大叔父さんのはなし
私の大叔父は本当だったら、旧制中学に進学する予定だった。折しも第二次世界大戦が始まり、大叔父さんは七ツボタンに進まざるを得なかった。七ツボタンは、海軍の予科練のこと。それはたいそう悔しかったそうだ。戦争によって人生の歯車はくるってしまったが、幸いにして出撃前に終戦となった。その後、市役所などでお仕事をされたそうである。
戦争が終わっておおよそ60年。私が、その旧制中学の流れをくむ高等学校に進むことができた。祖母は大叔父さんが旧制中学にどうしても行きたかったことを知っていたので、中学生の僕を連れて、大叔父の家に剣菱の一升瓶をもって挨拶に伺った。大叔父はたいそう喜んでくれて、これからが大切だということを話してくれた。
その折に、はがきサイズの紙に、一筆したためてくれた。
言わずと知れた儒学者佐藤一斎の言葉である。丁寧にルビもふってくれた。机のわきに画鋲で貼りつけて、テスト前にその紙をぼーっと見ていたことは覚えている。
学生のころにこの教えを徹底できたかといえばそうではないが、がむしゃらにはやってきたと思う。社会人になってからも相当が無茶もした。でも若いうちにたくさんのことを学ばないと、自分の脳に限界が来るだろうという危機感もあった。自分の感情のしなやかさが日に日に失われているような気がした。部署の異動があり、いま改めて「少に」なった。しなやかさを取り戻すチャンスなんだと思う。
引っ越しのタイミングか机を捨てたタイミングかは忘れたが、その紙はなくなってしまった。そういえば、佐藤一斎の言葉はつづく。
そうか、若くなくても勉強はできるのだ。まだまだ僕はたくさんのことができる。腐るには早すぎる。
いま改めて、一筆を添えてくれた大叔父に感謝を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?