27. 内堀弘 ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影 ちくま文庫
ひとつ前ともうひとつ前の話は自分のなかでは繋がっていて、その二つを結び付けるのがこの内堀弘さんの「ボン書店の幻」だった。そこから広がっていった興味は強度を保ったままでいるので、その気持ちやどのように関連していったかを覚えておくために書きとめておこうと思う。
内堀さんを初めて知ったのが何だったのかは思い出せないけれど、最初に手に取った本はたしか「古本の時間」で、それから「石神井書林日録」、その後がこの「ボン書店の幻」だったはずで、これは千駄木にあった頃の古書ほうろうで購入した。今では再版がかかって手に入りやすくなっているけれど、その前にはあまり見かけない一冊で、そのときも1,500円の値がついていたが、見つけてとてもほっとした気持ちだった。
後で元本である白地社版も手に取ってはいるが、この本はどうしても文庫版のための少し長いあとがきがあるちくま文庫版で読まなくてはいけない。このあとがきがあることで、ボン書店が詩に対して硬直してしまった印象で終わる本編が救われ、鳥羽茂をめぐる物語の円が閉じるように感じ、またそこには、昭和初年に駆け抜けていったいくつもの出版社の想いも同じように込められていることを感じる。ひとつ前に挙げた「若いコロニイ」をはじめ文学史に残る多くの作品がこの時代に生まれたものの、それらを出版した若者たちはこうした記録に残らない人生を遂げており、それでもそのなかで手がけた小さな苗木のような作品は一本の樹となり今でも実をつけ続けているのだろう。
それにしても驚いたのが、この本の解説を書いていたのが長谷川郁夫だったことにあらためて気付いたことで、ここでもまたピースが繋がっていくように思える。「吉田健一」や「藝文往来」を読むと、吉田健一はじめ、小林秀雄、河上徹太郎、中原中也の著作も、垂水書房はもちろん、芝書店、江川書房、野田書房、文圃堂などに支えられていて、それらの出版社が無ければ後の彼らもなく、また逆にそれら出版人たちも彼らに惚れ込んで出版を続けてきたことがわかる。それはもちろん著者である長谷川さんの小沢書店も含めてなのだが、そういった出版社、特にボン書店と同じような昭和初年の出版社についてより知りたくなった。
あらためてそう思ったのは、この間の三省堂書店池袋本店古本まつりで、1956年か57年に発行された中村書店の目録を手に取ったこともきっかけとしてあって、そのなかにある品目は目が眩むばかりだったけれど、戦前の本も戦後の本も同じように肩を並べていて、その時代の贅沢さを感じるとともに、詩集という存在が戦前から変わらないでいることを感じたからだった。前にも触れた鶉屋書店の目録を出してきて眺めていると、1978年に湯川書房を通してつくられたその目録にのっている本は、中村書店の目録にある本と同じ本ではあるものの、ずいぶんと遠くまで来てしまったように思える。その時代にさえとうに去ってしまった戦前戦後は、今の僕らからはどのくらい遠くにあるのだろうか。
そんななか、中原中也記念館では「書物の在る処ー中也詩集とブックデザイン」という企画展が開かれ、そのセミナーで内堀さんも中也の時代のリトルプレスとブックデザインという講演をするようで、自分の関心とタイミングが合ったことを嬉しく思う。そうやって今は内堀さんも寄稿しているその展覧会のパンフレットを取り寄せたり、その時代の出版社のなかでも情報が入りやすい江川書房と野田書房に触れられている本を借りたり調べたりしている。
七歳になる上の子が、昨年から自分の郷里である名古屋の祖父母の住む実家に一人で一週間ほど泊まるということをしていて、今年も楽しみにしていたのだけれどこのご時世で行けず、少しは残念そうにしていたが、本人曰く良いことがひとつあったそうで、それは「僕のヒーローアカデミア」というアニメを好きになれたことだった。先日の金曜ロードショーで放送された劇場版を観てハマり、それからは毎日インターネットでテレビの過去回を観ている。名古屋に行っていたら出来なかっただろうから、それは良かったことだったと言っていた。
子どもにもそんな気持ちがあるのかと知って驚いたけれど、むしろ、今の自分の歳になっても新しく知りたいと思えるほど興味が湧くものがあることの方がありがたいのかも知れない。趣味はと聞かれたら古本ですと言う他ないが、ひと言に古本といってもそのなかにはとてつもない空間が広がっていてそれに触れるためには、まず一冊の本を手に取ることから始めるしかない。
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