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1964東京オリンピックのテレビ欄

テレビの歴史が専門の私にとって、昔の新聞テレビ欄は辞書のようなものです。茨城大学では朝日新聞データベース「聞蔵Ⅱ」と契約していて、暇さえあれば30年前や50年前のテレビ欄を読んでいました。

しかしログインできるのはキャンパス内のみ。せっかく時間があるのに、自宅だから見られません。残念無念・・・と悲しんでいたら、5月31日までの特別措置で学外からログインできるとの連絡が!!

もう、うれしくてうれしくて。仕事が終わると寝るまでテレビ欄を眺める日々です。

いろいろなテーマで見ていますが、今回は「オリンピック放送」に注目しました。

カブりまくりの東京オリンピック放送

1964年の東京オリンピック(10月10日~10月24日)。ラジオで聴いた人も多かったらしいので、テレビ欄だけでなくラジオ欄もあわせてざっと見てみました(いずれも東京地区)。

まず気になったのは、局ごとにあまり棲み分けができていないこと。たとえば大会2日目の10月11日(日)午後3時からの放送は次のとおり。

NHK総合「女子バレー日本対アメリカ」
日本テレビ「女子バレー日本対アメリカ」
TBS「女子バレー日本対アメリカ」
フジテレビ「女子バレー日本対アメリカ」
NET(現・テレビ朝日)「女子バレー日本対アメリカ」
東京12チャンネル(現・テレビ東京)「女子バレー日本対アメリカ」
NHKラジオ第一「女子バレー日本対アメリカ」
TBSラジオ「女子バレー日本対アメリカ」
文化放送「女子バレー日本対アメリカ」
ニッポン放送「女子バレー日本対アメリカ」

うーん・・・意味なくない?

その後は多少棲み分けるようになるんですが、たとえば10月15日(木)夜19時台は次のような感じです。

NHK総合「ボクシング」「バレーボール男子」
日本テレビ「バレーボール男子」「水泳」
TBS「水泳」
フジテレビ「水泳」
NET「バレーボール男子」
東京12チャンネル「バレーボール男子」「水泳」

これを棲み分けていると言ってよいか分かりませんが・・・このくらいが限界だったようです。

いまはNHKと民放がひとつの合同チーム(ジャパンコンソーシアム)を作って分担するから、こういうことはありませんが、この時は各局が独自にやっていたようで、一部の人気種目に集中してしまったのでしょう。

当時の民放のスポーツ中継技術について、この本に何か記述があったような気がするので、水戸の研究室に行けるようになったら確認します。

芸術展示の放送

1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで、オリンピックには「芸術競技」というものがありました。スポーツを主題とした絵画、彫刻、建築、文学、音楽を競うもので、日本人も2つの銅メダルを獲得しています。

1952年以降は競技ではなくなりましたが、いわゆる文化プログラムとして存続し、1964年の東京オリンピックでも美術部門(古美術、近代美術、スポーツ郵便切手、写真)と芸能(歌舞伎、文楽人形浄瑠璃、能、民俗芸能、古典舞踊・邦楽、雅楽)の展示がおこなわれました。

で、そのテレビ放送をNHK教育テレビとかでやったんじゃないかと思って調べてみると、あくまで目測ですが、上にあげた10ジャンルすべて放送があったようです。

切手もあったの?あったんですよ!NHKの教育じゃなくて総合のほうなんですが、開会式翌日の10月11日(日)朝8時30分から9時まで30分間、東京・大手町の逓信ビルでおこなわれた切手展の中継がおこなわれたようです。

「東洋の魔女」はどう経験されたか

東京オリンピックのハイライトと言えば「東洋の魔女」でおなじみの女子バレーボールです。当時世界最強だった彼女たちがライバル・ソ連と戦った10月23日(金)の決勝戦は、NHK総合の平均視聴率が66.8%、日本のスポーツ中継史上歴代1位の記録を打ち立てました。

ちなみに日本テレビ史上最高視聴率はその10か月前、1963年12月31日の紅白歌合戦でなんと81.4%。不滅の大記録と言われています。

ビデオリサーチのWebサイトに歴代TOP50が載っているのでご覧ください。
全局高世帯視聴率番組50

リンク先を見てわかるように、東洋の魔女の66.8%という数字はNHK総合だけのものです。もうお分かりのように、この時間帯は他の局もすべて日本対ソ連を放送していました。日テレ、TBS、フジ、NET、12チャンネル、全部です。やってないのは教育テレビだけ。

だからトータルの視聴率はもう少し高かったと思います。もちろんNHKが機材も技術も圧倒していたので、ダントツで見やすい中継をやっていたはずで、大半の視聴者はNHKを見たのだと思います。でも、民放で見た人も少しはいたはずで、それをあわせるとトータルで80%くらいはいったかもしれません。幻の歴代1位の可能性はゼロではないでしょう。

ところで、ビデオリサーチの表には「東京オリンピック大会(女子バレー・日本×ソ連 ほか)」と書いてあります。最後に「ほか」と書いてあるのがポイントです。

実はこの日、女子バレーと同じ19時開始でボクシング・バンタム級決勝があり、日本の桜井孝雄が金メダルをとっているのです。また、女子バレーの試合途中の20時から体操の男子種目別も始まり、山下治広が跳馬で金メダル、遠藤幸雄が平行棒で金メダルを獲得しています。

どのテレビ局もメインは女子バレーでしたが、テレビ欄を読むかぎり、前半はボクシングとの二元中継、そして試合終了後は余韻にひたることなく体操に切り替えていた可能性があります。

めっちゃ盛りだくさんの一日だったのです。ついでに言えばお昼に柔道・無差別級で神永昭雄がヘーシンクに敗れる大波乱も起こっています。

東洋の魔女が金メダルを取るシーンばかりが切り取られて、社会的な記憶として残っていますが、当日の日本人の経験はもっとゴチャゴチャしてたんじゃないかなと思いました。純化された記憶からは、そのゴチャゴチャ感が抜け落ちてるんだなと。

ついでに言うと、当日の東京の天気は小雨。これも、バレーボールが屋内競技ゆえに抜け落ちた、当時の日本人の経験の一部です。

東洋の魔女といえば、記録映画「挑戦」が大好きです。

あと、この頃の体操の映像をYouTubeで見つけました。最初が山下さんの「山下跳び」かな。東京オリンピックではこれに1回ひねりを加えた、いわゆる「ウルトラC」だったようですが。

パラリンピックの放送はあったか

もうひとつ気になったのが、パラリンピックの放送はあったのかということ。

パラリンピックは1960年のローマ大会からオリンピックと連動して実施されるようになりました。ローマと東京はオリンピックと同じ都市でおこなわれ、東京では「パラリンピック」の通称も用いられましたが、その後、1968年のメキシコ五輪から84年のロス五輪までは別の都市、別の名称で実施されます。現在のようなかたちは1988年のソウルからです。

1964年の東京では、国際大会として下肢麻痺者による車いす競技(第一部、11月8~12日)、国内大会として身体障害者全般による各種競技(第二部、11月13・14日)がおこなわれています。

この期間中のテレビ・ラジオ欄を調べたところ、以下の放送が確認できました。

11/08日 フジテレビ 8:30-9:00 がんばれパラリンピック
      NHK総合 10:30-11:00 パラリンピック東京大会開会式
      NHKラジオ第一 10:30-11:00 パラリンピック開会式
11/09月 (なし)
11/10火 (なし)
11/11水 NHKラジオ第一 07:15-07:30 パラリンピックに学ぶもの
      NHK総合 15:00-15:30 バスケットボール「日本対イギリス」
11/12木 NHK総合 15:00-15:30 パラリンピック東京大会(録画)
11/13金 NHK総合 13:50-14:00 パラリンピックに参加して 

驚いたのは11日に車いすバスケの中継があったことです。これが唯一の競技中継でしょうか。

当時の日本は障害者スポーツがほとんど普及しておらず、障害者の社会参加支援も不十分だったので、ほとんどの日本人にとって、これが車いすバスケを見る初めての機会だったのではないでしょうか。平日午後の視聴率の低い時間帯とはいえ画期的だと思いました。

東京都が当時の映像を公開しています。

東京オリンピックだけではなく、札幌&ミュンヘン(1972)、インスブルック&モントリオール(1976)、レークプラシッド&モスクワ(1980)のテレビ欄もざっと見ましたが、それはまたの機会に。