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わかりみが深い若者言葉の話

知らないとオジサン?イマドキの若者ことば

「ぴえん」「タピる」・・・いくつ分かる?最新のJK用語

テレビでよく、この種の特集がありますよね。こういうのって、むかしはホントに何ひとつ分かりませんでした。どこでどんなふうに流行っているのかさっぱり分からない。まるで異星人の言葉のようでした。

意外と知ってる言葉があるのはなぜ?

しかしここ数年、こうしたランキングにいくつか知っている言葉が混ざるようになっています。「わかりみ」とか「~しか勝たん」とか、オタクのコミュニティでは中年世代もふつうに使っていました。「~しか勝たん」は「優勝」(推しの最高さを堪能した時に発する言葉)とセットで完全にオタク用語という印象です。

歴代ギャル流行語大賞をざっと見てみると、他にも私の身の周りでよく使われていたものがありました。「尊い」「語彙力」「すこ」「こマ?」「ちな」「うぽつ」「リアタイ」「レベチ」「それな」など。

「うぽつ」(うp乙=アップロードしてくれてありがとうお疲れ)とか「~ンゴ」とかは昔のネット用語の再利用なので知っていて当然ですが、それ以外にもいくつか「これってほんとに若者言葉なの?」というのがある。

おそらく、若者言葉には(1)若者発祥の言葉、(2)若者が好んで使う言葉の2種類あって、(2)のほうは上の世代とフィールドを共有しているのではないかと思います。私が知っていたのは(2)のほうです。

(1)はさっぱり分かりません。ギャル流行語大賞の2020年1位「やりらふぃー」なんて一度も見たことない。TikTok界隈はほんとに分からない。2019年1位「KP」も知らない。9位「きょコ」(今日のコーディネート)ってホントに使ってるの?#OOTD(Outfit of the Day)じゃなくて?

というわけで大半はやっぱり分からないんです。でも一部は分かるのがとても面白い現象だと感じています。昔はひとつも分からなかったんだから、ここ数年で何かが変化したのでしょう。私自身が変化したのかもしれませんが、社会も変化したのではないか。

私は、若者と中年が文化的な場を以前よりも共有するようになり、部分的に交流が活性化したと推測しています。

世代間交流を容易にするTwitter

若者と中年の文化的交流は、趣味の世界で昔からありました。映画雑誌、SF雑誌、歴史雑誌、オカルト雑誌・・・それぞれの趣味にはかならず専門誌があって、そのメディアをつうじて中学生くらいのファンと初老のファンが交流することはしばしばあった。

でもそれは、あくまで経験豊富な中高年とルーキーの若者という構図で、両者が同じ目線で同じようにコミュニケーションする関係だったかどうかは、ちょっと微妙かなという気がします。多少のぎこちなさを含みつつ、世代間ギャップをどこかで意識しながらではなかったか。

しかしインターネットの発達、とりわけSNSの普及によって、たとえば10代の中高生と50代の中間管理職が、互いの世代を明かすことなく(だいたい想像はつくんだろうけど)イーブンでコミュニケートする状況が生まれたと思うんです。

こうした交流が生まれるのは基本は趣味アカ、オタアカです。その点では昔の趣味雑誌と変わらないけれど、SNSは趣味以外のさまざまな話題も同時に巻き込むから、子世代と親世代が平等な関係でいろんな話をする世界が実現しています。

現在の親世代は小さいころからマンガを読み、アニメを見て、ゲームをして、パソコンとネットに親しみ、ポップスやロックを聴いて育ってきたし、今でもそうしているから、子世代との文化的な分断が小さく、そもそも友だち関係を作りやすいと言われています。

そこにSNSの匿名の交流が加わって、ますます若者と中年の距離が近いエリアが活性化したように見えます。

もちろん若者といってもいろいろだし、中年はなおさら、それぞれの人生を歩んでいるうちに文化的な共通点なんかほとんどなくなっちゃってますから、一概に言えないことは承知しています。それでも、それぞれのフィールドが交わるエリアは年々大きくなっている感覚はあります。Twitterの大きな功績ではないでしょうか。

昔の中年はもっと老いていた?

自分が若者だったころと比べると、その思いはますます強まります。私が中高生だったころの大人は、なんというかメチャクチャ大人だったんです。遠いところにいる、違う人たちだった。

ちょっと前、Twitterで昭和の映画俳優は30代でも貫禄がスゴイ、みたいな比較画像がバズっていましたが、たしかに昔の30代は老成していた感があります。

次の文章は、コラムニストの草野のりかずさんという人(1946年生まれ)が37歳くらいのときに雑誌に書いた文章です(1984年に『ぼくらの三角ベース』として書籍化)。

朝の包丁がマナイタをトントン叩く音がなくなったのはいつごろからだろう。目覚し時計に起こされ、ひとりでパンを嚙(かじ)って学校へ行く小学生もいるご時世だ。

最初に読んだとき、これホントに37歳の文章?とビックリしてしまいました。70歳くらいの文章じゃないの?48歳の自分よりひと回り年下の人が「ご時世だ」なんてちょっと信じられない。でも、当時の30~40代が現代っ子を嘆くのってわりとテンプレで、ありがちな感覚だったのでしょう。

言葉だけじゃなくて見た目も老成していました。昭和40年代、大正製薬の「サモンゴールド」は40~50歳をターゲットにしたCMシリーズを何本か作っていて、名作のほまれ高いのですが、そこに登場する方々が10歳以上年を取って見えるのです。

いや、よーく顔だけを見ると年相応な感じもするんですけど、全体的な雰囲気がどうしても年寄りにしか見えません。

↓これは40歳をターゲットにした1969年のCM。櫻井翔君と同い年に見えるかどうか。

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↓こちらは50歳をターゲットにした1975年のCM。キムタクと同世代に見えるかどうか。

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もうひとつ例を。AC(公共広告機構)が1981年に制作した「お年寄りの幸せ」は、高齢化社会を迎えて老人の幸福についてみんなで考えましょうというメッセージなのですが、このCMに登場するのが1936年のベルリンオリンピックで金メダルを取った兵藤(前畑)秀子さん。当時67歳です。

このCMで「お年寄り」代表として登場した67歳の女性。いまでいうと誰だと思いますか?

松任谷由実さん、竹下景子さん、阿川佐和子さん、小林幸子さんです。彼女たちを起用した「お年寄りの幸せ」を考えるキャンペーンなんて、今では成立しないはず。ちなみに若者代表で出てくるゴダイゴのタケカワユキヒデさん(右、当時29歳)は現在68歳です。

いくつも例を挙げましたが、とにかく今の中高年は昔とくらべて精神的にも肉体的にもかなり若い、というか老化が遅い。

親世代と子世代がノリや価値観を共有しやすい第1の理由は文化的分断の小ささ、第2の理由がSNSの発達、そして第3はこの「老いにくさ」にあるかもしれません。

「大人の口出し」ができない大人

なんか前向きな感じで話を進めてきましたが、いいことばかりとは限りません。親世代が子世代の文化を中途半端に分かってしまうので、若者文化に口を出しやすい状態にあります。それはどうなんでしょう。

たとえば最近、Adoさんの「うっせぇわ」という曲が評判になりましたが、私と同世代の中に懐かしさを覚えた人がいるのではないでしょうか。ああ、今の若者にもこの種のセンスは受け入れられるんだ、みたいな。歌唱的にはかつて「新宿系」と呼ばれたジャンルに近いかな、とか(ちょっと違うけど)。わかるわかる、みたいな。

まさに「わかりみが深い」というやつですが、でも、それをそのまま若者たちに伝えてはたして彼らが喜ぶかどうか。

中年が「懐かしい」って言うのは、「前にも似たようなものがあったよ」という意味で、しかもちょっと上から目線で言ってるから、言われた側はあんまりうれしくないというか、それこそ「うっせぇわ」ではないかと。

だいたい、中年が「自分の若い頃にもあった」と言うのは、その要素にしかピントが合ってないだけで、他にもいろんな要素が入っているのにそれは見えていないことが多い。たとえばボカロとかアニソンとか、最近の邦ロックからの影響には気づけなくて、自分が知ってる範囲だけでしたり顔で「〇〇っぽいね」とか言ってしまう。

それってきっとウザいんだろうな。だから遠慮してこういうのはあんまり言えない。今の若い人たちは優しいから、意外と素直に聞いてくれるかもしれないけど、でもやっぱりちょっと自制してしまう。

ズレてるくせに口うるさいオヤジになりたくない、という恐怖心が強いんですね。そう思われることにビビっている。これもまた、「老いにくさ」から来る令和中年の心理なのかもしれません。

まあこのnote自体、じゅうぶん理屈っぽいオヤジ文体そのものなので、もう手遅れのような気もするけれど。