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45. ジェイムズ・ジョイス ユリシーズ 河出書房新社 世界文学全集

この半年ほどは、息子の塾の送り迎えで、御茶ノ水駅にある塾に連れて行き、一時間半ほど過ごしたあと迎えに行くということをやっている。まとまって本を読むことのできる時間をあまり取れなくなってきたのでいい機会だと思い、何冊か本を持って行っては近くのコーヒーショップで読んだりしている。
それでもやはり場所柄、本屋を覗きたくなるが、神保町まで下りると時間がなくなるので、足は自然と丸善お茶の水店に向かう。自分の好みとしてはあまり多様な本が置いていないところもあるが、文庫と新書の新刊は一通り置いてあるため、毎月の確認に役立てている。
何か買えるとやはりうれしくなるので、興味を引いた本を手に取ってみるが、そのなかで岩波新書からの新刊であった大江健三郎「親密な手紙」を購めた。それはこの本が大江健三郎の親しんできた本にまつわることが書いてあるということと、岩波の図書への連載をまとめたものだと知ったからだった。
岩波の図書は毎月どこかしらで貰っていて、毎号読み応えがあり、先日も図書を読んだことからエリア随筆を楽しむに至った。そんなふうに図書は信頼すべき媒体だと感じているので、そこに連載されていたのなら読んでみたいと思ったのだった。

それから、各社の準備が整ったということもあるだろうが、タイミングが合うことが続き、次号の図書が大江健三郎追悼特集だったこと、NHKのETV特集「個人的な大江健三郎」が放送されたことなど、これまで触れてこなかった大江健三郎を知る機会を持つことができた。
図書のその号にはエッセイと評論集のリストと解説がのっていて、エッセイである「親密な手紙」を最初に読んで好意を持った自分にとっては、キャリアから省かれることも多いそういった著作群を一望できるのはありがたく、読みたい本を調べては、図書館で借りたり、買ったりして読んでいった。
そうしているうちに小説の輪郭も見えてきて、いくつか読みたい作品が出てきたなかで読んだのが「新しい人よ眼ざめよ」だった。読みながら、これはこれから何度も読み返すことになる本だという予感を抱きつつ、同時並行で読んでいるエッセイでこの作品に触れていたり、繰り返し出てくるエピソードが集約されていて、大江作品のなかでも特に重要な一冊なのだと感じていた。

何度も読み返す本というのは、その判断基準で手元に置いておきたい本を選んでいることもあり、持っている本のほとんどがそうであるはずなのだが、こと小説、それも海外の小説という点では、それほど多くないことに気が付いた。というのもSNSで、私の最愛海外文学10選というハッシュタグを目にして、自分ならなんだろうかと考えたとき、十冊も挙げられなかったからだった。
持っている海外文学から気に入っている十冊を挙げてもいいのだろうが、最愛という語感は何度も読み返す本という意味をはらんでいるようで、なかなか選ぶことができなかった。
そういったなかでも、すっと出てくる何冊かはあり、そのなかの一つが「ユリシーズ」だった。ただふと思い返すと、長らく棚に並んでいたユリシーズは、他の函入りの本に場所を譲り、もう持っていないことに気が付いた。その喪失によって、自分のなかでのユリシーズの重要性に気が付き、あらためて同じ本を買い直したのが写真の二冊になる。
なぜ手放したかというと、そうは言っておきながら実は最初から最後まで読み通したことがなく、また読みたくなればいつでも買い直せる本だと思っていたからだったが、最愛の作品として手元に置いておきたくなった。

それでも読み通せないことへのコンプレックスは感じていて、それからいくつか関連する本を読んではみたが、やはりすぐには読める気がしない。ただ前よりユリシーズという単語に敏感になったなかで見渡すと、大江健三郎もユリシーズへの言及が多く、長らく関心を寄せていたユリシーズと、あらたに読み始めた大江健三郎が繋がる思いがした。
そうやって広がりや繋がりを感じつつ、最愛日本文学10選を選ぶのなら、「新しい人よ眼ざめよ」は自分のなかで必ず入ってくるものと思い、この歳になってそういった作品と出会えたことは幸せと言うしかないと思った。

#本 #古本 #ジェイムズジョイス #大江健三郎

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