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文字を追うことだけが読書じゃない

何をもって読書というのか?その定義は非常にむつかしい。私自身は子供のころから、辞書や事典、図鑑を読むのが好きだった。ある意味では眺めていただけなのかもしれない。一概に本を好きというと小説などの「読むもの」を想像することが多い。でも、眺めるのも一つの読書の形だと思っている。辞書でいえば、子供のころに『広辞苑』を買ってもらったことが非常にうれしかった。知らない言葉や、関連項目を引くという作業が面白かったのを覚えている。
いま、その言葉の数々を覚えているか?と問われたたらといえば全く覚えていないが、世の中にはこれだけ知らないことがあるのかと思うと、非常に愉快な気持ちになったことを覚えている。岩波文庫を読んだときに「畢竟」とか「尤も」いう言葉を見つけた時の喜びに近いかもしれない。こういう言葉知らないと大人になれないのかと大学生に時にふと思った。まぁ、平易な言葉をしっかりと使うほうがむつかしいのだけれど。
読みつつ眺めているのか、眺めつつ読んでいるのか、よくわからないがそういう読み方をしてきたのだと思う。読了しきれずにほかの本に移ってしまうのはそんな癖があるからなのかしらと、いまタイピングしながら自分に言い訳している。

そんな私にぴったりだったのがこれでした。

グラフィックデザイナーである佐藤卓さんの作品集ですね。まさしく眺めて読んで、読んで眺めてにぴったりの本です。
紀伊國屋書店新宿本店の1Fリニューアルの時に買った気がします。自分自身も本づくりに携わっているので、羨ましい本だなと思わされた。また、表氏のブルーに白抜きという実質1色だけのデザインででこれだけ表現できるんだ。ただ置いてあるだけでは一見ダサそうな太字の文字もなんだか絶妙で。人を魅了すること、人に思いを伝えることに、多くの極意があることを思い知らされたような気がする。

中身を見てみると、あれもこれも知ってる!そんな意匠にあふれていて、そういったものを見れるのがうれしかった。そんなロゴマークひとつひとつに会社やその組織の意図や目的が織り込まれている。それを思うと、私が所属する会社にそういった思いがあるだろうか?そういったものを集約することで会社の目的を社員みんなで共有できるのではないか?そんなことを思わずにはいられなかった。

人間は弱いから何かにすがりたい時がある。それは家族や友人、同僚だけでなく、思想やシンボルだってありうる。思想やシンボルが形になったとき、それがマークやロゴとして我々の心を打つのだろう。そして、この抽象的で形とし存在しないものを、抽象的でありながら具体化する作業にどれだけの労力が必要なのだろうか?ほんの少しだけ、そう、本当に少しだけそのすごさの秘密が垣間見れた気がした。

#読書の秋2022 #マークの本


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