見出し画像

絵を描く理由・・・

「あなたがこの絵で伝えたかったのは何ですか?」

 私が今、絵を描いているのはこの言葉があったからだ。小学生の頃から絵を描くのは好きだったが決してうまかったわけではない。中学高校と美術部などとは無縁で野球部に入ってグラウンドで汗を流していた。漠然と絵を描きたい。漫画家とかいいな~と思っていたことから、高校3年で野球部を引退した後、美術系大学への進学を目指してデッサンを始める。総合大学の美術学科に進学し、油彩をまともに触ったのは大学に入ってからだった。

 美術学科に入学したものの当時は「モネ」や「ピカソ」ぐらいしか知らず、美術に対する知識や技術はほぼ皆無だった。(よく大学に合格できたと思う)絵を描くことが好きだったので授業はとても楽しかった。何となく好きな絵を描ければそれでいいと思っていた大学3年の春、とある講師の先生に言われたこの一言が私を大きく変えていくことになった。

「描きたいものって?」

 何気なく描いていた私にとって「絵で伝えたいものは?」と聞かれても満足な答えは何一つなかった。また、それと共に「自分って何も考えずに絵を描いていたんだ」ということに気づかされる事となった。「描きたいもの」「なぜ描くのか?」創作の現場にいれば誰でも考えることのはずだが、恥ずかしながら私はこの時まで何も感じたことがなかったのだった。自分のルーツや周りの環境、今思っていることなど「自分とは何か?」「何が描きたかったのか?」自問自答を繰り返したどり着いたのが「空虚」や「町」というテーマだった。

都市風景画を描く

ファイル_000 (23)


 街を描き出したがその中でもシャッター街を良く描いた。地方都市に行くとよく目にする光景である。そこで感じるさみしさ、虚しさは私の心の奥に抱えるモノと繋がっていった。展示の際によく「ここはどこですか?」と聞かれるが、実は私の描いた都市風景は実際には存在しない。私の見た風景が源泉にはなっているがそこに私のイメージを加え、心象風景として描いている。ありそうでない風景が私の絵と言えるかもしれない。

描き続ける先に

 元々信じたら突き進むタイプなので描きたいものが見つかったらとことんそれと向き合った。大学院に進学し、毎日、絵と向き合った。活動を続けていくといろいろな出会いがあり、福岡や東京でも個展をする機会を頂いた。特に公募展は自分の立ち位置を見つめるのに役立った。青木繁記念大賞公募展や上野の森美術館大賞展、はるひ絵画トリエンナーレなどさまざまな公募に応募し、いくつかの公募展で賞を頂くこともできた。大学院は博士課程まで進学し、慣れない論文も何とか書き上げ修了したときには27歳だった。かなり遅れて社会に出た私であったが、社会人になって描いていくのは、また別の難しさがあった。画家になりたいというのはミュージシャンやお笑い芸人になると言った感覚に似ている。就職先があって安定した給料がもらえるわけでもないし、自分の実力次第では簡単に淘汰されて行ってしまう世界だ。「売れたい」「人気画家になりたい」という思いもあったがあせりしか生まれない。とにかく描く手を止めてしまうとたちまちこの世界から消えてなくなってしまうのではないかという不安しかなかった。

ファイル_002 (4)

画家から美術家へ

 これは私なりの解釈なので皆さんが同じであるとは思わない。「画家」とは絵を描いて生計を立ている人ではないかと思っている。そこには高い次元で安定的に作品を社会に供給する技術が必要である。私は29歳の時に公立高校の美術教師になることになった。今までは画家を目指していたが別の職に就くことになる。幸い「美術」を活かせる職であるし、新しい仕事に対しての興味もあった。「美術家」なら美術を教え、広めて自分も作品を作り続けることができるのではないか?そんな思いから今では自分の事を美術を広く扱う「美術家」と思うようにしている。こう思い出してからは少し、自分が楽になった。「画家」を目指していたころの自分は「売れたい」という気持ちが強すぎてプレッシャーになっていたように思う。周りの仲間の成功も誇らしくもあったが悔しくもあった。(今でも悔しいと思う気持ちはある)

改めて自分と向き合う

美術家になって6年、仕事をしながらも少しづつ絵を描き、数は少なくなったが個展やグループ展の機会を頂くこともある。また、プライベートでは結婚し子どもも生まれた。

34歳になった今、都市風景を描いていた自分がまた、分からなくなってきた。環境や価値観が変わっていく中で「描きたいもの」っていったい何なのか?都市風景はこれからも描きたいが、それに囚われすぎている自分もいる。

 最近ペン画を始めた。きっかけは授業だった。美術教師の研修会でペン画を授業で描かせている学校の事例を学んだ。おもしろそうだと思い自分の授業でも実践してみたところ、生徒よりも自分がハマってしまった。新しい世界が生まれそうだ。

ファイル_001 (6)

変わっていくということ

 今の自分は変化の過程にいると思う。都市風景から新たなる表現へ・・・でも正直、これで正しいのかは分からない。変化というのは恐ろしい。良い方向に変化するかもしれないし、もしかしたら悪い方に変化するかもしれない。次の展示で「前の方が良かった」と言われるかもしれない。でも停滞して守りに入る自分も嫌いだ。どうなるかは分からないが、自分に嘘をつきながら描いていきたくはない。変化も人生。楽しんで前向きに。

「挑戦 常に前へ・・・」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?