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ボールの先にある哲学と自由。

この人には、きっと誰かを想う哲学がある。
そして、その哲学と一緒にラケットを振って、自分と戦っているのかもしれない。


大坂選手の試合を見ていた時にふと感じた事だ。

彼女のプレイは鮮やかだった。
どんな窮地なシーンに見えても、流れが相手にあっても、
しなやかな動きで、攻めるポイントと退くポイントにメリハリをつけて
冷静にいつも通りプレイをしているように見えた。

あまりプレイから一喜一憂した顔をせず、
ひたすら次の駆け引きを見据えてコートの上に立つその姿は
技術だけでは、賄えきれない大坂なおみ選手の人しての力強さを感じた。


全米オープンのこの大舞台において、きっとこの人が打つボールには
もしかすると、この試合に勝敗以上の意味があるのかもしれない。

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出典:大坂なおみが語った「スポンサー企業失う恐怖」

哲学を体現する。


新社会人の僕にとって恐縮ではあるが
イチロー、本田などのスポーツ選手だけでなく
宮崎駿、それこそプロフェッショナルの流儀に登場するような
一流の人たちが大事にしている事を話す時


「何をするか」よりも「どう在りたいのか」をベースにして
自分の価値観を話している人が多いように思う。

何の為に、自分がどうある為に、目の前の挑戦や仕事を積み重ねるのか。
人生において大事にしている価値観をどう体現するのか。
そのための仕事なのかもしれない。

人によってはこれを美意識や思想と表現する人もいるが
そういった価値観を追求することで、
自分を前に動かすエネルギーへと変えている。


テニスが目的なのではなく、テニスはあくまで手段。
優勝すること、トーナメントでの勝敗は大切だが
目先の利益だけに目がいっては、何のために自分がテニスをしているのかという
その目的意識がなくなってしまう。テニスの延長線上に何を見据えているのか。

目の前の意思決定は一体、何のために下したものなのか。
就活なら、自分が目指す進路•内定の意味とは。営業先に作る資料の意味とは。

良い戦績を取ること。お金を稼ぐこと。
全ては、その先にある目的と繋がることが大切で、
ビジネスパーソンや学生、今を生きる僕たち全員が忘れたくないことだと思う。

そして、その哲学の主語が自分以外の他の誰かがいること。
これも大切だと思う。その哲学は誰との間で生まれたものなのか。

自分の哲学。自分たちの哲学。

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出典:大坂なおみに「共感する女性」が口々に語る理由


大坂なおみ選手のしなやかさは、
テニスで自分の大切な価値観を表現しようとしているだけでなく、
その哲学が自分の哲学から、自分たちの哲学としていることも大きいように思う。


その象徴的な行動が、BLM(Black Lives Matter)運動だ。
黒人(有色)人種への差別是正を目指すこの運動が全米で起こっている時、
彼女は自身のマスクに人種差別の的になり命を落とした黒人男性、
その人の名前が刻まれたマスクを着けて、本番の試合に臨んだ。

あくまで主観だが、その理由は彼女が普段から
何を信じて、誰に想いを馳せて、普段から時間を過ごしているのか、
自分の意思が生まれる場所を体現することで、
彼女なりの社会に対する答えをテニス(仕事)を通じて
伝えているのではないのだろうか。


自分だけでテニスボールを追いかけて、ラケットを振っている訳ではない。
ボールを打つその先には、
きっと彼女が尊く感じる大切な他者がいる、社会がある。
だからこそ、試合での局面を迎えた時に
その積み重ねてきた答えの数が、それを乗り越える力を生み出している。

それが、彼女が先ほど例に挙げた、犠牲となった黒人男性や
人種差別が未だ根強く残っている社会、
及び黒人奴隷制度の名残を残す社会課題そのものかもしれない。
もちろん、家族や友達の存在も十分に考えられる。

自分の意思が湧き出る哲学の中に
自分と、大切にしたい他の誰かがいること。
その繋がりで育む哲学に、想いを込めて行動に起こし続ける。

そうして、向き合った数と変わらない意思が、
自分と他者を信じる強さを与えているように僕は思う。


テニスの上手い下手という技量にプラスして、
その信じる強さが、積み重ねてきた感情の数が
試合の局面であっても、いつも通りのベストを出し切れる自分にしてくれる。
その視座の高さが、目の前の冷静な判断と感情コントロールを下支えする。




何のため。誰のため。

今、自分が向き合っていること、
もしかしたら、ワクワクしている部分もあるし、
どこか不安や緊張を感じたり、または人間だから面倒だなって思っているかも。

どんな時の自分でも、
時には、立ち止まって拾いに戻って来てもいいかもしれない。


「あれ。目の前の自分。
 この先に何があるんだっけ。誰がいるんだっけ。」



どんな時も出来るだけ妥協したくないから。

「何をしたいのか」だけが大きくならないように、
「どう在りたいのか」を意識しながら人生を歩んでいきたいと思う。

なかなか難しいことで、これを言語化するのは更に難しい。
でも、とても大事で、自分らしく生きることが自分の幸せに繋がるのなら
たとえ言葉に出来なくても、自分自身の在りたい姿を感じて毎日を送りたい。


そして、自分の在りたい姿を目指す道の中で
誰かと繋がっておくための、他者を描いた標識も忘れずに感じていたい。

大切なあの人。大切な社会。
未来の自分と誰かに届けようとする事が今の自分を信じる力に変える。
そうやって、想いを築けた時
どんな状況でも、自分らしく自分の時間を過ごせるのかなと思う。



そうなった時、僕は本当の意味で自由を楽しめる。

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