給付型の奨学金をもらうには
このnoteでは、奨学金について書いてみようと思う。
これまでクリエイターを支援するクマ財団、建築系を支援する佐々木泰樹育英会、AI系を支援するトヨタ・ドワンゴ高度人工知能人材、東大のサポートであるSEUT-RA、博士学生のサポートである学振(DC2内定)など、様々な給付型の奨学金をいただくことができた。すでに受領したものだけで1100万近くにもなる。
こうしたサポートのおかげで、特別心配もなく研究を進めることができた。
正直に言うと、ここ数年「奨学金ってどうすればいいんですか」「書類選考通ったんですけど、面接ってどうすればいいんですか」という相談をTwitterやらLineの知り合いづてやらFacebookやら対面やらで、ちょっと顔見知りな人や全く知らない人から大量に食らってけっこう困っていた。
仲の良い人ならいざ知らず、留学のように相互扶助が研究の発展を支えるわけでもないのに、いってしまえば単なる金策を僕が時間をとられて一緒に考える必要性がよくわからない、というのが正直なところだった。
それにいい方法があるなら僕が教えてほしい。
けれどもやはりほんとに困っている人もいるだろうとも思っていて、今回書ける範囲で書いてみた。多少なりともノウハウを共有できれば、と。
一部、奨学金をもらえた実際の申請書類も公開して、実例をもとに話をすすめている。
公開しないほうがよさそうな書類とか、人にかなり添削してもらったようなものは載せていない。
奨学金をもらっておいて(あるいはいろいろサポートしてもらっておいて)、そのネタでnoteを書いて販売することは大変はばかられるので、このnoteは無料とした。しかし無料であるために不特定多数の目に触れることを考えて、提出した資料そのものなどは一部しか載せていない。「○○のオリジナルの提出資料を見たいのですが」という要望には応えません。あしからず。
このnoteは正しい「型」を紹介するものでもないし、決して正しいことを書いたものでもない。財団の人たちに審査基準を聞いて反映しているとかでも決してない。あくまで個人的な仮説と検証の経験に基づいて書いている。こんな風に考えてやってみている、というあくまで個人的な見解だ。活用や応用などはすべて自己責任でお願いします。あしからず。
そうした注意事項のうえで、参考にしてもらえると嬉しい。
準備①~フォーマットのリフレームから考えはじめる
奨学金をもらうにはさまざまな提出資料を準備して応募しないといけない。
応募段階でいろんな資料を準備するときに、だいたい2つのことを考える必要があると思っている。
第一にフォーマット、第二にコンテンツ。
フォーマットは要件の満たし方や、書類のテンプレートに対する考え方だ。コンテンツは、そのなかで書く自分の活動や実績について。
まずフォーマットについて書いていくこととする。
いろんなフォーマットの考え方があると思うけど、個人的にはフォーマットに関して奨学金の申請で特に差がでるのは2つだと思っている。
(1)要件・資格と、(2)書類のテンプレート。
少しずつ説明していきたい。
フォーマット(1)要件と資格に、自分を当てはめる
給付型の奨学金は基本的に、自分の売込みみたいだなあと思っている。自分が財団にとってどんな価値があるか。サポートすることでどれだけの見返りがあるか。いろんな人に奨学金についてアドバイスを求められたりするけれど、ほとんどの人は自分の目線で物事を語り過ぎているような気がする。どちらかといえば「相手の財団にとって自分がどうみえるか」を多面的に検討していく必要があると思う。そうしたなかで初歩的なふるいとなるのが「要件・資格」だ。
例えばクリエイターを支援する財団に申請を出すときを考えてみる。あなたは別にクリエイターでもないかもしれない。単なる研究者としてみよう。でも財団は面白そうだし、お金もほしい。そんなとき僕なら、「研究者とはクリエイターなのだ」といえれば(説得できれば)要件としてはOKと考える。
例えばこんな風に書いてみることを考える。
「研究とは実際のところクリエイションである。世界のある現象を発見するというよりもむしろ、ある現象を理解する視点を創造するのが研究者だからだ。すなわち研究者とは世界に視点を創造していくクリエイターであり、僕もその一人。日々世界に視点を創造している。」
あるいは別の捉え方もある。
「いいアウトプットはいいインプットから生まれる、という。つまり素晴らしい素材があることで、素晴らしい料理ができる。クリエイションもそうではないか。科学者が明らかにしたさまざまな理解、哲学者が構築したあらゆる概念、そうしたフレームの中で創出されるのが作品である。アーティストと研究者の協働を通して、素晴らしいアート作品は作られているのではないか。モノを作ることだけがクリエイションだとするのは極めて狭窄な考え方であり、世の中のさまざまな現象のリサーチを担う研究者は間違いなくクリエイションの重要なパートを担うクリエイターなのだ。だから研究とはクリエイションの一環であり、僕は自らをクリエイターなのだと捉えてみたい。」
ま、これが正解といいたいのではない。もっと説得力のある説明があるかもしれない。
ただとにかく重要なことは、「自分自身をどのように理解すれば、相手にとって求められる存在として自分が浮かび上がってくるか。自分が行っていることは相手の文脈のなかでどうみてもらえるといいのか。」を考えることだ。
そうした観点を基準に、自分を定義していく。案外この考え方は強力だ。この定義の仕方だけで、応募者としての独自性はかなり生まれてくるからだ。
「クリエイターじゃないし、これは応募できないなあ」と思うのではなく、自分のスタンスをうまく要件の型枠に当てはめるように論理を組むことで、応募のスタート地点に立つ。
こうしたスタンスは基本的な考え方でありつつ、結構差を生む気がする。
フォーマット(2)プレゼンテーションに適した手法の選択
自分が奨学金の要件に見合うようになったら、次は書類の作成をかんがえる。
奨学金にはしばしば書類のテンプレートや、面談のテンプレートが用意されている。こうしたテンプレートを、真面目な人はとても良く守るようだ。僕も必要ならそうするが、ときどきフォーマットを破ることもある。
例えばトヨタ・ドワンゴ高度人工知能人材のときの書類のテンプレートはこれだった。枠組みの中に書きなさい、というもの。
しかし僕が提出したのは以下のようなもの。
オリジナルのテンプレートの書類には「別紙を参照のこと」とだけ書いて、A4×11ページで自分の活動を伝えた(あくまで2年ほど前の申請での一つの事例の話ですので一般化はされませぬように。注意事項を思い出してください!)。
自分に誰よりも自信があって、実績もあれば、まっすぐ勝負したらいいと思う。こうしたテンプレートの変更は一つの賭けで、相手が「テンプレート外れてるから却下」とすることもある。そのリスクと、単純に落とされてしまうリスクを天秤にかけたとき、テンプレートを変えてデザインした方が自分のやっていることの価値がよく伝わると思うなら、僕なら迷いなくテンプレートを変える。
自分の努力を伝えるフォーマット、スキルを伝えるフォーマットなどいろいろあると思う。でも結局のところ「どう伝えるか?」という極めて重要な点について、何の思慮もなく相手の用意したテンプレートに乗っかっている時点でどうかとは思わないでもない。これは多くの才能ある人のための話ではなく、僕のようなもたざる弱者のための戦略だ。弱者ならば弱者なりに工夫が必要、という意識をもっている。
ちなみに、建築系の人々を支援する財団である佐々木泰樹育英会のときには、PDF3枚でポートフォリオを出せという指示で、テンプレート厳守っぽい雰囲気があったので素直に守ってみた。
僕が製作した3ページのポートフォリオは以下のようなものだ。
けれど面接では、単純に受け答えするだけでなく、自分の製本した修論などをもっていった。別に「持ってきていいですよ」と書かれているわけではない。自分で考えて「これがあるとよさそうだな」というのをもっていくだけだ。
必要なら模型を持って行ってもいいと思うし、iPadをもっていって映像やARでプレゼンしてもいいと思う。プレゼンテーションとして面接をとらえたとき、それらは単純に工夫でしかない。逆に言えば、言葉でしか説明しようとしないのは工夫不足な側面もあるのではないだろうか。
何かものを売りたいとき、売り込みたいモノの価値が最大限伝わるようなプレゼンフォーマットを選ぶと思う。例えばVRコンテンツのプレゼンをするときに、文章でプレゼンする人はいないだろう。HMDを持っていくと思う。そのほうが自分がやっていることの価値を伝えられるから。
そのように、伝えたいことに対して適切なフォーマットを考える。書類でも面接でも。これも基本的な戦略と思う。
そのうえでとても大事なことは、フォーマットを変える際には特にきちんと理由を説明した方がいいということだ。
適当な飛び道具を使っているのでも、要項をみていないわけでもなく、「このテンプレートの意図を解釈したうえで、自分の価値を最大限理解してもらうためには、こういう手法がよいと思ったので、こういうテンプレートでやります」ということをきちんと書いて説明をする。
例えばトヨタ・ドワンゴ(A41枚を11枚にかえてしまったもの)なら、「自分はデザイン文脈から考えていて単なるアカデミアの成果だけではない角度から挑んでいるので、そのことを伝えるためにこういうフォーマットを使います」みたいなことを書く。
この説明をきちんとしないと、指示を無視しただけになってしまう。きちんと理由を説明したうえで、それがある程度妥当性をもっている、もしくは手法として成功していると見なされれば、成功する可能性は低くはないのではないか。(判断は自己責任でお願いします)。
もちろん、いろんな可能性はある。
面接で別資料をもっていって「そういうのは禁止です」といわれることだってあるだろう。でも自らの考えのもとに工夫をした結果、ダメならしょうがない。別の方向で戦う。その結果落ちるならしょうがない。
自分が構築した仮説に対して結果が与えられる場がプレゼンテーションだから、仮説が外れることはある。
しかし仮説ももたないで書類を出したり、面接をしたりする人がいるなら、それは受かるはずもないのかなあと思ったりする。ただし圧倒的な強者は除く(弱者と強者の話については後述)。
準備②~コンテンツの構成をささえる脳内ピラミッド作戦
こうしてフォーマットの選択やデザインと同時に、自分の実績や活動について、どう記述しようかを考える。すなわちコンテンツについてだ。
自分の実績や自分自身の考えについて書くとき、僕はだいたい以下の3つの構成で考えてみている。
「何をやりたいか」「何をやってきたか」「今後どうしていきたいか」
この3点セットは、下図のようなピラミッドをプレゼンテーションする相手の脳内に構築するためのツールだ。
まず目指したい点(場所)=「何をやりたいか」を置く。そこまでどうやって石を積んでいこうとしているのか、積んできたのか=「何をやってきたか」を示す。そのあとで、今後どういうステップで積んでいくか=「今後どうしていきたいか」を示す。
すると、トップのポイントと土台の形状から、ピラミッドのおおよその形状が、プレゼン相手の脳内にイメージされてくるようになる。相手の脳内に構造的なイメージをつくること。これが非常に重要と思っている。
相手の脳内に構造的なイメージがつくれると、自分の活動の説明やプレゼンの中で不足している箇所を、そのイメージの構造が補完してくれる。
上記の図のように、点と土台を示すと自然とピラミッドの輪郭が相手の脳内に浮かびあがってくるので、様々な欠損がありながらも自分という人間の全体像を示すことができるようになる。
また、「何をやってきたか」のパートでは、下図のように活動がばらばらにみえてしまわないように気を付ける。ピラミッドの輪郭が全く見いだせなくなってしまうからだ。「何をやってきたか」は、相手の脳内にこのピラミッドを構築してもらうために示す。
例えば「研究者とはクリエイターだ」とかいってるのに、ロボコンもやりました、留学もやりました、学園祭もやりました、とかてんでばらばらな話をすると、それぞれの要素=石の関係性がみえづらくなる。
話の筋が通るように整理する必要があるということだ。個々の話の位置づけを明確にし、それらすべてが力を合わせて積みあがっていくようなイメージを構築する。
そして相手の脳内ピラミッドを補強するように、今後のピース(いわば積み上げ計画)を書いていく。
こうしたピラミッド型の論理構成は、それぞれの活動や行為の意味付けが相手に伝わりやすくなるという良さをもっている。
こうした論理の組み立て方については以下の本に詳しい。
この中で、さまざまな申請において一番差を分けているように感じるのは「何をやりたいか」だ。ここについて少し書いてみたい。
「何をやりたいか?」が自分の活動を社会の文脈とつなげてくれる
具体的にかんがえるために、ネリ・オックスマンのシルクドームをみてみよう。
これは蚕がもともと張られたワイヤーの上を糸を吐きながら歩くことで、そこにシルクの膜が張られていく、というものだ。シルクはふつう蚕を殺して取り出すが、これなら蚕は生きたままなうえ、繁殖しつづけるので、持続可能性の高い建設が可能になる。
(画像はこちらより引用)
こうした活動を自分がしていたとして(できていたら最高だけど)、その活動で奨学金に応募したいとする。
多くの人は「生物と建築の可能性を探りたい」とか「人間と生き物の協働がひらくクリエイションの可能性を広げたい」とかって書いてしまうのではないかと思う(経験的な話)。
それはそれでいいけれど、そのときほかにもいろいろ戦略がある。
例えば「私は建設が困難な場所でももっと自由に構築できる建築をつくっていきたい。」と書けば、このドームはそういった文脈での価値をもつのだということが浮かび上がってくる。
たとえば建設が困難な場所というと難民テントとしての利用可能性がうっすらとみえてくるから、「難民テントに応用できれば、このくらいの利用可能性があるよ、すごいでしょ!」と書けばよい気がする。
あるいは逆に「私は今後の社会を見据えて環境負荷の小さな素材を開発していきたい。」と書けば、蚕を育て、殺して、製糸して出荷するプロセスのリデザインなのだ、という価値が強くみえてくる。
その際には自分の活動の価値を示す記述として「このくらい環境負荷を下げられることを実現しているのよ、すごいでしょ!」と書けばよい。
とにかく重要なのはこの「何をやりたいのか」というトップポイントの置き方で、そのセンスによって自分の活動の意味や価値はかわってみえる。
すなわち自分をどういう文脈に位置付けるかによって、相手にとっての自分の価値はちがってみえるということだ。
こうした位置づけや文脈との関係性が、一般のほかの応募者とは重ならないように書いていく。こうしたスタンスがけっこう大事かなあと思う。
精神編~指導教官の代理戦争のなかでしっかり戦うために
ところで強者と弱者という言葉をちらほら書いてきたが、このnoteは基本的に弱者のための戦略だ。圧倒的に素晴らしい成果があるなら、別にいろいろ工夫する必要もない。ど真ん中で勝てると思う。
ただ個人的な感覚として、8割くらいの「強者」はこのトップポイントの置き方や、やっていることの価値の説明を、指導教官が代行しているように思える。これはほんとに勘弁してほしいという気持ちになるが、学生という立場上しょうがない。
教授たちは特にそういう技術が異常に高いので、先生の言うとおりにしているだけでこのピラミッドが素晴らしい完成度でできていることがしばしばある。
この事実は、そうした人と会話しているとよくわかる。学生はよくわかっていないのに、ピラミッドだけは最強で、話を聞くと先生の指示を受けていて「先生がこうしろっていったからこうしてる」とか言われたりする。
学生が「自分の成果」と称しているものも先生自身がかなりコミットしてるプロジェクトだったりもするので「これ絶対研究室で、先生肝いりのプロジェクトとしてガンガン指導うけながらお金だしてもらいながらやってるじゃん」という成果が、奨学金の場面では無双したりもする。
そもそも科研費を勝ち取っているようなプロジェクトの成果で、給付型奨学金のバトルに挑んでくるなんてけっこう横暴な感じがなくもない。もちろん冷静に考えて科研費をとりまくりで死ぬほど機材がある研究室に所属しているのと、A4の紙の印刷すら制限される研究室ではできることが違うに決まっている。
学生のバトルでは、先生の強さとコミットの度合がかなり幅を利かせるなあと思ったりもしていて、ほとんど(半分は)指導教官の代理戦争だなあと思ってみている。
こういうのはしょうがない。実際には自分の貢献度をきちんと示さないとフェアじゃないが、そうでない場合も多い。先生がもってきたテーマをやっているとかでもない自走タイプは特に、この弱者戦略のなかで戦っていくしかない。
僕の場合、修士の指導教官からたくさんのことを学んだが、修士の間に会ったのは数回で、相談にのってもらってフィードバックをもらったのは3回ほどだ。
特にクリエイション系は、ほとんど完全に自走だった。もちろんいろんな方からアドバイスをもらったり、デザインのことを学ぶためにデザインファームであるTakramに応募していったりしたが、構想からアイディアからプログラミングから什器設計からARコンテンツの製作とかまで全部未経験からやるのはなかなかに大変だったりもした。
周りに専門の近い人がたくさんいて、機材もあって、奨学金的に”映える”プロジェクトが先生肝いりですすんでたりすると、強いなあとは思う。それにそういうほうが楽しいし、正直に言ってうらやましくもある。
そういう意味では、自分がどういった人や環境のなかで行動していくかということも、そもそも戦略的にはかなり重要なのかなあと思わないこともない。
僕の場合、逆に論文は(特にVRのもの)は、所属していた研究室の研究員の方にとても手厚く書き方や分析のしかたの指導をしてもらったので、かなり下駄をはいているなあと思っている。学振などは、そうした指導にもとづく成果によるところが多い気がする。
最後に~基本的な考え方を応用しよう
ここまで、給付型の奨学金をもらうための基本的な考え方を書いてきた。
まずフォーマットを、(1)要件、(2)テンプレートの観点で考えること。コンテンツは相手の脳内ピラミッドをうまく構築しながらストーリーとして成立するように書いていくこと。
とても大事なことは、やはり基本的な考え方をしっかり押さえて構築しながら、「自分なりに工夫して自分の価値をどう伝えようか?」という努力することなのではないか、と思う。
給付型は常に高倍率だから、とりあえずきちんと書いとけばもらえるみたいなこともないのだろうし、適当なテンプレートに当てはめたからもらえるわけでも、先輩と同じようにやったからとれるわけでもないのではないかと思う。
そうした態度を持ちつつ、周りとのバランスをみながら、自分をどうプレゼンしたら売れるかな?と考える。やはり奨学金は自分の売込み営業に近い感じがするなあと思う。
自分自身ももっと頑張りたい。
このnoteが、困っている人たちのなにかしらの参考になれば幸いです。
おわり。
サポートは研究費に使わせていただきます。