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なりゆきまかせ

せかせか会社員をしているが、会社員になろうなんて大学の頃はこれっぽっちも思ってなかった。

大学三年生の末、図らずも自分が行こうと微塵も思っていなかった研究室に行くことが決まった。第一志望の研究室に行くことも普通にできたのだが、成り行きでその道を選んだ。

その判断自体に絶望を覚えたこともなく、何とかなるだろうと思っていたところ、友人から就職活動の話を持ち掛けられた。それまでは大学院生になる将来を勝手に想像していたが、
「その手があったか!」
と、いう思いで就職活動を始めた。そのおかげで今勤めている会社に拾ってもらった。そのくせ、心の底で「儲けたら大学へ戻ろう」なんて都合の良いこもと考えていた。

進路は決まったが、研究室での学問は残っていたので、やるだけやった。今にして思うとたかだか学部生の実験に終電まで付き合ってくれた助手の先輩たちには頭が上がらない。住めば都とはよく言ったもので、初めは興味がなかった研究室でも楽しく学べるもんだと思った。

その頃のことを思い出すと、祖父の思い出話を思い出す。

それこそ祖父が大学3年生の時、友人に
「面接が不安だからついてきてくれ」
と言われ、就職の面接についていったそうだ。そうしたら、就職担当の社員から
「君も来年こないか?」
と、突然の話が。
「俺、まだ3年だから卒業できません」
と答えたところ
「大卒扱いで雇うから大丈夫」
という話を聞き、就職してしまったらしい。
戦後ちょっとの話なので時代が違うが、思いがけないことでもうまく流されて生きていくというのも、一つの人生なんだなと。

自分自身の話は祖父のそれと全く同じではないが、思い描かなかった流れとともに生きていくのも悪い話ではない。そんなことを思う。

ただ、私も祖父もその流れにただ身を任せていなかったとは思っている。
辛いこともあるし、なにくそぶっ〇してやると思ったこともある。組織だからと言って諦めたこともない。成り行きだけど、強かに生きている。

成り行き任せても立派なひとつの判断、そう思う。

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