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自伝を書くように生きる。

限りあれば吹かねど花は散るものを
心みじかき春の山風
蒲生氏郷

人生は短い。私はあと何年生きるのだろう。それなのに常に何かに追い立てられている。
こんな感覚で僕は生きています。

私の人生は大学卒業後、順風満帆ではなかった。
それまではレール通りに生きてきたといってもいい。そんな私が突如新卒内定なしで社会に飛び出た。

それ以降、日本においてレールから外れることは、ほとんど苦しみの道を歩くことだと感じながら生きていた。
その苦しみの根源は
なぜお前はそこにいるのか」という問い。

人は苦しみと簡単に同居できない。
ある者は宗教を頼り、またある者は薬を飲み、酒に逃げ、思想を強めた。

私は全て経験した。

トルストイの懺悔を読んでからは、この苦しみから逃げることは神に頼る以外達成し得ないと確信した。あとは、苦しみを自覚しつつ生きる他はないのだ。そう結論づけた。
ただ生憎、私は神に頼るには、不純すぎる青年なのだった。
ならば、どのように自分の苦しみと向き合うべきか。
30歳近くになって一つの答えを得た。
それが、タイトルにある、「自伝を書くように生きる」である。
私は大人が欲しい、自分のロールモデルが欲しいと思い、様々な人物の評伝や自伝を読んでいた。
そんな最中の天啓。
自伝を書くように生きる、それを意識した途端、苦しみは全てハッピーエンドのための過程に過ぎなかった。
そう思わざるを得なかった。
「平成に生まれ、教師や親に振り回され、鬱になって死んだ」
そんな自伝は読みたくないし、何より悲しすぎる。
私は苦難の後に、成功しなければならない。
自分のために、そして私の自伝を読む読者のために。

だから、私は死なないし、成功するのだ。
成功するまでは死なないのだ。

誰も死ぬまでは幸福ではない
ヘロドトス 「歴史」

写真は蒲生氏郷公です。

以上。



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