第18話 クッキー
放課後。西日の差し込む教室で一人の女子高生が人待ち顔で立っていた。
ガララッ
教室の引き戸が開き、一人の男子生徒が入ってきた。野球部のユニフォーム、泥だらけのスパイク、額には汗が光り、日に焼けた顔は少し紅潮している。
「ごめん、待った?」
「高橋くん。ううん、大丈夫だよ」
女子生徒は両手を後ろに組んで恥ずかしそうに笑った。
「あの…急に呼び出してごめんね」
「いいよ。あ、話って何?」
カチャカチャとスパイクの音を立てながら高橋は女子生徒の前まで歩いた。
「あのね…。私ずっと高橋くんにお礼がしたかったの」
「お礼?」
こくりと頷く。
「覚えてるかな?あれは確か6月だっけ…。私、日直で黒板消さなきゃだったのに上の方届かなくてさ。その時高橋くんが、「じゃあ、飛んだらいいじゃん」って言ってさ」
「…」
「…あ、助言しただけで助けた気になってんなって。案の定、飛んでみたら黒板消しぶつけて飛んでいって高橋くんに直撃してさ…。「ざまぁ!」って死語なのかな?でもそう思った。あの時は、チョークの粉化粧で心底楽しませてくれてありがとう」
女子生徒は思い出し笑いするようにお腹を抱えて言った。
「…へ?」
「クラスで飼ってた金魚の水槽を金魚ごと廊下にぶちまけたのも高橋くんだったね。目を閉じるとあの夏の日の熱された渡り廊下のコンクリートの上でもがき苦しむ金魚たちの顔がフラッシュバックするの…」
苦しそうに頭を抱える。
「あっという間、だったね」
高橋は黙って俯いた。
「あ、ごめんね。そんなのどうでもよくてさ」
女子生徒は取り繕った笑顔を見せた。後ろ手に隠していた小さな包みを出した。
「これ!今日、調理実習で作ったクッキー!」
「え…?お、俺に?」
「うん。高橋くんに食べてほしくて……はいっ!!」
勢いよく差し出す。1mもない二人の距離。女子生徒が元気よく差し出した手が高橋のみぞおちに突き刺さった。
「うぐっ…」
「ごめん、みぞおち」
「いや、大丈夫…」
弱弱しく微笑みながら高橋は包みを受け取った。
「ちゃんと私が作ったやつだよ」
「食べていいの?」
「うん、もちろん」
白いキッチンペーパーに包まれていたそれは、カラフルなクッキーだった。丸やさんかく、しかく…。様々な形の小さなクッキー。
「いただきます」
「一応ね、無事なのを集めたつもりなんだけど、どうかな…?」
「無事?」
「あー、焦がしちゃったのもあったから」
「それは大丈夫。ちょうどいい焼き加減」
ニコッと笑いかける高橋の表情に女子生徒は安堵した。
「よかった…」
「この黒いポツポツしたのは何?」
「あぁ、それは理科部が作った黒ゴマ。煎ったら香ばしくて、家庭科室中がいい匂いしたんだ。あ、それだけじゃないんだよ。そのクッキー、実はこの学校で育てたもので作ったんだよ」
「そうなの?」
「うん!稲作体験で作ったお米の米粉がベースで、あとはプールサイドに転がってたココナッツみたいなやつ、インコの卵、」
「インコの卵!?」
吐き出しそうになるのを必死でこらえる。
「あとこのオレンジ色のは…、ふふっ。さすがにこれは高橋くんも分かるよね?みんなで育てた、あの夏の思い出。オレンジ色のきん…ハックシュンッ!!」
ハンカチで口元を拭う。目元は高橋の様子をじっくり伺っていて、まるで意図したようなくしゃみのタイミングだ。
「…」
高橋は生唾を飲んだ。
「まさか、このオレンジって金ぎょ…」
「金時人参!いやぁ、まさか校庭の鉄棒の根元に自生するなんてびっくりしたよねー。…あれ?高橋くんどうしたの?」
「えっ!?あ、いや、なんでもないよ」
「もしかして金魚だと思った?」
「まさか、そんなこと…」
心拍数が上がる。女子生徒はまたニヤリと笑った。
「緑色のは…何かの草。…何だっけな?何とかって先生言ってたけど…「ドク…」……うん!ドク!」
「ど…毒!?」
「あ、そうだ!ドクダミ!」
「ドクダミ…か…。びっくりした…」
「ねえ高橋くん。さっきから何ビクビクしてるの?私は純粋に、授業で作ったクッキーを食べてほしかっただけなのに」
「あ、ごめん。ちょっと…いや、何でもない」
「授業で作ったんだよ?変なもの入れれるわけないじゃない」
「そ、そうだよね。うん」
「お水だけは私が準備した特別なの使ったんだ」
そう言うと女子生徒は教室の後ろにあるガラスの水槽を手に取った。
「待って」
「なぁに?どうしたの、高橋くん」
「特別な水って…」
恐る恐る水槽を指さす。水しか入っていない空の水槽。指先の震えが大きくなる。
「ふふっ。金魚ちゃん達の水槽、お水を替えないとねー。高橋くん。クッキーいっぱいあるから、よぉく召し上がれ」
不敵な笑みを残して女子生徒は廊下へ消えた。
一人残された高橋。落とさないように持っていたキッチンペーパーの中のクッキーを見る。白、黒、緑、オレンジ、カラフルなクッキー。オレンジ色を一口かじってみた。が、味はよくわからない。
「金、時人参だよな…。人参のクッキー…」
分からない。それが怖くて悶々とした気持ちになって、さっきまで汗をかいていたのに一気に引いていく感覚がする。
廊下を歩く女子生徒。その足取りは少し重い。
「何か高橋くんの様子、変だったな…。私、何かおかしなこと言ったかな?やっぱり渡す直前に余計な思い出話したのがダメだったかな?それとも純粋に味がマズかった?もしかして、こっそり水素水入れたのバレたかな?あーん、恋愛の駆け引きって難しいよー!」
水換えのためにバケツに避難させていた金魚をすくいながら、女子生徒もまた悶々とした気持ちを抱いていた。
<END>
2019年12月16日 MEKKEMON より
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