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第21話 フィアンセ

穏やかな昼下がり。通りに面したカフェのテラス席で里紗子と過ごす。
「テラス席って暑いだけだと思ってたけど、ここは木が繁ってるから涼しいのね」
そう言って緑を見上げる里紗子。色白でスッと通った首筋。そこに光るネックレスは俺がプレゼントしたものだ。
「春先は虫が多くて大変かもしれないけどね」
「そうだね」
ゆったりと時間が流れる。里紗子も、里紗子と過ごすこんな時間も愛おしい。

…くーん

「?今、俺のこと呼んだ?」
「ううん。どうして?」
「いや、気のせいならいいんだけど、何か呼ばれた気がして…」
「そうなんだ」

…しょうごくーん

「あれ?やっぱり呼んだ?」
里紗子はアイスカフェオレのグラスを持ったまま答えた。
「ううん。今、飲もうとしたとこだったのにー」
「ごめんごめん…」

翔吾くーん!

「今のは私も聞こえた」
「誰だろ?」
二人でキョロキョロと辺りを見回すと、通りの向こう側からこちらへ、漫画みたいに土ぼこりを上げて突進してくる'何か'があった。
「何…あれ?」
「俺も分からない…」

「翔吾くーんっっ!!!」
叫びながらこちらへ迫ってくる'何か'。
「ねぇ、アレ確実に翔吾くんのことめがけてきてるけど」
「…うん」
「これ、私たち跳ねられない?大丈夫?」
里紗子は少し身を引いた。俺も彼女を守るべく身構える。

キキーッ!!っとブレーキ音でも出しそうな勢いで'何か'が止まった。テラス席に座った俺たちとの距離はたったの30cm。巻き上がった砂ぼこりで視界が曇る。

「翔吾くんっっ!!」

全身ボロボロのワンピース、穴だらけの靴、生傷とかさぶたと乾いた血と泥で覆われた皮膚、グシャグシャの髪をした'何か'は、一直線に引いた真っ赤な口紅をニィッと開いて、鼻をもぎ取るような悪臭を漂わせながら俺の名を呼んだ。
「翔吾くん、久しぶり!美花だよ!結婚しよっ!」
'美花'と名乗った'何か'は、ボロボロの外見をものともしない満開の笑顔を向けた。

「美花…?」
「そうだよ!翔吾くんの幼馴染みにしてフィアンセの美花ちゃんだよ!大学の卒業式以来だからもうかれこれ…1?2週間ぶりだね!相変わらずイケメンだぁ…。ねえ翔吾くん、好き!結婚しよっ!」
一言ごとに距離を詰めてくる'何か'…もとい、美花。あぁ、記憶の中にいられたくないから、頑張ってコイツのことを忘れ去っていたんだった。

「い…いや、結婚はちょっと…」
「ぇええぇーーっっ!!??」
大袈裟にのけぞってオーバーすぎるオーバーリアクションをとる。
「翔吾くん、卒業式の時に言ってくれたじゃない!
富士山を逆立ちで登って、後ろでんぐり返りで降りるのを10往復したら考えてやる。
って。やってきたよ!だから結婚しよっ!てか、結婚してっ!」
あー、そんなことも言ったっけ。
「もう、本当翔吾くんってば照れ屋さん。美花ちゃん、何回プロポーズしたと思ってんのよ。1才児検診の頃から毎日コツコツ27893回!もはや日課!はぁーあ。美花ちゃんってば、なんて一途なんだろうか?」
急に視線を合わせてくる。一回黙ってくれないか。

「ねぇねぇ、結婚してよぉ。富士登山してきたんだからさー」
「そ、そんなの、お前が「行ってきた」って言ったらそれで終わりだろ?」
それを聞いて美花はニヤリと笑った。もしかして、聞いてはいけないことを聞いてしまったんじゃないだろうか…。
「もう、翔吾くんが心配性なのは美花ちゃーんと知ってるよ。だから、ちゃんと不正できないようにプロポーズしながらLIVE配信してたんだ。もちろん見てくれたよね?」
そう言いながら、画面がバキバキになって原型をとどめていないスマホを出して見せた。何をどうやったらスマホがゆるい三角になるんだろうか。というか、動作しているのが不思議な位だ。さすが、Ap○le社。

美花が差し出したスマホの画面には、美花が斜面を転がり落ちる様子を映した動画が流れていた。
「再生回数は、リアルタイムが常に1万人くらいで、アーカイブ合わせたら3億回!「うっせえわ」超えちゃった!それでね、bad評価が7億でgood評価が5億って、どっちも再生回数を上回ってるの。どういう仕組み?すごくない?YouTubeさんがバグった説。
もうね、「下山の様子で酔った」とか「鼻息荒すぎ」とか「画質の無駄遣い」とかコメ欄大炎上!びっくりだよね!」
それ以前にリアルタイム視聴している人が1万人超えてる方がすごい。よほど観るものがなかったんだろうな。

美花は優々と両手を腰にあてて胸を張り、
「さ、約束は果たしたから、翔吾くん、結婚しよっ!」
「…え?」
「あ、そっか。翔吾くんは「できたら考えてやる」って言ってたんだよね。じゃあ、考えて?シンキングタイム、スタート!」
「は?」
「そうだ!BGMでこの動画流してあげる」
「あー!それはいい、遠慮する」
再生回数3億回の登山動画を再生しようとしたので慌てて止めた。これ以上気分を害されたくない。
「そう?じゃあ代わりに美花の生歌で。美声でごめんねぇ」

バッタフラーイ きょおはー いままぁーでぇーの どんなー きみよぉーり ふふーふふふーん
しろいー ふふふーん はばたーふふふーん ひかりぃーの ふんのぉー なかへぇー…

うろ覚え満載のButterflyを聞きながら、俺は必死で考えた。あ、結婚する/しないじゃなくて、どうやったらこいつと一生会わなくて済むようになるか、を。

「あれ?」
急に美花のうろ覚えButterflyが止んだ。美花は俺の腕をツンツンとつついて尋ねた。
「ねぇ、翔吾くん。この女、誰?」
美花が指さしたのは、名乗った時からずっと、呆気にとられていた里紗子だった。
「彼女だよ。里紗子。俺、この子と付き合ってるから、結婚とかは…」
「へー、付き合ってるんだ。ふーん」
俺の話を遮って、美花は里紗子に手を差し出した。もわっと漂う悪臭が一段と強くなった。
「どうも!翔吾くんのフィアンセの美花ですぅ」
「あ、どうも」
「里紗子さん、美花が富士山行ってて留守の間、翔吾くんに変な虫がつかないように見張っててくれてありがとうございました!もう帰ってきたし、大丈夫なんで、じゃっ」
スッと、カフェの出入り口の方へ誘導する。うっかり腰を浮かせた里紗子は「あ、違う違う!」と、慌てて座り直した。危ない。

「翔吾くん、決まった?結婚するか、挙式するか」
最悪の二択だ。
「じゃあ…」
俺は苦し紛れに答えた。
「と、徳川埋蔵金を掘り出したら、前向きに検討してやるよ」
「徳川埋蔵金ね…」
渋い顔で黙りこくった。よし、これでもう会わなくて済む。
「…OK!富士山の樹海のB8エリアでそれっぽいところがあったから、たぶん明後日には…」
「あーっ!それと追加で!!」
「追加?もぉー、欲しがりさんだなぁ。いいよ。言ってごらん?」
アヒル口(もどき)で、胸元を強調しながら俺を見つめる美花。あぁ、許されるなら殴りたい。ていうか、なぜ'それっぽいところ'を見つけてるんだ。何か、無理難題を…。
「アルプス3万尺、子やぎの上でアルペン踊りを踊ってこい!」
「ほぉ。それなら日帰りでいけるかな」
何で日帰りでできるんだ。
「あれだぞ、スイスだかフランスだか、ヨーロッパのアルプスだぞ?」
「あー、本場の方ね!じゃあついでに新婚旅行の下見もしてくるわ!」
そう言うと美花は里紗子の手をヌチャッと握ってブンブン振り回しながら、
「里紗子さん!私、ちょっとまた翔吾くんの元を離れないといけなくなっちゃったから、また私の留守中見守っててあげてね!よろしくぅ!」
そしてギュッとハグをした。里紗子に。離れ際、二人の間が納豆のように糸を引いていた、あれはどういう原理なんだろう。
里紗子に挨拶をして満足した美花は、
「それじゃあ翔吾くん!すぐ帰ってくるから、いい子で待っててね!美花がいなくて寂しくて泣かないでね!美花も毎日、プロポーズするからねぇぇぇっっ!!!」
と叫び、汚い投げキッスを残して、また土ぼこりと共にどこかへ去っていった。

「…ねぇ。今の、何?」
恐る恐る里紗子が尋ねた。
「なんか、幼馴染みでフィアンセって言ってたけど」
「幼馴染みはそうだけど、フィアンセとかあいつが勝手に言ってるだけで俺、迷惑してんだよな。もう、どうしたら寄って来なくなるのか分かんなくてさ」
「ふーん」
ズゴゴゴ…とささやかな音をたてて、里紗子が氷の溶けきったカフェオレを飲み干した。コンと音をたててグラスをテーブルに置くと、
「別に、ちょっと変わってるだけで悪い子じゃなさそうだったけどな」
「はぁ?いや、知らないと思うけど、しょっちゅう絡んできては「結婚しよ」ってしつこくてさ」
「あんなに自分のことを好きでいてくれる一途な女の子に無理難題押し付けるなんてあり得ない。それに私は美花さんみたいに、翔吾くんにあんなに一途になれないかな」
「…え?」
「顔はいいけど中身が無理。別れよ」
里紗子は財布から千円札をだすとテーブルに置いて席を立ち、
「美花さんと幸せになれって訳じゃないよ。てかたぶん、翔吾くんがその態度でいるなら、たぶん美花さんも無理になっちゃうんじゃないかな。分かんないけど、たぶんもう美花さんは現れないと思うよ」
そう言ってカフェを出て行った。

里紗子の言うとおり、その後美花は俺の前に現れなくなった。

友人伝いで、里紗子のインスタのストーリーに、美花と二人でヨーロッパ旅行を楽しむ美花の姿を見たのは、里紗子と別れた一週間後の事だった。

<END>
2019年12月28日  R-1ぐらんぷり2020 1回戦より


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