見出し画像

タクシー広告の話

タクシーに乗ると、座った目の前に小さなディスプレイが付いていて、いろいろな広告が流れる。内容はほぼ、企業向けのITツールやソリューションサービスで、私の仕事には関係ないが、意外と好きでよく見ている。

こないだもタクシー広告を見ていたら、藤原竜也と吉田鋼太郎が出てきた。

テレワークの業務評価をどうすればよいか分からないと悩む吉田に、藤原は、結果だけでなくプロセスも見守りましょうと語りかける。そして、うちのシステムでテレワークの「見える化」をしませんかと提案する。

それってつまり、社員が家でサボってないか監視するってことだよな・・・私空間で監視されるってエグいな・・・などと考えて苦い顔をしていたら、次の広告が始まった。

今田美桜さんがとあるオフィスを訪問する。モニターに映っているのはフロアの間取り図。そこにたくさんの顔のアイコンがプロットされている。いま社員たちがどのエリアにいるのかが一目でわかるという。

今田さんは大喜びでフロアを駆けまわり、自分の居場所を示すアイコンがどんどん移動していく様子に興奮する。これもある意味、さきほどの広告と同じ「見える化」だ。

勤務中にプライベートなどない。確かにそうかもしれない。しかし、まるでオンラインゲームのように自分の存在がマップ上の一点として表示され、それを知り合いに見られているというのは、あまり気持ちの良いものではないだろう。


ふたつの商品に共通する「見える化」は、言い換えれば「監視のテクノロジー」だ。

IT技術は個人のログを取るのが得意だから、ビジネスや行政を圧倒的に効率化する。それは理解できる。でも、何でもかんでも監視すればいいってもんじゃないと思うんだけどな。監視の精度を高めれば高めるほど、ビジネスの効率化・合理化は間違いなく進むのだろうか。

私はビジネスに疎いし、組織論のことを何も知らないので勘違いかもしれないけれど、なんだかいぶかしい。新しい監視のテクノロジーが開発されたから、とりあえずそれで商品作ってみました。とりあえずそれを使ってみました。そんなふうに見える。まるで実験台だ。

もちろん何でも実験してみないと分からないのだから、実験的な商品を売るのも使うのも正しいけれど、でもやり過ぎの印象がぬぐえない。そこまで監視する必要があるのだろうか。プロセスなんて別に見えなくていいじゃん。結果だけ見えれば。

でも、SNSには自分のプロセスをさらしまくる人であふれている。新しい試みを始めたい。始めます。今日始めた。どうですか。2日経った。悩んでる。励ましありがとう。はかどった。半分できた。また悩んでる。励ましありがとう。

タイムラインにはそんなつぶやきがたくさん並んでいる。

「人生の見える化」が当たり前になったいま、ビジネスにおけるプロセスの見える化もまた、呼応するように当たり前の社会になったのだろうか。

私が研究室という個室にこもって仕事をする人だから、見られることに過剰な拒否反応があるだけかもしれない。世間はそうじゃないのかも。


最新のテクノロジーを、経営の合理化や業務管理の効率化に活かそうとするのは、今に始まったことではない。例えば1960年代にも同じような状況がああった。タイムカードの導入とか、電子計算機(コンピュータ)とか。自動販売機も、最初は経営合理化の急先鋒としてもてはやされたものだった。

その時も、人間が機械に支配されて恐ろしいとか、手しごとが失われて悲しいといった意見があった。今までソロバンと帳簿でうまくいっていたのに、なぜわざわざ電子計算機を導入する必要があるのかなんて、さっきの私の批判に似ている。

それでもオフィス・オートメーションは着実に進み、自動販売機も普及した。なぜなら、それらが実際に経営を合理化し、事務を効率化したからだ。経営者がそう感じただけでなく、働く人たちにとっても合理的で効率的に感じられたからこそ、これらのテクノロジーは社会に馴染んだのだろう。

最近の「見える化」も、働く当事者たちが便利だと思えば普及していくし、そうでなければ淘汰されていく、ということなのか。


タクシーにデジタルサイネージがつくようになったのっていつ頃からだろう。震災後くらいかな。

最初の頃、「グとハナはおともだち」というシリーズがよく流れていたのを覚えている。CMディレクターのグ・スーヨンさんと、知り合いの娘・ハナちゃんのなんだかよく分からない自由な会話。別に好きではなかったけど印象的だった。見える化の真逆のような、何も見えてこないゆるゆるな世界。

あれから約10年、タクシー広告もずいぶん進化した。ハナちゃんはいま中3くらいだと思うけど元気だろうか。