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10月20日 はかない恋を見届ける【今日のものがたり】

はるさん!」

 商店街を歩いていたら突然呼びかけられた。今日これからのことを考えていたこともあって、僕はドッキリをくらったのかというくらいビクッと大きく身体を揺らしてしまった。
 でも、声には聞き覚えがあった。振り返ると予想通りの人が笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。

七生ななおさん、こんにちは」

 遠くからでもわかるんだけど、近くに来るとより実感できる。七生さんは身長が高い。確か、183センチはあると聞いたことがある。

「なんか驚かせてしまったみたいでごめんね。今日はこれからバイト?」
「はい、そうです。17時からなのでまだ時間はあるんですけど」

 少し早く行って、勤務開始時間まで休憩室でまったりするのが結構好きなのだ。

「いつも七海ななみちゃんがお世話になっています」
「え、いやいや! お世話になっているのは僕のほうで」
「そうなの? でも、七海ちゃん、すごくマイペースでしょ。遥さん、大変じゃないかなって思ってるんだけど」
「マイペース……なのかもしれないですけど、僕には七海さんのペースが合っていると思うので……一緒にいると楽しいです」
「それなら良かった。なんて、俺が口を挟むことじゃないよな。弟が差し出がましいことを申してすみません」

 ビシッと直角に身体を曲げて謝罪してくる七生さんに僕は思わず笑ってしまった。大きいからそれだけでも迫力があるはずなのに、まったく怖くない。
 顔をあげた七生さんも笑っていたので僕はむしろ、ほんわかした気持ちになる。こういうところが七海さんと似ているとも思う。

 七生さんは七海さんの双子の弟で……、七海さんは僕の恋人かのじょだ。七海さんは小柄で、最初に七生さんを紹介されたときに身長のほとんどを七生さんに持っていかれたと笑っていた。
 2人の家は老舗の呉服屋“深町ふかまち”だ。七海さんは週末になると着物を着て僕に会いに来てくれる。七生さんもたまに和服姿を見かけるけど、どう見てもモデルさんでカッコいい。そういうわけで、七海さんの家にお邪魔するときはまだ少し緊張する。

「七生さんはこれからおでかけですか?」
「はかない恋を見届けにね」
「え?」
「僕が読んでいた漫画が映画化してさ。それを今から見に行くの」
「それ、七海さんが見たいって言ってた“ミントとアサガオ”って映画じゃ……」
「そうそう! 七海ちゃんも好きな漫画だからね」
「七生さん、ひとりで行くんですか?」
「そうだよ。僕の趣味、ひとり映画館だから」
「ひとり映画館……」

 それは少し懐かしい響きだった。僕も七海さんとお付き合いが始まる前はかなりの頻度でひとり映画館をしていた。今ではひとりでも、ふたりでも映画館は楽しいということを七海さんのおかげで知ることができたけれど。

「ま、映画見たあとすぐ誰かとあーだこーだ感想を話すのも楽しいんだけどね。それは、遥さんと七海ちゃんが見たあとの楽しみにしようかな。……おっと時間が……じゃ、またね!」
「はい。お気をつけて」

 走り去っていく七生さんを眺めながら映画化された漫画のことを改めて思い浮かべる。
 そうだ、そのお話に出てくるミントとアサガオの小物がとても可愛らしくて、僕のアルバイト先にも置いてみたいなと思ったんだ。よし、今日店長に話してみよう。

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