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「うつわ」としての写真

こんにちは、みしぇる (@crsa_photo)です。

10月半ばまで夏の気配を残していた気候は、秋を飛び越えて冬さながらの冷たさをぼくらへ届けてくれています。個人的には暑さよりも寒さの方が得意ですきなのでうれしくはありますが、缶ビールなんかを片手に夜の散歩を楽しむことのできる秋の肌寒さを愛しているところもあり、ひたすらに冬へと突っ走らんとする近ごろの気候には一抹の寂しさを覚えています。

例によって久しぶりの更新ですが、きょうは最近じつは遠ざかっていた写真についてのお話をしようかと思います。

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ぼくがこれまでnoteでお話してきた写真をテーマとする記事すべてに共通することではありますが、ぼくが撮影や編集といった技術的な側面についてのお話をこうした場ですることはありません。なぜならぼくなんかよりも機材や写真の仕組みについて詳しい方、撮影や編集についての知識や技術の豊富な方はこの世に無数に存在しており、実際にそうした内容について語られている書籍や映像なども信じられないほど多く世に出回っているため、もはやぼくが新たにお話することなどありはしないと考えているためです。

今回ぼくがお話したいのは、自分の写真が鑑賞者にとってどういう存在であってほしいと思いながらぼくが写真を撮ったり見せたりしているかということについてです。

ぼくが常々、Twitterや直接お会いするひとたちに語っているのは、「個性を排除した、『誰でも撮れる』写真を目指したい」というものです。
そう思う理由はいくつかあるのですが、そのうちの一つについて今回はお話します。

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誰かに見てもらうことを前提とした表現には、少なくとも二回完成を迎える瞬間があると思っています。
ひとつは表現者の側、写真を例に出せば撮影者が撮影や編集、ときにはプリントなどを終えて一つの作品として実際に形になったとき。もうひとつは、鑑賞者の側が実際に出来上がって目に見えたり耳にしたりできるようになった形ある作品に触れて、そうした作品と自分自身のバックグラウンドを結びつけて作品について解釈を加えたとき。
これらの二点が作品が完成を迎える瞬間ではないでしょうか。

ぼくはこの点、後者の鑑賞者の介入によって作品が完成する瞬間を大事にしたいと思いながら写真を撮っては提示しています。

これも繰り返し述べていることではありますが、そもそもぼくは写真という表現方法によって伝えたいことがあるわけではないのです。それどころかデータや物質としての写真それ自体には、その画面から視覚情報として認識可能なものしか写らないと考えている現実主義者でもあります。

写真に気持ちやら温度感やらやさしさなんてものが写るなんてありえないことです。それらは紛れもなく鑑賞者の解釈によるものであって、ぼくら表現者側の気持ちや写真への向き合いかたなどという側面は、究極的には鑑賞者にとってどうでもいいものとすら言えるでしょう。

しかしながら、そうした「見えないものが写る神話」がさも写真界隈の共通認識のように語られて久しいのは、それこそが写真のもつ力というよりもわたしたち人間の持つ力によるものであり、誰しも解釈によって見えないものを見出す力を持っているということの何よりの証拠となりうるでしょう。

そうした考えをふまえてぼくは、自分の写真が見てくれるひとたちにとって感情を載せる「うつわ」であってほしいと思っています。

写真が「うつわ」的であるとはどういうことかというと、本来うつわというものは料理を盛り付ける、あるいは何かを収納するといった機能を有しており、食器を例に用いれば、料理と「うつわ」のマリアージュによって食事の時間の輝きをいっそう大きくするツールであるように、鑑賞者の感情という料理を載せる余地を持たせた写真であるということです。

加えて、すぐれた「うつわ」というのは往々にして、料理を盛り付けるといった機能から外れた場面でも「うつわ」それ自体が芸術やインテリアとして鑑賞に耐えうる美しさを抱いているものであり、ぼくの写真もそうして構図や色味といった画面構成それ自体の完成度を保ちつつ、各々の鑑賞者にとってはそのときどきの感情に寄り添ってくれると感じてもらえるような寛容さを孕んだ「うつわ」であってほしいと願っています。

こうした機能を実現させるためにぼくは個性を排した写真を目指しているのです。そしてなにより、真の個性というのは個性を排除しようと試行錯誤しても取り除けなかった部分を指すのだと考えており、個性の排除が結果的に輝きを失うことのない唯一無二の個性を獲得するうえで不可欠だと思っています。

料理に合わせて「うつわ」を選ぶように、うれしいときはこの写真、寂しいときはあの写真という具合で感情に合わせて鑑賞する写真を選び、みなさんが自分の感情に没頭する時間を彩る存在として寄り添っていけたら、表現者として至上の喜びとなるでしょう。

では、また。

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