小春日

ものづくりを縁の下で支える仕事をしています。 歌うこと、食べること、飲むことが好きです…

小春日

ものづくりを縁の下で支える仕事をしています。 歌うこと、食べること、飲むことが好きです。 ビールが大好きで、別のSNSでは、飲んだビールの投稿に反響が大きいです。 ここでは、よりよい自分になるために大事と思われることを、自分にも語るつもりで書き留めていきます。

最近の記事

大事なのは、自らの動き - 春闘満額回答の報道に思う

2024年3月14日の大手新聞各紙の社説は、前日の春闘での集中回答の内容に多くが触れた。 読売 春闘集中回答 高水準の賃上げ定着させたい 毎日 満額回答相次ぐ春闘 息切れせず中小へ波及を 産経 春闘の集中回答 中小企業に賃上げ波及を 日経 賃上げ継続へ官民で構造改革を加速せよ 各紙共通して言及しているのは、この流れを中小企業にも波及させてほしいという点。ここについては、唯一この話題で書かなかった朝日新聞も間接的に触れている。 朝日 日産減額強要 下請けの圧迫許されぬ

    • 忘れてはいけない 焦点を向けるのは自分

      他人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる 時折我が身を振り返って言い聞かせている言葉の一つである。 今日聴いていた音声配信番組で、改めて、自分に焦点を向けることが大事だと気づかされるものがあった。 尾石はるさんの番組で収録されていた対談であり、自分のやっていることがほかの人に真似されている、と知らされたときにどう対処するか、という趣旨で寄せられたリスナーの質問に応えていくものであった。 対談者のEmiさんが、ご自身の経験として語られたのが、「これは自分で広め

      • +21

        下瀬美術館(広島県大竹市)

        • 私にとっての今年の一字は?

          毎年12月12日の「漢字の日」に発表される、今年の世相を表す漢字。 2023年は「税」に決まった。 色々な出来事が起こる中、税に関する話題は確かに1年を通じて絶えることがなかったかな、と振り返って思う。消費税率が5%から8%に変わった2014年以来の選出である。 ずっと続いていると感じたこの企画、始まったのは1995年。「比較的最近のことなんだな」と感じるのは、私が歳をとっているからかもしれない。 これが発表されると、インタビューの場でも「あなたにとっての今年の一字は?

        大事なのは、自らの動き - 春闘満額回答の報道に思う

          習慣化 - 無意識に行動できたその先

          「1か月に〇km」と到達ラインを決めてウォーキングするようになってから、5年半近くが経っている。 当初は、その到達ライン(最初は100kmだったものが昨年は150km、今年は200kmに増やしている)に向けて「歩く時間を作らなきゃ」と、半ば追われる形で歩いていたが、ここ2~3年は、意識しなくても歩こうと身体が動くようになっている。行動するためにモチベーションやテンションを上げたりする必要なく、習慣化して、無意識に行動できるようになっている。 これは良いことである。 とこ

          習慣化 - 無意識に行動できたその先

          繰り返し触れる言葉をどう受け止めるか

          ビジネス書や自己啓発に関する本を何冊か読むと、大事な考え方として書かれているものに「あれ、これ前にも別に見た(聞いた)な」と思う場面がよくある。 ここで、「聞いた(見た)ことがあるからもういい!」と本を閉じてしまうこと、しばしばあるのではないだろうか。私もそのクチである。 しかし、ある時から、「大事なことは古くから語り継がれていること。それを、本によって表現を変えて伝えてるんだ」と考えるようになった。 それをきっかけに、繰り返し目にすることが「あ、これ大事なことだぞ。自

          繰り返し触れる言葉をどう受け止めるか

          要約サイトflier(フライヤー)の利用を始めた

          本を読む。 紙で製本されたものを読むことがその行為だ。 それしか思い浮かばない時点で、時流から遅れていると言えそうだ。 いつの間にか、本を読むスタイルは多様になった。 電子媒体で読んだり(私もKindle端末を購入したがあまり使っていない)、音声で聴いたり(オーディオブックも複数サービスが出現している)。 さらに、全編読まなくても要約版を読んだり(Toppointを購読していた)・・・ それぞれ一度は試してみたが、結局「紙の本を読む」スタイルに戻っていた。そして、読む冊

          要約サイトflier(フライヤー)の利用を始めた

          新たな年への助走

          12月に入り、2023年も残り4週間を切った。 9月から順次店頭に並んだ2024年の手帳も、そろそろ出番を迎えるころだろうか。 人によっては、既に来年の予定を書き込むために2冊持ち歩いているかもしれないし、一部の手帳では、前年分の予定を10月頃から書けるようになっており(大半は11月の最終週か12月の第一週)、既に次の年の手帳に切り換わっているかもしれない。もっとも、紙ではなく電子でスケジュール管理している人も多いだろうから、その方々は年の変わり目への意識があまりないかもしれ

          新たな年への助走

          宗教との距離の取り方について考える

          創価学会の名誉会長 池田大作氏の死去が報じられた。 宗教に無頓着な私が、この団体そのものや、同じ文言を唱えることを求めるほかの団体のことを知るのは、大人になってからのことだったが、子供の頃からよく聞いた名前だな、と、訃報をきっかけに過去を思い出している。 身近にあった 創価学会にまつわる話 私がその名前を知ったのは、小学生だった40年ほど前のこと。 池田氏を糾弾するグループがビラをポスティングしており、家に届いたそれを目にしたのだ。創価学会という団体を知ったのもその時が初

          宗教との距離の取り方について考える

          授業参観のため小学校へ行く

          この前の週末、授業参観のために息子が通う小学校に行ってきた。 入学式と運動会以外の行事では初めて訪れる機会となった。 私自身が小学校を卒業してからもう40年以上経っているし、育った地方も異なるから、自分が経験したことと全く異なる様子を見ることは予想できていたが、実際に見て「おぉ~」と思ったことを、自分のためのメモもかねて挙げておく。 (1)黒板よりタブレットを多用した授業 板書は、授業冒頭の、学習の狙いを書く程度。あとは、タブレットを用いて、教室前方のモニターで共有する。

          授業参観のため小学校へ行く

          あ、使い方を間違っていた、と気づいたことば

          50年以上生きていても、今頃になって「え、それ、そういうことだったの?」と気づかされる場面に出会うことがある。 知らなかった、というより、教わったけど忘れた、ということも多々あるが。 最近の例でいくと、「他山の石」。 他人の出来事を、自分の手本として取り入れる、という、ポジティブな意味合いで理解していた。 しかし、実は違った。 他人のよからぬ言行も、自分の人格を育てる助けとなる、という、反面教師のような意味を含んでおり、特に「先生の生き方を他山の石として」などという言い

          あ、使い方を間違っていた、と気づいたことば

          父を見送る ~ その3 京都への納骨 ~

          5月に亡くなった父は、生前、思えば18年も前に自分が入る墓を決めて契約していた。 埼玉県で生まれ育ち、途中3年くらいだけ群馬県に単身赴任しただけの父が、骨になって眠る地に選んだのは京都。ちょうど私の大阪勤務が長くなって「こいつは埼玉には帰ってこない」ことも考慮してのことらしい。頭が下がる。 9月の3連休に、その墓に父の骨を納めに行った。 これまで、父の遺骨は壺に入れられており、その状態で京都まで運んだ。 地域による習わしの違いか、京都のお寺に着いた後、墓の契約、納骨で仲

          父を見送る ~ その3 京都への納骨 ~

          二つの足音

          更新が3か月空いた。 その間に、8月が終わりを迎えてしまった。 とにかく暑かった 水害に見舞われた 台風や豪雨で足止めをくらった 2023年の夏は、そうした「とにかく大変だった」と振り返る方が多いだろう。いや、現在進行形かもしれない。 そんな中、私は二つの足音を感じている。 一つは、季節が進むことによる秋の足音。 朝夕は涼しくなり、窓の外で聞こえる声も秋の虫が主体になってきている。 そして、もう一つは、新しい年の足音。 例年、9月になると、次の年の手帳が書店や文具店

          二つの足音

          父を見送る ~ その2 見送りに向けた段取り ~

          5月8日に父が息を引き取り、早くも三七日が過ぎた。 その1でも書いた通り、この3か月ちょっとの間の状況の変化でバタバタしたが、多くの人がバタバタしたと思われる、葬儀の段取りは、比較的パニックにならずに組めたと思う。 その点について振り返っておくことにする。 <日取りの決定> すぐに執り行えるものと思っていたところ、そうはいかなかった。 その1でも触れたが、火葬場が混みあっていることがネックとなってしま  った。私が弔事に伴い取得できる特別休暇が5日と決まっていたため、何

          父を見送る ~ その2 見送りに向けた段取り ~

          今も胸に刻む「いつまでも歌を」の一言

          趣味で33年続けている合唱についての話である。 私は、1994年~1996年の間、男声合唱では当時有力な大学の合唱団の卒業生が中心になって結成された「アラウンドシンガーズ」という団体に参加していた。 指揮は、これまた有力な合唱団で始動されていた畑中良輔先生・北村協一先生。大学生時代にあこがれていたお二人の下で歌える、というだけでも、幸せな時間だった。 そのうちのおひとり、畑中先生がこの世を去られたのが、11年前、2012年の5月24日。これを書いている日はちょうど命日にあ

          今も胸に刻む「いつまでも歌を」の一言

          他者への発信は極力避けたい「私は正しい」のひとこと

          週末、自宅付近をウォーキングしていて、久しぶりに通りかかった本願寺系のお寺の支坊で「おっ」と思う言葉に出会った。 「私は正しい」 争いの根は ここにある ニュースで話題になる色々な争いの元になっていることだな、と納得する一方で、この「私は正しい」ということ自体は、必ずしも否定されるべき考え方とは限らないのでは?とも思った。 「私は正しい」が肯定される場面、いつがあるだろう。 私が思い浮かんだのは、ひとつ。 自分が決めた道を進んでいこうとするとき、その選択に自信を持たせる

          他者への発信は極力避けたい「私は正しい」のひとこと