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“自分らしさ。” という生産性のあり方

偏見だったら恐縮だが、生産的な時間と聞くと
読書や資格の勉強をしたり、
ためになるセミナーに参加するなどを連想する部分が多いような気がする。

こうした、数値化、定量化できる、
誰から見ても認識しやすいような生産性がある一方で、
散歩や家事など、目に見えづらい(形に残りにくい)生産性もある。

目に見える生産性にどうしても僕たちは、意識しがちだが
どっちにしても自分を支えてくれる生産性であるはず。
だからこそ、
どちらの時間でも、“自分なりに意味や目的を持って過ごしていたか。”、
ここに焦点を当てた生産性があることが、生活するためではなく、
生きる上で向き合う必要のあるポイントなのではないのだろうか。

目に見えづらい生産性とは。その大切さ。


具体的な話をする前に、目に見えづらい生産性とは何か。

それは、分かりにくい、形にしづらい、数字で表しにくい生産性。

具体例をあげると、
ビジネス本や資格の勉強をすることが目に見えやすい生産性。
目に見えづらい生産性とは、
前から話したかったあの人に連絡してみたり
散歩中に見かけた素敵なパン屋さんで、パンを買ってみることなどなど。
(美術館や展示会に行くのも!)

大切である理由はシンプルで、数字などに表しにくいものも
どちらも自分らしさを支える要素だから。

目に見えづらいし、客観より主観に頼るほか
その時間の大切さを決められない以上、ブレない価値観が必要。
世の中、人の数ほど正解があるから、難しくて不安はつきもの。

けれど、数字にできないあの人との、そして趣味などの時間は
色んな形でこれまで、これから、そして今の自分を支えている。
数字に、言葉に出来ないほど、実は大切で身近なものだったりすると思う。


“自分らしさ”、という生産性のあり方

「今日は仕事がスムーズに進んだな〜。」
「久しぶりに家族と連絡できて、実家が恋しくなったかも。」

生産性として、目に見えやすいもの、見えにくいもの。
どちらの生産性であっても、「自分で決めた。」
何となく過ごしている時間ではない以上、そこには、“自分”がいる。

仕事で言えば、ノルマ以上の成果をあげたとして
言われたことへ
自分なりに考えを持って得られた成果とそうでない成果。
たとえ、得られたゴールが同じであっても、
自分なりの問いや答えを持つ方が、そこにある生産性はちがうと思う。

限られた時間の中で、意味を持って動いた数だけ、自分を認めてあげること。
ついついお給料や経済、キャリアなど、目に見える生産性に目がいってしまう。

形のあるものだけで表すと、表面的なことで終わるし
逆に、形のないものだけだと、単なる理想論で終わってしまう。


自分なりの意味を持った行動や日々の営みの数、
“らしさ”の度合いから、日々の考えや思いを積み重ねてみること。

そんな生産性のあり方があっても良いのかなと思った。

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