宗教との距離の取り方について考える

創価学会の名誉会長 池田大作氏の死去が報じられた。

宗教に無頓着な私が、この団体そのものや、同じ文言を唱えることを求めるほかの団体のことを知るのは、大人になってからのことだったが、子供の頃からよく聞いた名前だな、と、訃報をきっかけに過去を思い出している。

身近にあった 創価学会にまつわる話
私がその名前を知ったのは、小学生だった40年ほど前のこと。
池田氏を糾弾するグループがビラをポスティングしており、家に届いたそれを目にしたのだ。創価学会という団体を知ったのもその時が初めてだ。

やがて、小学校を卒業する時期となった。
埼玉県北部で中学受験はほとんど無縁、高校も公立校に行くのが当たり前、という土壌で育った私の周りに、一人だけ、中学で私立校に進学する者がいた。
その行先は創価中学。創価学会が設立したものだと後で知った。
振り返れば、その同級生の父親は公明党所属の市議会議員。
創価学会の教えを子供にも引き継ぐ、という考えだったのだろう。
その後、その同級生がどこで何をしているか、全くわからない。

中学から高校への進学でも、創価高校に合格したことで私と同じ公立高校の受験をしなかった(願書は出したが)同級生がいた。

この2人が、本人の意思でそちらに進学したのか、親からの指示に従っただけなのかはわからない。高校から創価に進んだ同級生は、大学では実家から通える国立大学に進んだことを考えると、後者だったのかな、と推測する。

世界平和統一家庭連合(旧 統一教会)との関連で話題になった、いわゆる宗教二世の問題。報道されていないだけで、金銭面の問題だけでなく、こうした子供の進路選択にも影響していることが、様々な団体に起こっているんだろう、と思う。

自分が受けた勧誘 ー 創価学会にルーツの近いところだった
大学生になった1990年に、とある宗教団体の勧誘を受けた。

声をかけてきたのは、同じ中学出身の女性。
同じクラスになったことはないが、文化祭の企画を一緒にしていたこともあり、「久しぶりに会わない?」の電話の誘いに気軽に応じ、自宅近くのファミレスで5年ぶりに再会した。

今何してる?などの話を小一時間した頃、彼女が一言切り出してきた。

「あなたは 今 幸せですか?」

それをきっかけに「南無妙法蓮華経を唱えるだけで幸せになれる」などと切り出してきたのだ。日蓮聖人、とも繰り返し語りながら。

あれこれ言葉を選んで誘い込もうとする彼女に抵抗すること3時間。ようやく諦めたようで、店を出て別れた。

そのファミレスに、社員かアルバイトで働いている、小中学からの同級生がシフトに入っており、時々「こいつら何やってんの?」と言いたげな視線を向けていたのも含め、強く記憶に刻まれる出来事だった。

ネットを身近に利用するようになってから、その当時のことを思い出して調べてわかったのが、
・私を勧誘した彼女が入っていたのは、日蓮正宗から分裂した団体である
・創価学会も日蓮正宗の信徒だった(「だった」と過去形であることは、今回この稿を書く際に調べて初めて知った。。。)
ということであった。

自分の糧として、様々な教えに接する
結局、一神教や一つの教えに従う形の宗教には、現時点でどこにも加わることがなくここまで生きてきた。
でも、無関心とも違うかな。
合唱をやっている中で、キリスト教に関連する作品に頻繁に接しているし、お坊さん・神父さん・牧師さんなど、一つの宗派に関わっておられる方が語られる言葉でや、それをきっかけに触れた経典や聖書などに糧になるものを得る。
宗教との距離の取り方は、今後もそんなスタンスかな、と思っている。



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