事を掘り下げるペースはゆっくりとしたものになる。
自分の読書もそういったものだったが、図書館を利用し始めて、興味を持った作家の特定の作品から手に取れることや、関心をすぐに深められたり広げられたりできることに心地良さを感じた。それが、順に辿っていくと、長谷川郁夫から吉田健一、ドナルド・キーンから松尾芭蕉、新古今和歌集から丸谷才一、そしてまた吉田健一と歌仙・連句へという流れとなっていった。本を読むことが本を買うこととイコールだったところから切り離されて、あらためて読む楽しみを中心にして本と接することができた一年となった。

「思考のレッスン」のなかで丸谷才一さんは、本を読む上で一番大切なのは、おもしろがって読むことだと思うと述べている。またどうやって本を選べばいいかという問いに、問題は「どういう本を読みたくなるか」というところにあり、「本の読みたくなり方において賢明であれ」と言うしかないと答えている。
吉田健一も「交友録」のF・L・ルカスの項のなかで、

例えばもし所謂、文学なるものに少しでも意味があるならばそれは本を読む楽みから出発して常にこれに即し、そこに結局は戻って行くのでなければならない。

と書いている。吉田健一の書き方は人を酔わせるところがあるので、読んでいるとまさにその通りだと思うが、思い返してみると、たしかに自分の好きな人は総じてそのような態度で本に接している。それは、植草甚一さんであり、片岡義男さんであり、松家さんであり、丸谷さんだった。これからもこの人たちにならい、本を迷うことなく選んでいければいい。

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